ケーキ屋×猫(後編)(終)

文字数 3,091文字

閉店間際、常連の親子が来店した。洋梨のタルトが好きなお母さんと、チーズタルトが好きなお兄ちゃん。妹ちゃんは、イチゴのタルトかショートケーキ。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
「おかーさん、俺チーズタルトねっ」
「かなちゃんはイチゴのやちゅっ」
こどもたちはそう言うと外に出て行ってしまった。
「車の方行かないでね!!」
お母さんが半ば諦めたように叫んだ後、注文を始めた。
「今日は何かお祝いですか?」
「あ、特別何かって訳ではないんですけど…強いて言えば、進級祝いですかね」
「あ、そうですよね、もう新学期ですね」
「年中同じ仕事してるので、こどもたちのおかげで季節を感じてますよ~」
「ふふ、わかります。私は季節を先取りして仕事するので、時々混乱しちゃって─」
もう仕事終わりと思うと、気も口も緩んでしまって、雑談も増える。箱を渡そうとしたその時、こどもたちが駆け込んできた。
「おかーさん!猫、猫いた!」
「ちっちゃいねこちゃん!」
「へーどこに?」
「車の後ろのとこ!」
「車まで行ったの!?」
「あ…」
「ねこちゃん

でねてるよ」
『…え?』
大人二人同じ反応になった。
“ 箱って? ”
「─ちょっと見てきていいですか?」
お母さん、多分同じこと考えてる。
「もちろんです」
案の定、駐車場の隅に仔猫が一匹捨てられていた。
“ いつの間に… ”
唖然としているところに、
「あの」
「はい!?」
お客様だった。一年位前に初めていらしてから、時々いらっしゃるサラリーマン風のお客様だ。初めてはデートの下見だったみたいで、2日連続で来たからすごく印象に残ってる。
「すいません、お店に誰もいなかったもので」
「あ、すみません。今日はもう私一人で…すぐ伺いますね」
「ええ…あの、捨て猫ですか?」
「そうだよ、俺が見つけたんだよ」
「かなちゃんが見つけたんだよ!」
「いいからっ」
お母さんがこどもたちをたしなめる。
「こちらも後で対応しますね、お客様、ケーキお渡ししてもよろしいですか?」
「え、あぁそうでした。あなたたち、猫ちゃんびっくりしちゃうから、絶対触っちゃだめたからね」
『はーい』
大人たちで連れ立って店へ戻る。その間私は内心パニック。
“ 保健所に連絡でいいのかな…それだと処分されちゃうんだっけ? ”
「あの」
「はいっ?」
「自分の実家─割と近いんですけど─猫飼ってて。弟がここら辺の病院とか詳しいはずなので、ちょっと聞いてみましょうか?」
“ あ、病院!にも行かなきゃなのね?”
「え、でもいいんですか?」
「多分家にいると思うので。ちょっと連絡してみます」
「すみませんありがとうございます!」
親子の分の会計が終わる頃、サラリーマンが戻ってきた。
「30分で来るそうです。僕は買ったら出なくてはいけないのですが」
「じゃあ、それまで私たちで見てましょうか?」
「え!?いえ、そんな、大丈夫です!」
「あ、いや、と言うか、多分こどもたちが帰らないと思うので、むしろ見ててもいいですか?」
「それなら…あ、ではケーキは冷蔵庫で保管しておきますので」
ケーキを箱ごとショーケースにしまい、サラリーマンの菓子折りの注文を伺う。用意をしながら
「お待たせしてしまってすみません」
「いえいえそんな。取引先が、こちらのお菓子大変お好きなんです。もちろん僕も。いつもお世話になってるのでお力になれればと思ったんですが…半端になってしまって」
「いいえいいえ、どうしたものかと困っておりましたので、大変助かります」
「あいつ─弟が30分と言ったら絶対それまでに来ますが、万が一の時はこちらに連絡いただけますか?」
サラリーマンは名刺をトレイに置いた。
「弟さんのこと信頼されているんですね」
「まあ有言実行なところは…少なくとも猫に関しては僕より頼りになります」
そう言ってから何か思い出した様に
「なのに約束は絶対しないって、ちょっと変わったヤツなんですけど」
可笑しそうにそう言ってサラリーマンは店を後にした。
それから急いで店を閉め、身支度をして。子猫を見ていてくれた親子にケーキと、お礼のクッキーを渡したところで車が1台入って来た。

 *    *    *    *    *

家に着くと、もうすっかり日は暮れていて、リビングの電気を点けた。
「ふうぅ~~~~っ」
疲れた……ものすっごく疲れた………。
今すぐソファで横になりたいところだけど、そういう訳には。気力をふりしぼって、リビングの一角に猫用のベッド、トイレ、水・餌を用意。ケースを開けて、そっと子猫を寝かせた。
あれから動物病院に行って、子猫は弱っていたけどケガはなくて、発見が早かったのが幸いしたねと先生が言っていた。特別な対処は必要ないということで、とりあえずうちに連れて帰ることになった。と、いうか選択肢がそれしかなくて。サラリーマンの弟という青年は、自宅から予備のキャリーケースやトイレ用品などを車に積んで来ていて、全て貸してくれた。飼うか譲渡するか決まるまで使っていいと言ってくれて。しかも飲食店だからと、毛を取るためのコロコロまで沢山持ってきてくれていたのにはびっくりしたけど、嬉しかった。離乳食も病院で買えたから、そのまま家まで送ってくれて、あの青年には本当にお世話になってしまった。
仔猫が離乳食を食べる姿をぼんやり眺めていると、今日の出来事が走馬灯のように思い浮かぶ。
“ そう、それで、ひとつ、不思議でおもしろかったのは ”
彼は自分の猫も乗せて来ていて、病院へ向かう間、その猫が子猫に付き添っていたのだけれど、運転中に時々後部座席に目をやっていた彼が突然『あ、大丈夫みたいですね』と言ったことだ。私を安心させようとしてくれたのかもしれないけど、妙に確信めいていて、飼ってる人はそこまでわかるのか、と思わず素直に感心してしまって。実際私はそれを聞いてほっとしたのだけれど。確かにあの猫は賢そうで仔猫をちゃんと守っているように見えたし、彼は自分の飼い猫を信頼しているように見えた。本当に何か通じ合っていたのかも。あの猫が舐めていた仔猫の背中をそっと撫でた。
「…またあの黒猫ちゃん、会えるかしらね」

食べた終わった仔猫はうつらうつらと眠りそうだ。その様子をしばらく並べていたけど、ふと我にかえって、たくさんのやらなくてはいけないことを次々と思い出した。レジ閉め、仕込み、ご飯、お風呂…。いつもの作業なのに、何から手をつければいいのかわからない。右往左往していると
「ミィ」
と仔猫が鳴いてハッとした。
“ あぁ、私、突然の非日常に浮き足立っているんだわ ”
混乱と困惑を、ようやっと心身ともに自覚した。そう、今私の世界の輪郭は崩れていて、どこまで拡げればいいのかもわからない。不安で動悸がする。私はこんなに変化に弱くなっていたの?
「ミャァ」
再び仔猫が鳴いた。その()を見ると不思議と落ち着きを取り戻せた。
「…そうね、とにかく、ひとつずつ、やれば終わるわ」

店から戻ると仔猫はぷぅぷぅと眠っていた。
ぼぅっと眺めながら、疲れた頭に、こういう時ユカならうまく対応したのかなという思いが(よぎ)った。常に

のある彼女なら。今度会ったら、上手く言えるかわからないけど、そんな話がしてみたいな。変化していくことを、笑って話せるようになったら。
自宅に─プライベート空間に─自分以外の生き物がいて、それの生活用品でインテリアの秩序は乱されている。望ましい状況では決してないのに、私はおのずとそれを受け入れ始めている。じわじわと、完璧だったはずの自分の世界が拡がって─変わって─、いく。だけど
「たまにはこういう日も、悪くないのかも」

3年に一回位で、いいけれど。

(終)

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