地獄
文字数 1,567文字
もう限界だ。気分が悪い。ずっと気持ち悪いんです。もう、この黒い空気……吸い続けるのは困難です。
冷たい脂汗が背筋を伝う。もうダメだ。もう限界を超えてしまった……。
喉の奥から迫り上がる。どいて! と言えない。私は口を押さえながら出口へ向かうが、取り囲む人が多くてなかなか出られない。迫り上がってきた物は口いっぱいに広がり、行き場を失ったそれは口と鼻の穴から破裂するようにぶちまけられた。
悲鳴が巻き起こり一瞬で私から遠ざかる人の群れ。森に住む鳥の群れが鳴き声を上げ飛び立つかのように騒然とする。近くにいた人にかかったのかもしれない。
頭から足までゲロまみれ。前髪からも滴っている。おろし立ての制服も靴下も上履きも全部……。
終わった……。世界の終わりのような、そんな絶望的なイメージが私の全細胞を犯した。
両手両膝を床に付いてさらに吐いて思考停止。動けません。此処が何処なのか、今がなんなのか、ついでに私の存在理由も全くわからない。消えたい。死にたいというよりも消えたいです。そんなことを願っていると私の視界はブラックアウトした。
「誰か連れてけ!」
野太い声と共に私の頭に何か被せられた。ブレザーだ。かなり大きいからこれも彼のだろう。
「あと雑巾とバケツ持ってこい! おい、早く誰か連れてってやれよ!」
彼の声はよく通り、よく響いた。そして何より迫力がある。そのせいか、すぐに雑巾と水の入ったバケツが用意された。彼は分厚い手で雑巾を絞り上げる。
ああ、そんな汚いことを……。居た堪れない気持ちの私をよそに、大きくて太い手が指が吐瀉物をかき集める。そんな彼から私は目を背けた。
シャッター音が聴こえてくる。やがてブレザーの中で俯く私にケータイが潜り込んできた。きっと動画を撮られているのだろう。さらしものだ。でも拒む気力もない。もう好きにしてください。もうどうにでもなれ……。涙が溢れ、次々と堕ちていく。
「何するんだよ!」
視界にあったケータイが叩き落とされた。
私は肩を掴まれ強引に立たさ、顔が隠れるよう大きなブレザーをかけ直され、引き摺られるようにして歩かされる。いずれにせよあの場が離れられたことに胸を撫で下ろす。
そしてトイレの個室に投げ入れられると、やがてチャイムが鳴った。
この状況でどうすればいいのだろう。とりあえず便座に腰を下ろし、トイレットペーパーで体中を拭う。なんて惨めなんだ。
前にもこんなことあったな。小学生の時に、舞と間違えられてホースで水をかけられたんだよな。あの時私は悔しさと怒りで泣いた。
とめどなく涙が溢れてくる。私はとんでもないことを舞にしてきたんだ。わかっていたつもりだったけど、わかってなかった。身をもって体験しなければ人の痛みや苦しみなど絶対にわからないんだ。
鳴咽が反響し自分の泣き声が四方八方から私を煽る。もっと泣きやがれ……と。わんわん泣く、とはまさにこのことだ。それほど泣いた。
しばらくして、鍵のかかっていない個室のドアがゆっくりと開く。さっき私を罵っていた彼女が顔を覗かせた。
「アンタの荷物持ってきたから、今日は帰んなよ。それとさ、その格好じゃ帰れないだろうから、これ使いなよ。陸上部のだけど、学校指定のよりマシでしょ」
そう言って彼女はジャージとウェットティッシュを私に差し出した。
……どうして? と私の口から零れた。
「アタシだってよくわかんない。ただ一つ言えることは、アンタが舞にそっくりだったつってこと」
私は舞の面影に救われたのか……。
「でも勘違いしないでよ。私、アンタを絶対に許さないから。舞のこと陥れる酷いオンナだから、もっとふてぶてしいのかと思ってたけど、なんか拍子抜けって感じ……。まあ、お大事にね」
彼女は背中越しに捨て台詞を残し、その場を去っていった。
冷たい脂汗が背筋を伝う。もうダメだ。もう限界を超えてしまった……。
喉の奥から迫り上がる。どいて! と言えない。私は口を押さえながら出口へ向かうが、取り囲む人が多くてなかなか出られない。迫り上がってきた物は口いっぱいに広がり、行き場を失ったそれは口と鼻の穴から破裂するようにぶちまけられた。
悲鳴が巻き起こり一瞬で私から遠ざかる人の群れ。森に住む鳥の群れが鳴き声を上げ飛び立つかのように騒然とする。近くにいた人にかかったのかもしれない。
頭から足までゲロまみれ。前髪からも滴っている。おろし立ての制服も靴下も上履きも全部……。
終わった……。世界の終わりのような、そんな絶望的なイメージが私の全細胞を犯した。
両手両膝を床に付いてさらに吐いて思考停止。動けません。此処が何処なのか、今がなんなのか、ついでに私の存在理由も全くわからない。消えたい。死にたいというよりも消えたいです。そんなことを願っていると私の視界はブラックアウトした。
「誰か連れてけ!」
野太い声と共に私の頭に何か被せられた。ブレザーだ。かなり大きいからこれも彼のだろう。
「あと雑巾とバケツ持ってこい! おい、早く誰か連れてってやれよ!」
彼の声はよく通り、よく響いた。そして何より迫力がある。そのせいか、すぐに雑巾と水の入ったバケツが用意された。彼は分厚い手で雑巾を絞り上げる。
ああ、そんな汚いことを……。居た堪れない気持ちの私をよそに、大きくて太い手が指が吐瀉物をかき集める。そんな彼から私は目を背けた。
シャッター音が聴こえてくる。やがてブレザーの中で俯く私にケータイが潜り込んできた。きっと動画を撮られているのだろう。さらしものだ。でも拒む気力もない。もう好きにしてください。もうどうにでもなれ……。涙が溢れ、次々と堕ちていく。
「何するんだよ!」
視界にあったケータイが叩き落とされた。
私は肩を掴まれ強引に立たさ、顔が隠れるよう大きなブレザーをかけ直され、引き摺られるようにして歩かされる。いずれにせよあの場が離れられたことに胸を撫で下ろす。
そしてトイレの個室に投げ入れられると、やがてチャイムが鳴った。
この状況でどうすればいいのだろう。とりあえず便座に腰を下ろし、トイレットペーパーで体中を拭う。なんて惨めなんだ。
前にもこんなことあったな。小学生の時に、舞と間違えられてホースで水をかけられたんだよな。あの時私は悔しさと怒りで泣いた。
とめどなく涙が溢れてくる。私はとんでもないことを舞にしてきたんだ。わかっていたつもりだったけど、わかってなかった。身をもって体験しなければ人の痛みや苦しみなど絶対にわからないんだ。
鳴咽が反響し自分の泣き声が四方八方から私を煽る。もっと泣きやがれ……と。わんわん泣く、とはまさにこのことだ。それほど泣いた。
しばらくして、鍵のかかっていない個室のドアがゆっくりと開く。さっき私を罵っていた彼女が顔を覗かせた。
「アンタの荷物持ってきたから、今日は帰んなよ。それとさ、その格好じゃ帰れないだろうから、これ使いなよ。陸上部のだけど、学校指定のよりマシでしょ」
そう言って彼女はジャージとウェットティッシュを私に差し出した。
……どうして? と私の口から零れた。
「アタシだってよくわかんない。ただ一つ言えることは、アンタが舞にそっくりだったつってこと」
私は舞の面影に救われたのか……。
「でも勘違いしないでよ。私、アンタを絶対に許さないから。舞のこと陥れる酷いオンナだから、もっとふてぶてしいのかと思ってたけど、なんか拍子抜けって感じ……。まあ、お大事にね」
彼女は背中越しに捨て台詞を残し、その場を去っていった。