第6話 サイドメニュー あの頃聞いたスプーンの音

文字数 6,970文字

家と土地をなくし無一文となった俺はフラフラと各地を放浪し、建築関係の日雇いの会社にたどり着いた。そこは過去も履歴書もへったくれもない会社だったが、日常的に暴力が繰り広げられていた。それは肉体的な暴力はもちろん、言葉の暴力や土下座の強要やお金の巻き上げなどといった精神的な痛みもあった。俺はそんな日々に嫌気がさして、結局そこを逃げ出した。


しばらくはパチンコで生計をたて、夜は公園や漫画喫茶で寝泊まりしていた。しかし、所持金も心許なくなり、仕方なくハローワークに行った。すると、そこで炊き出しをしている所を紹介された。ただで飯が食えて、寝床も確保できるのだ。

さっそく行ってみるとそこは一軒家で、本来は刑務所から出所した人間を社会復帰できるまで支援するための施設らしい。それでも、俺のような立場の人間も迎え入れてくれた。

そして、そこで出会ったのが里見という男だった。京都出身のこの男は俺の二つ年上。背丈が百九十センチを越し、体重が約百キロで、いかつく見た目はもろに堅気ではなかった。

里見は野球賭博でやらかして(何をやらかしたか彼は詳しく話さない)地元にいられなくなって、この土地にやって来た。雑で若干いい加減であるが、見た目とは違って陽気で気の優しい人物であった。

そんな彼とは馬が合い、一緒に行動することが多くなった。そこで知ったのが里見のある一面。彼はギャンブル依存性なのであった。炊き出しの施設に入居した当初生活費として一万円の貸し出しがあった。それで一月過ごすのだが(食事は三食出る。食事代は一日五百円であるが貸し出されたお金とともに生活が安定したら払うことになっている)里見はもらったその日にスロット(ジャグラー)で全額一瞬にすってしまった。困った彼は所持していたブランド物の小物やバックなどを売ってしのいでいた。

そんな俺達は生活保護を経てお互いに仕事に就いた。俺は工場で里見は生活保護を受けながら役所には黙っておっぱいパブの従業員をした。それで里見はその給料と生活保護のお金を全てパチンコや競馬やボートなどのギャンブルに使った。特にパチンコが大好きで彼の行き付けの店に俺はよく呼び出された。彼は夜の仕事だから日中は空いていたし、俺は日勤や夜勤といった具合だったから都合がつけばその呼び出しに応じた。

「この台を打ってくれ。俺はその隣を打つから。」

そう言って、里見は俺に一万円札を渡した。彼は当たりそうな台を複数確保して、儲ける確率を増やし、より多く稼ごうとしていた。それで俺を呼び出し、いわゆる代打ちを頼むのだ。当たりそうと言ってもあくまでも里見の予想なので当たらない場合もある。波に乗れば大儲けだが、複数の台に手を出す分、負けた時の額は大きい。俺としては一つの台に集中して注ぎ込んだほうがいずれ当たるだろうし、負担も少ない気がしたが、こればっかりはお互いの考え方だ。

俺もちょっとしたアルバイト感覚で里見の代打ちを引き受けた。大勝すればお小遣いが弾み、そこそこの勝ちなら飯を奢ってくれて、負けたら罵倒や蹴りが飛んでくる。

言われた台を打っていると、隣の台に座っていた里見が舌打ちをした。

「あかん。出だしで転覆や。」

里見はパチンコをしながらスマホでボートレースの中継を見ていた。

「頼むで。ボートで負けた分、これで取戻さな。」

しかし、里見に渡された一万円はなくなり、次の一万円札が手渡された。すぐにそれもなくなって、更にもう一万円。やがて、それも。里見の台を見るとちょうど赤保留リーチを外していた(青<緑<赤<金の順番で当たる確率が高くなる)

「もう、一錢ピーや!」

里見のお金が尽きたようだった。

「闇金で借りた金、全部なくなってもた。トイナナやで。エグいやろ?」

何やら用語を使っていて、多分利息のことを言っているんだろうけど、よくわからなかった。でも、ヤバいということは伝わった。

金もないし帰るわ、そう言って里見はうんざりした顔で肩を落とした。俺はその日は休みで暇だったので彼の車(里見が働いている店の後輩に安く譲ってもらったそうだ。役所に車を保有しているのがばれたら生活保護を切られてしまうのだが)に乗って里見のアパートに向かった。

里見のアパート(生活保護で紹介してもらったアパート)はパチンコ店から10分ほどだ。里見は部屋に入ると、すぐに服を脱いで、パンツ一枚になった。万年床に埃まみれのソファーとゴミか食べ物かよくわからない物が散乱しているテーブル、壁は薄くて、隣の部屋からは女の大きなあえぎ声が響いている。
「今日だけで10万負けや。頭おかしなるわ。」
そう言って、万年床の上に座り込んだ里見は頭を掻きむしった。巨体とでっぷりとしたお腹が揺れて部屋が軋んだ。
「キチガイの薬飲んで仕事まで寝るわ。ゆっくりしてけや。」
里見は財布に常備している彼の言うキチガイの薬(精神安定剤か?)を取り出して口の中に放り込むと、テーブルの上で置きっぱなしになっていたペットボトルのお茶を飲んだ。それから、横になると数分後にはイビキをかきはじめた。

AVなのか生身の女の声なのかわからないが、隣の部屋からのあえぎ声と里見のイビキに挟まれた俺は居心地は良くない。寧ろ悪くて耐えられない。里見はしばらく起きそうにないし、結局、暇で俺は自分のアパート(俺のアパートも生活保護で紹介してもらった)に歩いて帰った。



翌日もまた呼び出された。打つ台は昨日と同じで(昨日沈んでいるから今日は爆発するとのこと)、一万円札を渡された。俺はこのお金をどこで工面したのかは敢えて聞かない。怖いから。

俺の隣にまた里見が座った。二人とも今日は当たるには当たるのだが、いずれも単発で続かなかった。単発の場合は出玉が少なくて、その出た分もすぐになくなり、挙げ句に追い錢。やがて、また、

「一錢ピーや!」

里見は今日も顔面蒼白だ。

「使ったらあかん金使ってもうた。ボートでもすっとるし。競馬も当たらん。」

店を出て、里見は項垂れていた。俺自身も貧乏でどうすることも出来ず、彼に掛ける言葉もない。

「闇金から二社借りとる。店からも店の友達からも、どーしよ。」

俺や里見には過去があるから銀行はもちろん街金からもお金は借りられない。里見は明らかにピンチだが、俺には彼を救えそうにない。

「仕事あるし帰るわ。」

逃げるように、里見を置き去りにして、俺はその場から立ち去った。




次の日、里見からの連絡はなく、その次の日もなかった。その後、日勤の日が続き、それが終わって夜勤の週になった。依然、里見から連絡がなかったので電話をしてみた。しかし、繋がらず、日中に彼のアパートに行ってみた。

駐車場には里見の車がなかったが念のためインターホンを押した。やはり、反応がなく、嫌な予感がした。でも、どうしようもなく、彼からの連絡を待つことにした。

休みの日の夜に里見が俺の部屋にやって来た。今までどうしていたのか、聞いても返事が曖昧で、はぐらかされた。目も泳いでいる。でも、見た目は普段通りだし、別段、体の不調はなさそうだった。ただ、口数が少ない気がした。

「飯行こか。」

彼の車に乗ってラーメン屋に向かった。ラーメン屋では二人で無言でズルズルと麺を啜った。そこは(なぜか)俺がお金を出し、店を出て再び里見の車に乗った。里見は相変わらず話し掛けづらい雰囲気で黙って車を走らせた。俺の家とは逆方向だ。今は夜の十時を過ぎていた。パチンコ店はもうすぐ閉店で今から勝負はないだろう。

そんなことを思っていると彼は住宅街に入り、一軒の家の前で車を停めた。二階建ての普通の民家だ。

「誰の家?」

里見はそれに答えず車から降りたので俺は彼の知り合いに用があるんだろうと思って降りずにいた。

「なんしてんねん。はよ降りや。」

何をされるんだろう?

そんな不安があったが降りて彼の後ろに続いた。

保証人か、それとも怪しい商売か、いずれにせよ断るつもりだったが里見は玄関で靴を脱ぐと、かって知ったる我が家のようにドカドカと家の中に入っていった。

彼は玄関横の襖を開けて俺に入るように促した。怖いし躊躇っていると里見は呆れたように鼻で笑って部屋の中に入っていった。

仕方なく靴を脱ぎ、部屋の中に入るとそこは広い畳部屋だった。隅に仏壇が置かれていて壁の天井近くには遺影がずらりと並んでいる。中には軍服を着た遺影もあって、どうやら仏間のようだった。そして異様なのは部屋の中央にパチンコ台が一台だけ設置されていた。

「なんじゃこりゃ?」

俺は思わずそう言ってしまった。パチンコ台には電源が入っていて画面にはアニメのロゴやそのキャラクター達が映し出されている。里見は驚いている俺がおかしいと言わんばかりに笑うと投入口に一万円札を入れた。

「何ここ?誰の家?」

見回したが俺と里見以外にこの部屋にいない。

「いいから、気にせんとはよ打て。」

気にせずにはいられなかったが、とりあえず台の前の椅子に座った。

闇パチンコか、レートはいくらだろう、などの疑問点が山ほどあったが貸し出しのボタンを押すと普通の四円パチンコ分の玉が出てきた。

里見は俺の後ろに立って俺が打つのを見守っている。彼は案外オカルト的なことを気にする。里見は実は某宗教団体に入信していて、それは親の代からだそうだが、彼独自の感性でツキを見極めて、人に打たせたり、自分で打ったり、はたまた台を殴ってカツを入れたりする。彼の拠り所がいまいち掴めないのであった。

腹を決めて十円玉をハンドルに差して固定した。ハンドルを握り、玉が中央下のチャッカーに一番入りやすい位置を探して調整ていく。サウンドがびっくりするほど大音響で響いたので最小までメモリを下げた。

その台は世紀末を舞台にした有名な格闘アニメの機種だ。里見の一番好きな台でもある。

淡々と時間が過ぎて玉が飲まれていった。リーチ(同じ数字が二つ揃うこと。三つ揃えば当たりになる)は来るがアツく(当たる可能性が高いことを示す演出)なくて回転数だけが増えていく。いつしか俺ものめり込んでいて、この家に来たときの疑問も消し飛んでいた。ちらりと里見を見ると虚ろな顔で台を眺めている。負けが込んでいるときの顔だ。里見が後ろから三枚目の一万円札を投入口に入れた。

「これで最後やで。」

静かなるその口調は苛立ちを物語っている。俺も何とか当てたかったが確率の問題だ。運もある。種類は色々あるがこの台の当たる確率は三百十四分の一。当たらない台は千回回しても当たらない。それがパチンコなのだ。

やはりどんどん玉だけが減っていき俺と里見間にどんよりとした空気が蔓延する。最後の五百円分の玉を貸し出し残り玉はおけの中だけだ。過去の大負けした日々が頭の中でフラッシュバックして、それは里見も同様らしく、二人で一緒に暗澹たる面持ちになった。

あたっ!

そのとき台から主人公の叫び声が聞こえて液晶画面では数字の七(七は当たりが来やすい)がテンパイしていた。キャラクター達が賑やかな演出を繰り広げ出し、その演出はゲキアツ(かなり高い確率で当たりがくることを示す演出)を意味する。俺の心臓の鼓動が早くなり、ハンドルを握る手がじっとりと汗ばんだ。里見も真剣な眼差しでいる。

長い演出を経て、やがて通常なら押しボタンを押す場面まできた。それは主人公が捕らわれたヒロインを助け出す演出で、ボタンを押せば判定が出る。(実は台の内部ではすでに当たり外れが確定している)その台のボタンが振動しながら競り上がってきて押しボタンからレバーに変わった。レバーを引く演出は更にゲキアツなのだ。

里見が俺の肩に手を置いた。その手には力が込められていて心なしか痛い。俺は振り返らず、当たりを確信しながらレバーを引いた。これが当たらないはずがない。





パシッ
と画面がひび割れて薄暗くなった。主人公はヒロインを救いだすことが出来ず、一人でへたり込んで項垂れている。数字は七、六、七になっていて外れを表していた。思わず振り返って里見を見ると彼は諦めた表情で「ふっ」と笑った。だが顔面は蒼白だ。俺も画面上の主人公の如く首を落として大きくため息をついた。




すると突然、大きなファンファーレが鳴り響いた。台の画面は明るく輝いていて、笑顔の主人公とヒロインが抱き合っている。数字は七、七、七と三つ揃っていた。これは外れたと思わせて実は当たりだった、という演出なのであった。とにかく心臓に悪い演出で気の短い奴なら台をカチ割るかもしれない(実際俺も過去に実行しそうになった)俺にとってやめて欲しい演出の一つであった。

里見は俺の肩を揺すって喜んだ。今度は確実に肩が痛い。しかも七なら確変で当たりが続くのだ。

その後、やはり当たりが続いて出玉が止まらず流れていく。気が付けば五万発以上。一玉四円なので約二十万円になった。注ぎ込んだ分を差し引いても大勝だ。

「ありがとうな」

そう言って里見は台から出玉がデジタル化されて入っているカードを取り出した。

いつの間にか仏壇の前に和装したおばあちゃんが座っていて、里見はそのおばあちゃんにカードを渡した。顔がしわくちゃで目が開いているのか閉じているのか分からない。寝ているのか?と思ったがおばあちゃんはカードを受けとると仏壇を開けてカードを置いた。
南無阿弥陀仏….むにゃむにゃと祈り、胸元からお札のような紙を取り出して里見に渡した。

「換金してくる。車で待っていてくれ」

先に里見が部屋から出ていき、俺は勝利の余韻に浸って、しばらく椅子の上で放心していた。しかし冷静になると勝ったのは里見であって俺ではない。それでも手当てというかお小遣いくらいはくれるだろうし、何よりも楽しかったのだ。

気が付けばおばあちゃんはすでにおらず、部屋は自分一人だ。仏壇からは線香の香りがただよってきた。なんとなく、心細くなったので椅子から立ち上がって部屋を出た。

やはりここは不思議なところで家の奥のほうは真っ暗だ。玄関先には階段もあったがその上もやはり暗くて物音一つしない。

薄気味悪いので、足早に家を出た。

車の中で待っていたが里見はなかなか来なかった。十分、二十分と時が経ちそれでも来ないので「トイレかな」と思った。そこで俺も尿意を感じて車を出た。

里見は糞が長いからな、そんなことを思った矢先にぎょっとした。家の前には草が生い茂っている。さっきまでこんな状態ではなかったのに。しかもパチンコをしたあの家は朽ち果てていて、出入口のほうは崩れかかっていた。見上げれば窓ガラスは割れていて屋根瓦もあったりなかったりとぼろぼろだった。

呆気にとられて呆然としていた。すぐに怖くなって里見の車まで走った。しかし、そこには里見の車はなくて、代わりに錆びだらけの軽トラが佇んでいた。軽トラにはタイヤが一つだけしかなく、傾いていて明らかに廃車だった。

里見に電話したが出なくて、耳を澄ますと微かにメロディーが聞こえた。家のほうに戻るとパチンコでよく聞く戦国時代の歌舞伎者を主人公にした台のテーマソングが聞こえてきた。里見のスマホの着信音だ。それが家の二階辺りから聞こえる。

草をかき分けて玄関にたどり着いた。中の柱が倒れていて出入口をふさいでいたが隙間があったので腰を屈めて中に入った。

スマホで辺りを照らした。中は埃まみれで床がほぼ抜け落ちていた。

「里見さーん!」

暗闇に向かって叫んだが返事はない。

仕方なく崩れ落ちそうな階段に向かい踏み外さないようソロリソロリと上った。

二階は更に荒れ果てていて、箪笥が倒れていたり、本や新聞紙が散らかっていた。薄汚れたダブルのベッドがあり、そばには小さなテーブルが置かれ、テーブルの上に里見のスマホがあった。その奥に観音開きの大きな洋服箪笥がある。

俺はその洋服箪笥に近づくと意を決して観音開きの扉を開けた。

バタン!

ハンガーには婦人用の服がびっしりとかけられていて、その隙間から人が倒れてきた。手足をロープで縛られていて口元には粘着テープがぐるぐる巻きに貼らている。それは里見だった。真っ裸で顔や瞼が腫れ上がり身体中痣だらけだ。

まさか、と思って体を揺すって呼び掛けると、うっすらと目を開けた。

良かった、生きてる……

「おぉ…ありがとうな…」

里見は俺を見ながらか細い声でそう言った。





後日の病院。里見を見舞いに行くと彼はベッドの上で胡座をかいてスマホを見ていた。

里見は丸一日監禁されていて、その犯人は捕まっていない。彼自身は何か知っている風だったが自業自得なのもあるのだろう、何も言わなかった。

あの夜のことはなんだったんだろうか。里見は前日から、あの場所て監禁されていた。では、俺の家に来たのは?あのパチンコは?全て夢だったのだろうか?摩訶不思議な感覚に考えても考えても納得がいきそうもなかった。それに、もし負けていたらどうなったのであろうか?


里見の生き延びたい願望がああいった現象を起こしたのだろう、と俺は結論づけることにした。

「あかん、勝負かけた途端、転覆や」

里見はスマホを放り投げると、仰向けに寝そべった。丸切り懲りていないらしい。

「退院したら、あの台で勝負やで。次は勝つぞ」

里見は長生きするな、
と俺は思わず笑ってしまった。(しかし俺の予言は外れてしまうのだが、その話はいずれまた。)
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