はじめに

文字数 510文字

 私は能登に移住して以来、中能登町の歴史ボランティアガイドとして、国指定史跡 石動山の観光案内をしている。

 源平合戦で有名な倶利伽羅古戦場へガイド仲間と行った時、「倶利伽羅の後、木曽義仲は小田中親王塚に来たという話が、『平家物語』にあってね・・・」と聞いた。小田中親王塚とは、崇神天皇皇子の古墳で、中能登町指定史跡になっている。私の家からも近いことから、興味をそそられた。

 「おごる平氏は久しからず」というが、栄華の頂点から都落ちへと追いやったのは、木曽義仲である。義仲が初めて平家の軍勢と相対したのが、倶利伽羅合戦であり、火牛の計という奇策で勝利を治めた。
 その戦いの翌日、志保山(宝達志水町)へ向かい、小田中親王塚で陣を張ったという。だが、なぜかこの部分は、歴史に埋もれてしまった感がある。平家物語の注釈書を読んでみると、古くから文脈上の地理的な矛盾が指摘されており、そのせいで受け流されてしまったようだ。

 しかし、出来事を口伝する途中で、地名に錯誤が生じたり、時系列の前後が狂うことはありうることだ。志保山の戦いについての伝承を集め、現地に足を運びながら、解釈しなおしてみるのも面白かろうと思った。
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