俺たちには必要ない

文字数 1,458文字

 蒼生は脚立に登って、ひび割れた外壁にパテを塗り込んでいく。中学を出てすぐに働き始めた蒼生は、¥この手の作業が得意だった。蒼生の仲間たちが集まれば一軒家が立つだろう。
 下で脚立を支えながら、朔太郎は蒼生に呼びかけた。
「蒼生君、知ってますか? イエスの最初の弟子は漁師だったんですよ」
「ああ? だからなんだってんだよ」
「私、君が気に入りました。私の弟子になりませんか?」
「なんだよ弟子って」
「私は君たちに神の愛を伝えにきたのです。その手伝いをしてほしい」
「はっ。くだらねえ」蒼生は吐き捨てるように言った。「随分上から目線だな。俺たちみたいな哀れな少年にも愛の手を、って?」
「それは卑屈に捉えすぎですね。神から見れば、私も君も、人間としての存在価値に差はありません。みなさん一人ひとりが価値のある存在だと知ってほしいのです」
「そりゃ理想論だろ」蒼生は作業を終えて、脚立から降りる。「あんたが言うと嫌味にしか聞こえねぇぜ。そのツラだと女にも困んねェだろ」
「真面目に聞いてください。君たちのような将来有望な若者に、つまらぬ縄張り争いなどで人生を台無しにしてほしくないのです」
「だから? 神の愛で俺たちを更生させるって?」
「ええ。ですが私単独で君たちの中に入っていっても、容易には受け入れてもらえないでしょう。私には君の力が必要です──」
 蒼生は鬱陶しそうに手を降って朔太郎を遮る。
「悪りぃけど、俺、神様なんか信じてないぜ。別にあんたの信仰を否定する気はないけどよ」
「はあ。先ほどから気になっていたんですが、胸元のそれは何なんです?」
 蒼生ははっとして胸元を抑えた。身体を動かしているうちに首からかけた十字架が服から零れ落ちていた。
 蒼生はやや狼狽した様子で答える。「別に……キリスト教とかは関係ねえよ。連れの形見ってだけで……」
「君をミサに誘ったご友人のことですか?」
 蒼生の表情が変わる。
 蒼生は内心の動揺を気取られまいとするように、朔太郎に背を向けた。
「蒼生君?」
 やがて蒼生は、低い声で絞り出すように言った。
「……あいつがなんで神なんか信じてたのか、俺にはさっぱりわからねぇ」
「…………」
「どう考えたって神なんかいねぇだろ。いたとしても何の力も持たねぇ神だろうが」
 蒼生は振り返ると、少年の形見だという十字架を首から外して、朔太郎の鼻先に突きつけた。
 よく見ると、木彫りの十字架には血の痕がこびりついていた。
「連れはバッドヘッズの奴らにリンチに遭って死んだんだよ。顔もわかんねえような酷い状態で発見された。手ン中にこいつを硬く握り締めてよ」
 蒼生は十字架越しに朔太郎を睨む。
「死ぬ間際まで神様助けてくれって祈ってたに違いねえ。だけどあんたの神は俺のダチを見殺しにした」
「…………」
「誰よりも真面目で大人しくて、良い奴だったよ。それがなんで死ななきゃなんねんだ? なんでこの世界では死ななくていい奴が真っ先に死んでいくんだ。あんたの宗教はそれに答えられるのか」
「…………」
 朔太郎は答えない。
 蒼生は十字架を首からかけ直して、服の下に仕舞う。
「俺たちの世界に神なんかいるわけがねぇ。自力で生き残るしかねぇだろ」
「蒼生君、──」
 蒼生は先までつづけさせなかった。朔太郎の目を正面から見据えると、低い声で言った。
「俺たちにあんたの神は必要ない」
「…………」
 無言の睨み合いがつづく。

 先に視線を逸らしたのは蒼生のほうだった。
 背を向けて、聖堂の内部へ入っていく。
 朔太郎は辺りがすっかり暗くなるまでその場に佇んでいた。


つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

木城朔太郎(きじょう・さくたろう)

新任司祭。川崎特区の教会に赴任する。

久我山蒼生(くがやま・あおい)

川崎特区生まれ育ちの少年。

恭平
蒼生の仲間。蒼生を慕っている。

マサ

蒼生の仲間。

ユウキ

蒼生の仲間。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み