Second Movement : Ending come suddenly

文字数 4,166文字

 昼下がりのショッピング・モールの三階は静かな時間が流れていた。
 四階のフードコートには遅い昼食か少し早いティータイムを楽しむ賑わいが有ったが、まだ学生達が姿を見せる時間でも無く、生活用品売り場は随分と空いていた。
「ねえ。こんな物だったら、別にスーパーの均一雑貨でもよくない」
「良くないですよ。スプーンはステンレスじゃないと錆が来ますし、お汁のお椀は塗装がすぐダメになっちゃうんですから。それに、タオルはそれなりのお値段で買わないと、耳の所が縮んで畳みづらくなるんですから」
 律子はまさにタオル一枚、スプーン一本の単位で生活用品を揃えようとしていた。
「別に、君は仕事が終わったら出ていくんだから……そこまでこだわらなくてもいいと思うんだけど」
「それでも、ひと月以上は間借りするんですから、このくらい常識の範囲内だと思いません?」
 カゴを持った律子と天津は静かに睨みあう。
「むしろ、居候とはいえ、客人に百円の食器とタオルしか出さない方が、どうかしてると思うんですけど」
 吐き捨てられた厭味に天津は目を伏せた。
「それじゃ、後はバスタオルになる大判のタオル探してきますね。石鹸皿なんかは百円でも、スポーツタオル程度のタオルならこういう場所で探さないと」
 律子は棚を眺め、男性の家に置いていても不思議の無いシンプルなタオルを探した。
(何で地味な方がお高いかなー……)
 きつい漂白を感じさせない穏やかな薄茶色のタオルと、白地にカラフルなパステルカラーのハートがあしらわれたタオルが並んでいた。
(でも、おっさんの家にハートのタオルは……)
 律子は頻繁に洗濯をするのも水道代の無駄だと考え、タオルは三枚か四枚ほど揃えたいと思っていた。だが、無地のタオルであれば、三枚買う事がためらわれた。
(まぁ、縦型だし、低水量で洗えば……)
 無地のタオルに手を伸ばしかけた時、白無地の薄いタオルに手を伸ばす男が居た。
「え……」
 律子は訝しげに天津を見上げる。
「三枚くらいいるんでしょ。だったら」
「でも、それ、かなり薄いですよ……」
「拭ければいいんでしょ?」
「いやいや、そんなの髪を拭いたらびっしょびしょですよ。せめてこれくらいの厚みはないと」
 律子はハート柄のタオルをつまんだ。
「でも、これ安いし」
「だから、安くてもそんなぺらっぺらのタオルじゃ駄目ですって」
「じゃ、こっち」
「え」
 天津は棚にあった四枚のタオルを掴み、籠に放り込む。
「あ、ちょっと」
「まだ、バスマット、買うんでしょ」
「そ、それはそうですけど」
「さっさと済ませよう」
 律子は籠に放り込まれたハート柄と天津を交互に見遣る。だが、天津は背を向け、バス用品売り場へと向かっていた。
「あー、もう」
 溜息の代わりに悪態を吐き、律子は足早に天津を追い掛けた。

 生活用品の買い物を終えた二人が吹き抜けを見下ろすベンチに腰掛けた星野の素に向かうと、星野は不思議と汗ばんだ様子だった。
「どうだ、要る物は揃ったか? バスマットの類、なんなら預か……」
 天津の後ろに続く律子が手にした物を目にし、星野は言葉を切った。
「……天津、おまえ、そんな可愛い趣味してたっけ」
 ハート柄のタオルや水玉模様のバスマットが押し込まれた袋に星野の視線は釘付けにされていた。
「だって、真っ白なタオルは薄いって言うし、珪藻土のマットは使いたくないって言うから……」
「だ、だって、無地のタオル高かったし、珪藻土って洗えないじゃないですか!」
 不機嫌そうに呟く天津に律子は肩を怒らせ、同意を求める様に星野を見た。
「いや、一応洗えるけど」
「石鹸と漂白剤使えるんですか?」
「いや、あれは水で洗って干」
「干すだけなんて気持ち悪いじゃないですかっ!」
「そ、それもそうだよな……」
 他人の足が触れれば、何だって同じではないのかと思いつつも、星野は律子の剣幕に押され、それ以上何も言えなかった。
「わ、私だって、男の人の家にハート模様とか、どうかって思いましたよ。で、でもこのタオルをカゴに入れたの天津さんなんですから!」
「……マジ?」
 星野はゆっくりと天津を見上げた。
「……おまえ、いちおー、乙女心っての、分かってたんだな」
 天津は星野から目を逸らし黙り込む。
 その様子に、律子は首を傾げた。
「……まぁいい。んで、まだ百均には行ってないんだな……俺はおもちゃ売り場行くから。荷物は預かっとくよ」
「え」
 天津は再び星野を見遣る。
「用がすんだら六階のクラスノ行ってるから、そこで待ってるよ」
「あ、いえ、先にクラスノに行って洗面器とか買うんですけど」
「そっか。んじゃ、先にそっち行くか。用が済んだら黒猫楽器寄っておもちゃ売り場行くから、百均行く前に声掛けてくれよ」

 買い物を終え、キャラクターグッズ売り場で星野と合流したところで、天津は律子に切りだした。
「悪いけど、先に帰ってくれる」
「え?」
 律子は困惑して天津を見遣った。
「ちょっと、楽器屋さん、行って来る」
「それはいいが……帰りのバス、大丈夫か?」
「多分……」
 星野はあからさまな不安を滲ませた表情で口を開く。
「……望月団地方面のバスならアパート南側にあるファンキーマートの近くのバス停に停まるはずだから、ファンキーマートで待ってりゃ迎えに行ってやるよ」
「うん」
 どこか上の空と言った様子で、乗車するバスを理解しているのかも疑わしいまま、天津はエレベーターへと向かった。
「あの……」
 呆気に取られた様子でそのやりとりを聞いていた律子は星野に尋ねた。
「あいつの事だ、なんか思いついたんだろう。それより、君も、アパートに戻るバスは覚えておきなよ。さ、荷物積み込んだら、もう一件買い物行って帰ろうか」
「スーパーですか?」
「いや。石鹸買いに行くんだよ」
「石鹸?」
「手洗い用の石鹸も無いだろ?」
「それじゃ、ドラッグストアですか?」
「いや、良い店があるんだ。ついでに教えてやるよ。さ、行こう」
 星野はカートを押し、駐車場へと向かうエレベーターを目指した。

 ショッピング・モールを出た星野が律子を連れて向かったのは、住宅街の一角にある商店だった。
 星野と店主の男性は知り合いで、曰く、店主は二代目。開業当初は自然食品や自家製酵母のパンを売っていたが、代替わりした今はエッセンシャル・オイルや石鹸など天然由来の雑多な生活用品を扱う店だと言う。
「今はベーカリーだのカフェだのが乱立気味で、この辺にも隠れ家カフェみたいな店が何件か出来てるし、食べる物を売るには最悪の立地になってるんですよ」
「それで、石鹸……」
「そう。近頃はナチュラル・クリーニングとか、界面活性剤フリーとか、変な所でエコブームだし、パン捏ね機を石鹸釜にしたのは正解だった」
 店の中には重曹や粉石鹸と並び、店主が自作した化粧石鹸やアロマキャンドルが所狭しと陳列されていた。しかし、その雑多な様子とハーブ独特の匂いが、律子には魔術道具屋の様に感じられていた
「ところで、天津君、引っ越ししたんなら、これ試してって渡してくれますか」
 店主は星野に小さなろうそくの入った箱を手渡す。
「なんだ? お灯明か?」
「あはは。確かに。見た目はお灯明みたいだけど、これはアロマキャンドルだよ。とは言え、こんなお灯明ならお線香いらずかな……お試し用のミニキャンドルだよ。植物にもアレルギーがあるから、いきなり大きなろうそくは勧められないんで、ミニサイズを作ったんですよ。木造のアパートじゃコンロも憚られそうだけど、今の物件なら大丈夫ですよね?」
「そうだな……それに、居候の子が一人居るし、良いかもしれないな」
「え? ルームシェアしてるんですか?」
「まあな」
「あのヤドカリがねぇ……」
「そうだよ。んじゃ、また来るよ」
「そうか。それじゃあ気を付けて……」
 店主が星野を送り出そうとした時、不意に、彼の携帯電話が鳴り出した。
 星野は携帯電話を取り出し、相手を確かめる。
 そして、ふと、嫌な予感を覚えた。
「悪い、先に車に乗っててくれ」
 星野は鍵を律子に渡し、店の裏手へと出ていった。
「もしもし」
『あぁ、星野君。時計屋の片桐だ。落ち着いて話が出来るか?』
 その言葉に、星野は何かを悟る。
「覚悟なら、もう出来てる」
『そう、か……なら、単刀直入に言おう』
――葉山弦一郎が死んだ。
 片桐はただその事実だけを、短く伝えた。

 ――まだ黒猫に居るか? 落ち着いて聞け。葉山さんが亡くなった。これから迎えに行く。そこで待ってろ。
 星野は天津に電話を掛け、厄介な事になっちまったと呟きながら、律子を乗せて来た道を引き返す。
 しかし、夕刻の渋滞に足止めをされ、元居たショッピング・モールに戻った頃には、すっかり日が暮れていた。
「天津」
「あぁ……」
 天津の事も弦一郎の事も良く知っている店主の計らいで、彼は店の奥に座っていた。
「葉山さん、死んだんだね……」
 開口一番、天津は無感情にそう言った。
「さっき、陽平さんからも、電話貰った。八時から、お通夜だって」
「なら、なんとか行けそうだな」
 天津は頷くでも俯くでもなく、茫洋と虚を見つめている様だった。
 星野はカウンターに顔を出し、店主に気遣いへの感謝を述べる。
「告別式の日取りが決まったら教えてくれるか? 弦ちゃんとは長い付き合いだったからな……今日は閉店まで店番だから遠慮させてもらうけど、当日には行くよ」
「伝えておきます。それじゃあ、俺達はこれで」
「気を付けてな」
 星野は会釈を返し、茫洋とした天津の腕を掴むと、駐車場へと急ぐ。
「寿栖木さんも無関係ってわけじゃないし、皆来るだろうから、付いて来てくれ」
「あ、はい」
 急ぐ男の歩幅に忙しない足取りで付き従いながら、律子はエスカレーターへと向かう。
「あ、でも、数珠とか」
「やるとしたらあの人はクリスチャンだし、無宗教式の音楽葬かもしれん。作法は後で教えるよ……って、献花の時、玉串と逆でよかったよな?」
 星野の問いに答える言葉は何も無かった。
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