第16話:東日本大震災が起きた1

文字数 1,750文字

 そこで、連絡してくれるように3軒の鴨川の不動産屋に依頼してきた。その後、白浜から館山をドライブして、房総の東海岸を北上し、金谷港の近くのレストランで海鮮料理と魚のあら煮を食べて、そのおいしさに感動した。房総半島のドライブは始めてだったが、こんなに素晴らしい所だとは知らなかったと驚いた。そして、18時頃には、東京下町の実家に帰ってきた。その後、清水憲一は、清水質店の店長に店を売る場合の査定をお願いした。

 清水憲一が、自然環境の良くない東京を出て、房総の鴨川に住みたいと言い出すと、亀田総合病院の近くに,売り出してる古い農家を探し、120坪の土地に大きな農家と離れが併設され、昔の牛舎が、残る,土地付き築50年の木造住宅が1200万円で,売り出されているのを清水浩一が、見て、買うかどうか、迷った。すると父が、あわてない方が良いと告げた。

 リゾートの賃貸マンションの借りて、実際に、住んでから、考えた方が、安全だと助言した。それを聞いて確かに広い土地で、荒れ放題になっている状態を見た。そして自分が、高齢になって、草取りが、できなくなり、荒れ放題の土地にするくらいなら、マンションの方が良いかもしれないと思い始めた。
その後、4LDKの賃貸マンションは、ないかと不動産屋に連絡した。
 
 父の状態を見て、対象になりそうは、施設が、2つあることが分かり資料をもらってから検討することにした。こうして、2010年も12月を迎えた。
しかし、父の意向で、慌てないで、じっくりと考えて行動しようとなった。この年は、年初、熱海の温泉にいって、2泊して、ゆっくり休んできた。その後、三崎の先にも温泉が、あることが分かり泊まり込みで出かけた。

 すると探しておきますが、ない可能性が高いと言った。広くても2LDKまでかもといわれた。仕方ない、2LDKでも情報を送って欲しいと告げた。しかし、築30年以上の物件ばかりで、希望するよう物件は、一つもなかった。不動産屋さんに、その件を聞くと、東京から早くても2時間、特急列車でも3時間かかるので不便であり人気がないと率直に告げた。

 こうして2011年が、明けた。清水憲一と浩一とファミリーが、初詣に近くに神社へ出かけ、家内安全と商売繁盛を願ってきた。しかし、この時、清水憲一の下駄の鼻緒が、切れた。これを見て、今年は、何か不吉な事があるかもしれないから、十分注意して生活する様に父が、みんなに言明した。そのため浩一が、予約しようと思っていた温泉旅行をやめた。

 そして2011年1月上旬、日本列島付近で強い冬型の気圧配置が続き、西日本、日本海側で大雪を記録。特に鳥取県米子市では1日5時に観測史上最大となる89センチの積雪を記録。この影響で同日未明から同県米子市から琴浦町にかけての国道9号で約25キロにわたって断続的に車が動けない状態になり、自衛隊も災害派遣された。

 世界でも1月上旬、オーストラリア北東部クイーンズランド州で記録的な洪水、炭鉱の75%が、生産停止に追い込まれた。同じ頃、フィリピン中部や南部で、2週間以上続く豪雨で51人が死亡。1月中旬ブラジル南東部リオデジャネイロ州で起きた豪雨による洪水や土砂崩れで死者630人、行方不明者も多数出た。同じ頃、スリランカ北部・中部で豪雨による洪水で100万人以上が被災。

 2月3日、オーストラリア史上最大級の大型サイクロン「ヤシ」が、北東部クイーンズランド州のケアンズ近郊に上陸。行方不明2人、18万世帯停電、数千人が住宅を失った。このニュースをインターネットを通じて清水浩一は、聞いていた。そのため日本でも、大きな災害が起きなければと、心配していた。しかし、いたずらに不安をあおる訳にもいかず、静かにしていた。そして2月後半は日本付近へ強い寒気が流れ込むことがほとんどなかった。

 そのため全国的に気温が高かった。3月になり、3月11日を迎えた。宮城県は、3月になってから晴れる日が多くなっていた。これは、この時、東北地方が高気圧の通り道になっていたため。10日は、一時的に高気圧と高気圧の狭間で西高東低になって風が強まりました。しかし、明日11日はまた高気圧が進んできて、宮城県は風も弱まって穏やかな晴天になるでしょう。
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