8・続日本紀

文字数 3,303文字

8・続日本紀
韓国に生まれ、長い間、住んでいたのに、古代百済の歴史について知らなかったことにユンハさん、なんども首をかしげていた。とても信じられないという表情だ。
「百済王が日本にやってきて地方の国主となったのはいつ頃の話なの?」とユンハさんが言った。
私は、カバンからノートパソコンのサーフェスを取り出した。
600グラムの重さで、少し大きな聖書と重さは変わらない。私は、続日本紀の画面を検索した。
そして、話した。
「朝鮮から日本にやってきた百済王敬福が陸奥守として多賀城に赴任したのは西暦749年、日本の暦でいうと天平21年、つまり今からざっと1270年前ということになるね。」

「私が教会の婦人会でミレーの落穂拾いの絵と韓国の徴用工の境遇が似ている話をしたとき、教会の田中さんが、古代朝鮮の歴史のことはイチローが詳しいからということをちょっとだけ言ったのよ。
きっとそのことがあって、私とイチローくんが話をしやすいようにとコーヒーの無料券をくれたのだと思うけど、違ったかしら?」
ユンハさんがコーヒーを飲もうとコーヒーカップを口にすると中身は空っぽだった。
「あら、飲んでしまったことを忘れてしまった」と言って、照れ笑いをした。
ユンハさんが席を立ち、お代わりのコーヒーを取りに行く仕草をして席を立ちかけたとき、私は右手を差し出して制止した。「私が行ってきます」と言って、急いで席を立った。
席を立ち、2~3歩、歩みを進めた時、足を止めて振り返り体を戻した。
「肝心なことを忘れていた。お代わりのコーヒー、何にします?」と訊ねた。
「なんでも、いいわよ。まかせます」と言った。
店のカウンターの方に向かって歩いているとき、店の向いにあるパイプオルガンの音色が輝きを増してくるように華やかな音色になった。弾いているのは藤枝くんだ。
 普段はやさしくておとなしいのに、パイプオルガンを弾くときには体を激しく動かす。
 クリスマスの音にふさわしい音色に耳を傾けることができるように、礼拝堂のパイプオルガンが響き渡っているときには店内の音楽が止まっている。まるで、外のパイプオルガンの音色に耳を傾けましょうと気を利かしているようだ。パン屋のコーヒーを淹(い)れてくれるカウンターの店員もまるで、パイプオルガンの音色をさまたげまいとして小さな声で私に訊いてきた。
「お代わりのコーヒーは何にいたしましょうか?」
私も小さな声で、「エスプレッソを2つ」と頼んだ。今度は有料のコーヒーだ。
エスプレッソ用のコーヒー豆を挽く時、音が漏れないように機会の周りをタオルで覆っていた。
だが、かすかに音が響いてくる。挽いた粉をエスプレッソマシンに取り付け、湯が出るとき、圧力がかかるためにプシューと小さな音がする。その音が響かないように店員が両手で覆う仕草をした。
 店員は気を利かしてくれている。
 店員がエスプレッソのコーヒー2つをトレイに載せたあと、小さな声で、
「エスプレッソです。」と言って差し出してくれた。
 店内にいる人が椅子を引くときに、音がしないようにソーッと引いているのがわかる。
 パイプオルガンの音が聞こえている時、喫茶店内はまるで、音楽を邪魔しないようなルールがあるかのように小さな声で話をしていた。中には話を止めて目をつむり耳をそばだてて聴いている人もいる。

コーヒーカップが載ったトレイをユンハさんの前に置いた時、パイプオルガンの響きが止まった。
エスプレッソのカップひとつをユンハさんの前に置いた。
「百済王が陸奥国の国主となっていた時代のことだけど?」と声をかけてきた。
朝鮮王の子孫が日本の地域の国主として活躍していたことはユンハさんにとって寝耳に水のたぐいの話のようだ。
無理もない、1200年以上も前の昔の話だ。
私は、百済の国が滅亡する前に百済の国を追われた百済王が朝鮮から逃れて日本に渡来してくる際、鉱山技師も一緒に連れてきた可能性があることを話した。そのおかげで金鉱山の鉱脈を探し当て、掘り当てた金を聖武天皇に献上し、そのおかげで東大寺の大仏殿が建立された。
 ただ、大量を金は陸奥の国の民を鉱山を掘るために徴用して掘削させたものだ。1200年前の鉱山だ。
 掘削技術も今とではまったく違う。落盤事故も多発していたことは容易に想像できる。
 韓国の徴用工が炭鉱などで石炭を掘削していた時には、坑道を支える支柱は鉄材が使われていた。だが、奈良時代に坑道の掘削を支える鋼材などあるはずがない。落盤事故により大勢の人員が失われたに違いない。
 掘った金を聖武天皇に献上し、百済王敬福は天皇に重用されさらに立身出世した。だが、金鉱山に徴用された多くの民は顧みられることはない。当時、鉱山に徴用された民は奴隷同然であった。
 百済王敬福が大仏殿の建立のための金を献上したあと、日本の国に反乱が起きる。
 大仏殿建立により、民衆が不満をいだき民が反乱したのだ。その中には、陸奥国の民も含まれるかもしれない。
だが、日本の記録に残っているのは、朝廷内の反乱だけだ。民からの反乱に乗じた朝廷の王族が朝廷に造反する。
だが、その造反は、天皇の知るところとなる。
 反乱の理由として続日本紀には次のように記している。「造東大寺。人民辛苦。亦是為憂」(巻二十)とある。「東大寺の造営で人民が辛苦を受け、多くの人々が憂慮している」という意味だ。
私が続日本紀の中の百済王に関する記録をおおまかに話すと、ユンハさんが私に訊いてきた。
「反乱が露見したあと、どうなったの?」
当時、朝廷に反乱したのは、小野東人ら五人が捕縛されたと記録には残っている。
そして、反乱を指導した五人の朝廷の人間を拷問したのが百済王敬福だ。
続日本紀には「拷掠窮問。・・・・・並杖下死。」(巻二十)と書いてある。
私は、ノートパソコンの続日本紀の文字を見せた。
「これって、昔の日本語の漢字でしょう。」
「そう、この漢字は、『拷問し厳しく問いただしたうえ、杖に打たれて何れも死んだ。』という意味だよ。」
と話した。
「百済王敬福が五人の人を拷問して殺してしまったの?」
「ええ、『杖下死』と記録に残っている。つまり『杖打って拷問し殺害した』と記録に残っている。」
「ずいぶんと凄惨な話ね。」
「私は、どうして、『杖打って拷問し殺害した』と記録に書いて残したんだろうかと思うんだよね。
きっと、殺した人が朝鮮人の百済王だったからではないかと私は推測しているんだよね。」
「太平洋戦争の時には、日本人が韓国人を徴用工として炭鉱で働かせ、1200年前には、逆に朝鮮人の王が日本人を徴用工として金を掘削させていたということになるのかしら?」
「韓国では、1200年前に消えた百済の歴史的記録はあまりないのだと思う。だが、百済王家は、朝鮮での滅亡後、日本に渡来し活躍していた時期があった。そのころの記録は、韓国にはなく、日本にだけ存在するのだと思う。
だから、韓国の方が、かつての朝鮮王家の百済王が日本の地方の国主として、さらには栄進して刑部卿として、現在の大臣級として活躍していた時代のことを知らないのは無理がないことだと思う。
 韓国の元大統領が言っていましたよね。韓国の従軍慰安婦や徴用工の恨みは1000年経っても消えないと。
すると、百済王のために金の採掘に動員されて日本の鉱山での落盤事故で亡くなった1200年前の奈良時代の日本の徴用工の恨みはどうなるんだろうと思ってしまうんですよね。いつも犠牲になるのは、弱い人たちであるのは、日本人も朝鮮人も変わらないような気がしますね。」
ユンハさんと私は、弱い立場であるがゆえに権力によって押しつぶされた人たちの悲しみについて話をした。
少なくとも今生きている韓国の従軍慰安婦や徴用工の方々のために、国家としてなすべきことは、国民を守ることであり、ミレーの絵のように、国の繁栄によって経済力を年金制度の充実によって救済する方法を検討していくのがいいのではないかと語りあった。

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登場人物紹介

私・イチロー(大学4年生)

ユンハ(韓国生まれ)

イ・ユンハ 韓国からの仙台の大学に留学している女性

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