少女の秘密

文字数 1,795文字

 森の隙間から差し込む陽光は、生命に温かみを与えてくれる。獣は森で一番の大樹に凭れ掛かり、その恩恵を受けていた。
 その横に昨日少女が忘れた籠もあり、その中は少女が探していた植物が溢れんばかりに積まれている。月明かりのみ君臨する森の中を網の目も逃さず駆け回って集めたのだ。夜目も効く獣にとって、これぐらいは文字通り朝飯前である。
 斯くいう獣も自らの行いに困惑していた。少女が探していた植物を寝る間も惜しんで探し回っていたことに。その答えは夜明けには導き出していた。
 その少女は獣にとって唯一、対等に関われる存在なのだ。死神の声を持ったことで孤独の中で生きてきた獣にとっては正に奇跡の存在だ。どんな形でも関わりたい、少女に何かしてあげたい、そんな些細な願望が、獣を突き動かしたのである。
 しかし、徹夜で探し回っていた獣にとって、この暖かな陽光は微睡みを誘うには十分な心地良さだった。遠くで聞こえる川のせせらぎも獣の思考を掻き消してしまう。寝てはならないと必死に目を開けるも、瞼の重みに耐えきれず、獣はついに深い眠りについてしまった。
 
 ふと、右腕に何かが動いている感覚で目を覚ました獣。
 微睡みの中にいる獣が重い瞼を開けると、先日の少女が獣の腕を小さな両手で掴み、ゆさゆさと揺すっていた。その目は昨日のような恐怖の面影はなく、太陽に反射したその瞳はきらきらと輝かせていた。
 獣は大きな身体を起こし少女の方に顔を向けた。こちらに気づいたと少女が分かるや否、獣は満遍なく植物を積まれた籠をこちらの目の前に差し出した。
(あなたが取ってくれたの?)
 そう言わんばかりの目を向ける少女に、獣は頷いた。
 それを見た少女は目を大きく広げてより一層の輝きを放った後、獣の腕に抱きついたのだ。突然の抱擁に戸惑った獣だったが、少女が喜んでくれたのだと実感した時、獣の心に感じたことのない暖かみを感じた。
 それはまるで春の陽気のような、花の甘い匂いのような、穏やかなものだった。
 あぁ、探し回っていた甲斐があった。少女の喜ぶ姿に獣は充実感を覚えた。同時に、獣はずっと疑問だったことを少女に問いかけた。
「お前、やはり耳が聞こえないんだな」
 獣の問いかけに少女は目を丸めて首を傾ける。やはり、その仕草だけで獣は確信した。
 だが、別の問題も出てきた。耳の聞こえない少女とどうやって会話をすればいいのか、我ながら肝心な部分が抜けていたなと獣は困り果てていた。
 お互いに見つめ合う一人と一匹。時々目を逸らしながら頭を掻く獣の仕草を見て、少女は再び獣の腕を揺すった。
「あゔぁでぅうぉりゃりゃえあ」
 突然の少女の言葉に戸惑う獣。子供らしい柔らかく甲高い声だが、その言葉を聞き取るには難儀な発音だった。
「あゔぁでぅうぉりゃりゃえあ!」
 何度も話しかける少女、獣は少女の言葉を聞き取ろうと大きな耳を立て、必死に耳を傾ける。幾度か聞いているうちに『あなたの名前は?』と話していることが分かった。
 だが、分かったところで伝える手段も、伝える名前も獣には無かった。
 迷った獣は首を横に振る。名前は無い、ということを伝えたかったのだ。
 その仕草を見て、少女は一変して悲しげな表情を見せた。哀れんでいる様でもない、名前が無いということは名前をつけてくれる存在が居なかったということ。獣の孤独に満ちた生涯を少女は感じ取っていた。
 少女は獣の腕を摩る。何度も、何度も。だが大きな身体を持つ獣にとって、それは身体を触られる程度にしか感じられず、少女の慰めの行為であることに気付かなかった。
「わぁだきゅるえ!」
 少女は獣に何度も話しかけた。徐々に少女の発音に慣れた獣は先程より早く『また来るね』と言っていることに気付き、少女に向かって頷いた。
 少女はそれを見て、再び目を輝かせて獣の腕に抱きついた後、籠一杯の植物を抱えて森を後にした。森の木々に隠れるまで少女は幾度も振り返り、獣に向かって手を振り続けていた。その姿を見守りながら、獣は少女の言葉を反芻する。
『また来るね』
 その言葉を思い出す度に嬉しさが込み上げてきた。
 明日に希望を持ったのは獣にとって初めての経験だった。来る日も来る日も、数少ない食べ物を探す毎日。飢えを凌ぎ続ける日々。そんな生活に変わりなくとも、孤独を埋めてくれる存在が明日も居てくれる。登り切った太陽はより一層輝きを帯びて見えた。
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