#20 好きと言う資格

文字数 4,963文字

「なあ、トリー……僕の体を使うことはできないか? 僕の中で一緒に生きていくことはできないか?」

 僕が居なくなったら、会社にも取引先にも迷惑はかかるけれど、でも代わりの人がちょっと苦労してでも仕事を引き継げる。
 でも、トリーは……トリーの言葉は、替えがきかないんだ。

「フーゴ」

 急にトリーが僕から離れた。

「手紙じゃなく声で、お別れができて良かった」

 本当に救えないのか?
 だって、今はまだトリーは生きている。
 僕はトリーを救う方法を考える。
 考えなきゃ。
 きっと何かあるんだ。
 だってこんな力を持ったアイテムが今、僕の手の中に……。
 僕は完全にトリーしか見てなかった。
 僕のすぐ横に、いつの間にかエナガが立っていて、僕の手から白い方の手鏡をスッと奪った。
 そして鏡を僕の方に向けて……視界が急に真っ暗になる。
 しまった……完全に油断していた。
 今、僕は片目じゃなかったような気がする。
 次に遅れて痛みが僕の額と首とにやってくる。
 これ、もしかして「体」から「中」が剥がされる痛みなのかな。
 ジンジンと増してゆく痛みの中で、この僕の体を、トリーにならあげてもいいな、なんて……ぼんやり考えていた。

「ちょっと! 風悟さん、いつまで寝ているのよっ」

 あれ、なんでトワさんの声が聞こえるんだ?

 目を開いてみる……と……開く?
 そしてこの額と首の痛みはいったい。
 というかどうなって……トリーとトワさんとが僕の顔を覗き込んでいる。

「仕方なかったのよ。誰かさんは彼女に逢えてデレデレで、エナガがまんまと鏡を奪ったのに気づかなかったし、私が蹴とばしてさしあげなかったら、今頃その誰かさんは鏡の中だったんだから」

 理解した。

「で、エナガは」

「っつーか、エナガじゃなくてアレ多分中身はキチ野郎だよ。これさえあればあたしを自分だけのモノにできる、とかキモイことブツブツ言ってたから」

 その言葉は僕に深々と突き刺さる。
 頭では理解してても、心では理解してなかった。
 トリーが今までどれだけ、相模治恵の体を使っていることで苦しんできたのか、を。
 そのエナガの後ろ姿が見えた。ミラーハウスの方へ逃げているのか?

「フーゴ、あの鏡がないと、囚われた人たちを解放できない」

 僕とトリーは同時に走り出す。

「ちょっと、あたしをおいて行かないでよねっ」

 僕とトリー、そしてトワさんの三人でエナガの体を追いかける。

「他の人たちはっ?」

「解放されれば皆……元あるべき所へ還るから……」

 元あるべき所。
 この言葉は、今の僕には響きすぎる。
 トリーとこうしてほんの少しでも一緒に過ごせる時間が増えたのは嬉しいけれど……僕は、そのトリーの魂を、僕がずっと「トリー」と呼んできた体から引き離すために走っているのだ。
 苦しいという言葉では表しきれないくらいに苦しい……けれど。
 そんなものは僕の中だけの苦しみ。
 僕が苦しくとも、トリーの中の苦しみは終わらせることができる。
 それが唯一の救い。

 魔女のホウキと血まみれティーカップとの間を走り抜け、ナイトメア・ザ・メリーゴーラウンドの前まで来た。
 エナガの後ろ姿は……ミラーハウスに向かってる?

「トリー、あの手鏡って、もしかしてミラーハウスの二階から持ってきたの?」

「そう。あの部屋はもともとお城の中にあった部屋。領主の娘の部屋の鏡台は、当時から中に手鏡をしまえるような仕掛けがあったの」

「詳しいのね」

「仕掛けを造った人から直に聞いたから」

「あと、鏡ってもしかして両目で見ないと効果なかったりする?」

「……わからない。でも、確かにネイデさんには効果なくってモメていたわ」

「あたしからも質問いい? あの鏡を鏡に映したのは見ても大丈夫なの?」

「……ミラーハウスの……あの白い鏡は、マジックミラーの裏に隠してあったのは見た事あったけれど……ごめんなさい。そこまでは」

「そっか。マジックミラーごしに鏡を見ても効果があるなら、鏡を見る側じゃなく、鏡の側が両目を映すって方法なのかな」

「そんなこと、考えたこともなかった。ハインリヒは距離とか研究してたみたいだけれど、私たちはただ、普通に鏡を見てきただけだから」

「そのハインリヒって誰?」

「私たちの指導者。本物の魔女の恋人だった人」

「本物の魔女? 恋人?」

 トワさんの質問が止まらない。
 でも今はその方がいいのかもしれない。
 僕は自身の未練がましさを抑えるのにせいいっぱい、だから。

「本物の魔女はあの鏡を創った人。そして私たちはニセモノの魔女。魔女という烙印を押され、財産を奪われてただただ殺されてゆく……はずだったの」

 トリーの、体験者としての生々しい告白を耳にした僕とトワさんはつい立ち止まってしまった。
 話の端が見えた……おそらくトリーの言っているのは『魔女狩り』のことだろう。
 歴史の教科書の中でしか知らず、決して経験などし得ない言葉。

「フーゴ、トワ、なんで立ち止まるの? 早く追いかけないと……ハインリヒはリーダーだけれど、誰もが心から従っているわけじゃない。ちゃんと死んで、もう楽になりたい人や、生まれ変わって自分自身の体を手に入れたい人もいっぱいいるの。ハインリヒが鏡の中に戻っている今しか、こんな機会はないんだから」

 僕は馬鹿だった。
 トリーがどれだけ長い間苦しんで、どれだけの想いをしまいこんで、相模治恵の体で生きていたのか。
 なんであのとき、僕はすぐに鏡を合わせなかったんだろう。
 自分のちっぽけな想いの中に浸って、トリーの気持ちを考えなかった僕に、彼女を好きだなんて言う資格はないんだ。

「追いついたわ」

 背後から突然の女性の声。
 驚いた僕らが振り返ると、そこにはネイデさんが居た。

「手伝いにきたのよ」

「ネイデさん、心強い! でも、向こうの人たちは?」

「みんななんだかぼんやりとしていたわ。何をしていいのかわからないという様子で……でも、こちらへ向かってきている」

「よし。さっさとキチ野郎とっつかまえるよっ!」

「問題の人はどこに居るの?」

 僕もトリーもトワさんもお互いの顔を見合いながら黙っている。
 マジか。
 今のやりとりの間に三人ともエナガを見失っているっていうのか!

「あー、もう!」

 トワさんが叫んだ。

「二手に別れよう。風悟さん、来て。作戦があるの」

 トリーの前でトワさんと二人になるのってなんか気まずいんだけど、こういう局面でのトワさんの判断がけっこう正しいことも肌で感じている。
 僕はトリーを見つめる……ああ、ダメだ。
 さっきもこうやってタイミングを逃したんだ。
 トリーの苦しみを終わらせるために、僕は自分にできることをしなけりゃならないんだ。

「わかった。作戦ってのを聞くよ……トリー、ネイデさん、気をつけて」

「フーゴも……トワも気を付けて」

 僕たちは二手に別れることにした。
 僕とトワさんはミラーハウスへ、トリーとネイデさんはギロチン・クロスの方へ。

 ミラーハウスへ入るとまず、トワさんは懐中電灯を消す。
 そうか、暗ければ鏡を見ないっていう……作戦?

「風悟さん、奥の手があるの」

「奥の手?」

 鏡やスタンガンのことか?
 いや、そういうんじゃないな。
 もっと怪しい気配がする。
 トワさんとの付き合いは長くないけれど、なぜかわかるんだ。

「そ、奥に手を入れるの」

「奥に?」

 トワさんはこちらに背を向けて、僕の腕の中にスッとおさまった。
 それだけじゃない。
 鏡を持っていた僕の右手をつかむと、そのままどこかへ誘導……って彼女の服の中っ?
 トワさんのシャツのボタンが開いていて、僕の手はその中へと入れさせられる。
 鏡を持ったままで。

「向こうに、見せつけてあげましょ」

 そういうことか!
 トワさんのシャツの中で鏡面を外向きへとひっくり返す。
 ただ、さっき走ったからだろうか、彼女の熱と湿度を帯びた肌にちょいちょい触れてしまい、とんでもない罪悪感。

「あっ」

 またこの時々入るトワさんの艶のある声が……ああ、鬼畜の菊池さん、早く出てきてください。

「そこ、くすぐったい……あ、そこ……そこ、いい……」

 実際には僕の右手はトワさん自身によって「動いている」風を装わされているんだけどね……そんな風に心の中で解説を入れて、トリーへの申し訳なさを少しでも薄めようとしている自分に気付く。

「風悟さん、こっちの手も……」

 そ、そうだね。
 今はそういう盛り上がっているフリに徹しなきゃいけないんだ。
 耳を澄ましながら、僕は左手でもそれとなくトワさんの体の線をなぞり始める。
 こ、これはあくまでも作戦だから。

「ん……風悟さん……」

 その左手にトワさんの手も重なって、指と指との間にするりと指が入り込んできて……また誘導。
 トワさんは僕の左手にキスをする。
 ああ、そういやなんであの時キスされたのか、聞いてなかったっけ。

「嬉しい」

 不本意な状況で誰かを待っている時って時間が経つのがやけに遅く感じる。
 あ、今度は左手がス、スカートの中ですか……って、童貞か僕は。
 でもさすがに抵抗がある。
 あああ、もういい加減出てきてください。

「やめろぉぉぉ!」

 不意にエナガの声がした。
 やはりミラーハウスの中に居たのか。

「さ、坂本さんは今日、自分の恋人になっているはずですよね?」

「それはあたし置いてどっか行っちゃう方が悪くない?」

「それは……自分は……大切なものを失くしましたから、自分の記憶にはこの場所が残っていましたから、探しにきただけなんです」

「あたしよりも大切なもの、なのね。それって女の子の気持ち離れても当然だってわかっているよね?」

「自分は! 坂本さんの一番の理解者なのです。坂本さんが自分に出てきて欲しいからその男を使って演技をしているのはわかっているのです」

 何か嫌な予感がした。
 わかってて出てきたってことは、何か準備をしてきたってことか?
 まだ辺りは暗闇だったけれど、僕は反射的に目を閉じた。
 その直後、閉じたまぶたが白く透けるほど眩しい光を感じた。
 しかも連続して……これ、カメラのフラッシュ?
 足音が近づいて来る。
 でも多分、向こうも鏡を持ったまま来てるんだろうな。
 目を開けるのが怖い。
 砕けた鏡が散乱しているから足音の方向はハッキリ分かる。
 鏡を抜くか? まだ早いか?
 すぐ近くまで来た!

「明るいのヤダ! はいてないの見えちゃう!」

 ちょ……僕も動揺するくらいのトワさんの演技力、その直後。
 聞き覚えのある音がして、人の倒れる音がした。

 バチバチッ。

 トワさんが僕から離れる。
 僕は慌てて片目だけ開く。
 暗闇の中に小さな灯りが点っているのが見えた。
 トワさんがライトを点けたスマホごしに周囲を照らしている。
 そしてすぐにその光の中、鏡の破片が散らばる床にうずくまっているエナガが照らされる。

「あったあった。回収ー」

 トワさんはエナガのすぐ近くから白い手鏡を拾い上げ、僕の所へと戻って来る。

「もっと長く作戦したかった?」

「いや……早く戻ろう」

 なんだかトワさんの顔をまっすぐに見られない。

「だね。行こっ。これ、やられても気絶まではいかないから。体が痺れているだけで意識あるんだよね」

「そっか……」

 そう言えばトワさん、さっきエナガにスタンガン当てられていたっけ。
 まさかダブルで復讐したのか。
 トワさん、恐ろしい子!

「やだぁ、風悟さん、ちゃんとはいてるってば。見たい?」

 僕は即座に首を横に振る。
 トワさんは悪戯っぽい笑顔を浮かべると、上機嫌そうにミラーハウスの出口へと向かう。
 僕もそのあとを追いかけながら、ふとナニカを感じた。
 これって……。
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