#15 鉢合わせ

文字数 5,276文字

 どうして僕はその考えを持たなかったのだろうか。
 もしかしたら認めたくなかったからなのかも。
 最初はトワさんのことをとんでもない人だと思っていた。
 でも彼女の行動力に助けられているうちに僕はいつの間にか彼女のことを信頼しはじめていた。
 ただ一方で、個人的な恨みがあったとはいえトワさんがあの男性を殴りつけた衝撃はいまだに僕の中にもやもやとこびりついたまま。
 それなのに今なお心のどこかで彼女のことを信じ続けられる特別な事情を探そうとしている。
 いや、僕はちゃんと現実に向き合わないといけない。
 僕はここへ、あいつを……トリーを助けに来たんだ。
 そのためには、冷静に可能性を拾っていくことが大事なのに。

 裏切られたとか、頭を切り替えるとかじゃなく、あくまでも可能性の一つとして……「ヤツラ」というのは最初に会った瑛祐君やトワさん達の方で、僕はいつの間にか「ヤツラの仲間」にさせられていたのだとしたら……例えば「ヤツラ」はあの鏡には直接触れる事はできなくて、それで僕を利用したとか……うわ!

 僕のすぐ横を鹿の頭が飛んで行った。
 とうとう投げつけてきたかと思ったら、振り回そうとしたところを羽交い絞めにされてすっぽ抜けた感じ……もちろん羽交い絞めしているのは……。

「母ちゃん! オレだよ、瑛祐だよ!」

 中の人はやっぱり瑛祐君だったか……その彼が、女の肩をつかんで一生懸命語りかけている。
 僕は自分の中の疑念を一つ晴らすために、そんな彼らに語りかけてみた。

「瑛祐君……僕のことを覚えてる?」

 彼は視線を僕に向けると、怪訝そうな表情でこう答えた。

「……ツアーの人?」

 僕は、予測していた以上にショックを受けている自分に出遭った。
 いやいや、冷静にいくんだ。
 冷静に。
 真実を浮き彫りにするために仮説の一つに白黒つけただけだ。
 そう、そういうことなら優先順位は……僕は深呼吸をしてから走り出す。
 トワさんが走り去った方向へと。

 彼の反応は僕のこれからの行動にとって大きなヒントになる。
 逆に今まで「正」だと思っていた情報も、その全てとは言わないが「偽」だと思う必要も出てきた。
 そんな中で確実にわかっていることは一つ。
 「ヤツラ」が誰かなんていうのはこの際後回しでいい。
 「僕を知らない瑛祐君」に事情を説明するのは時間がかかる。
 とにかく何よりもあの鏡がとてつもなく重要なキーなんだってこと。
 僕はまずあの鏡を取り返す。
 その上で、自分の身を守りつつトリーを見つけ出す。
 目的はシンプルな方がいい。
 何もかも拾おうとせず一番大事なものだけを最優先にして……あとはあとだ。

 ゾンビハウスの大きな窓に映る自分の姿と一緒に走る。
 風が強いから、草むらにトワさんの通ったあとは残ってはいない。
 彼女はどこへ行った……その行方を考える。
 ゾンビハウスの中に入ったか、もしくはアクアツアーを戻ったか……待てよ。
 彼女が「塞がっていた」って言ったホラーメイズこそ怪しくないか?
 ミラーハウスのすぐ近くにつながっているんだし。

 ……ギィィィィィィ……ギィィィィィィ……。

 ゾンビハウスの正面側まで戻ってくると、回転扉が回っていた。なかなかのスピードで回っているけれど、電気来てないはずだよね……風で?
 この風の強さは台風が近づいてきているからかな。
 そういえば前に動画サイトで台風で回り続けている回転扉を観たことがあったな。
 回転扉のすぐ手前におそらくさっきの鹿のものだと思われる胴体……首なし死体が転がっている。
 死体があまりにも回転扉に近いから、回転扉であの鹿の頭をねじ切ったのかとさえ感じるほど。
 まさか、鹿の死体が挟まっていたのはストッパー代わり?

 風で回っているのなら勢いがつくまでに時間がかかるはず。
 何かを挟んでいったん止めれば、最初の数回は普通に通り抜けられるんじゃないかな。
 でも、首なし鹿を動かして回転扉へ挟み込むほどの根性は僕にはなくて。

 トワさんは灯りを持っているし運動神経もかなりよさげ。
 時間が経てば経つほど追跡が困難になる。
 迷っている暇はないよな……って結局迷っているじゃないかと自分ツッコミをしたちょうどそのとき、声が聞こえた。ゾンビハウスの中からだ。
 その聞こえた声はトワさんの声にとてもよく似ていた。
 逃げている人が声を出すってのは、後ろから来る味方に居場所を知らせるってよりは、何らかのトラブルでつい出てしまうことの方があり得そう。
 トワさんが敵にせよ味方にせよ、彼女がもし何者かに攻撃されたのであれば、彼女の持っている鏡がその何者かの手に渡る恐れがある。
 急いだ方がいいのは間違いない。

 ……ギィィィィィィ……ギィィィィィィ……。

 回転する扉が開いては閉じ、閉じては開きを繰り返している。
 腕を巻き込まれないよう細心の注意を払いながら、回転扉が閉じる直前の隙間へ僕はマグライトをねじ込んだ。
 ものすごい衝撃が手に加わりマグライトが宙を舞う。
 手首に巻き付けておいたストラップを外しておかなければどうなっていたことか。

 回転扉は止まっ……たようだが、もう既にゆるやかに廻りはじめようとしている。
 辺りを探すとくの字に曲がったマグライトが見つかる。
 それを拾い上げて再び握りしめた僕は、回転扉の内側へと踏み出した。

 ……ギィィィィィィ……。

「うわっ」

 地面にぬるっとした感触を覚え、あやうく転びそうになる。
 暗くてよくはわからないが血溜まりができているのかも。
 足元と回転扉の速度とに注意を払いながら、扉の流れに乗り、そして僕はとうとうゾンビハウスの中へと入り込んだ。

 ガラス窓が多いとはいえ、外の月明かりだけでは室内の様子はそれほど詳しくはわからない。
 入って正面はバーのようなカウンター席だが、窓際は全てボックス席。
 回転扉の手前には、扉を止めるのに使ったのだろうか配膳用ワゴンのひしゃげたのが転がっている。

 店内の作りは外見同様80年代アメリカンのような感じ。
 ジュークボックスやピンボールマシンのようなものもあり、そして何より際立っているのが等身大フィギュアのようなもの……目が慣れてきたから分かるがこれ……洋物ホラー映画のキャラクター?
 チェーンソー持ったホッケーマスクの大男や、長い爪をつけた帽子の男、首から上だけ真後ろ向いている少女、カウンターの上のこのナイフ持った人形、チョッキーだかなんだかいう名前だっけ。
 触れた感じの質感からすると全て蝋人形のようだ。

 はやる気持ちはあるのだが、灯りがないと目が慣れるのを待たないといけない。
 もしもトワさんが何者かに襲われたのであれば、そいつは僕にだって襲って来るかもしれないからだ。
 お、もしかしてこれか?

 そろそろ闇に馴染んだ目で見つけたのはカウンターの端、葬式の道案内とかに描かれる指さしマーク……アレをリアルな立体で作ったやつ。
 千切れた手首の部分もリアルに作り込んでるっぽい。
 おそらくこれはゾンビロードへの道案内。
 あれから風や回転扉の音以上の物音は特に聞こえない。

 手探りで進むしかないよな……リュックを奪われたのは色々と痛い。
 マグライトが壊れていても、ほぼフル充電状態のスマホが入ってたんだ。
 灯りは自分の居場所を知らせてしまう恐れはあるが、灯りなしの不安感ったらない。

 ミシ……。

 それに加えてこの音。
 裏口から聞こえた音か……でも、だからといって進まないって選択肢は今の僕にはない。

 ミシ……。

 胃を削りそうな音。

 ……ミシ。

 どう体重をかけても鳴るか。

 ミシ……。

 勘弁してほしい。

 ……。

 お、ミシミシ床ゾーン抜けたか?
 しかもそこ曲がり角だよ。
 思わずため息が出そうになる。
 廃墟で、暗闇で、誰かが居そうで、それはしかも襲って来るかもしれなくて、そんなタイミングで曲がり角。
 だけどここで逃げる選択肢は選びたくない。

 ひしゃげたマグライトを握りしめて……深呼吸して……曲がり角を……曲がった。

 拍子抜けするくらい何もない。
 いや、あえて言うならなだからなスロープがある。
 そしてそのスロープの先、また曲がり角になっていて、しかもほのかに明るい。
 もしかしてあそこから先がゾンビロード?

 僕はそのスロープを降りて行く。
 何かが出ても嫌だし、こうやって何も出てこないのもそれはそれで神経をすり減らす。
 もしかしてトワさんの声が聞こえたって、僕の幻聴だったのかな?

 そのまま何ごともなく、明るい曲がり角のちょっと手前までスロープを進む……と、なんか見えた。
 人影というか、ゾンビというか、ゾンビメイクのマイケルというか。
 しかもスリラー当時のマイケルじゃなく、最期の方の偽白人みたいになり果てたマイケル。
 いくら蝋人形だとわかっていてもこれは怖い。
 これが突然動いたら心臓止まるかもしれない。

 勇気を振り絞って曲がり角まで行き、そしてマイケルに背を向けて角の向こうを覗いてみた。

 ゆるやかに傾斜する細長い通路の左側に蝋人形、右側にポツン、ポツンと鉄格子付の窓。
 恐る恐る窓から外を覗いてみると、改めてこの『新大陸エリア』の高さを再確認させられる。
 そしてこのゾンビロードが壁伝いZ字状に古の土地エリアまで続いているとわかるのは、この通路の屋根と思しきものがジグザグと見えているから。
 それだけじゃない。
 ここからは、入り口正門から入ってすぐのあたりが全部見渡せる。

 正面ゲート入ってすぐ、まずは広場があってからの血まみれブランコ、地上高くで遠心力でぐるぐる回されるやつ。
 その隣のアトラクションも血まみれネーミングつながりの血まみれティーカップ……だったはず。
 そしてあっちの奥にある洋館は魔女のホウキか……ここ、見張るのにとても良い場所じゃないか。
 この窓のすぐ後ろで圧迫感のあるアメリカの有名人ゾンビ達な蝋人形さえなければ。

 でもなぁ、なんというセンスか……このスカートまくれあがってパンツ見えてるゾンビはもしかしなくともマリリン・モンローだと思うけど……どういうニーズに応えてるんだよ。

 なんだ?
 少し離れた場所で、声みたいなのが聞こえた。
 それもトワさんの声に似ている。
 ゾンビハウスの方だ。

 僕はひん曲がったマグライトを構えながら、再びゾンビハウスへと戻ることにした。
 その矢先だった。
 ゾンビハウス側の曲がり角で、誰かと鉢合わせした。

「うわわ……誰ですかっ?」

 日本語が返ってくることを期待しつつも、マグライトはいつでも振り回せるようにしておく。

「そっちこそ……ヤツラとは違うようだが……参加者じゃないな?」

 若い男の声だった。
 顔は見えないが、警戒するように軽いフットワークで体を動かしている。
 細マッチョな気配。

「参加者ってツアーのですか?」

「他に誰が居るんだ? 怪しいな。里帰り組か?」

「里帰り組?」

 そうか。
 僕は「ヤツラが仲間を増やす」ということを今回のことだけで考えてしまっていたけれど、過去に増やした仲間が他に居る可能性、そいつらが戻ってきて向こうに加勢する可能性ってのも考えなきゃいけなかったのかもしれない。

「とぼけているのか? とりあえず名前と干支を言ってみろ。3……2……」

 カウントダウンとか、どんだけ高圧的なんだ。

「あ、赤間風悟だ。干支は」

「てめぇか!」

 僕が回答し終えるよりも早く、細マッチョは突進してきて僕の胸ぐらをぐっとつかんだ。
 今なら窓の外からの光で彼の顔が見える。
 怒りに歪んだその表情が……なんでこの人はこんなにも怒っているのだろうか。
 ヤツラの側ではないような口ぶりではあるけれど……。

「な、なんですか、急に」

「とぼけんのかよ!」

 いや、まったくもってわけがわからないんだけど。

「こっちは名乗ったんだ。そっちも名乗ってくれよ」

 情けないことに自分の声が震えているのが分かる。
 細マッチョはそんな僕を睨み付けながらこう言った。

「俺の名前はエナガカツマ」

 ……エナガ!
 それってトリーと一緒に逃げたっていうイケメンっていう。

「ああ、君がエナガさんか。じゃあ、トリー……相模トリーネも近ぐっ」

 しゃべっている途中でつかまれている胸ぐらをされに締め上げられる。
 この人はなんでこんなに怒っているんだろう。

「てめぇがその名前を出すんじゃねぇぇぇ!」

 なんなんだよ。
 このエナガという男はいったい何者……まさかトリーの……俺にナイショで彼氏が居たのか?
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