死闘! 志保山の戦い
文字数 463文字
《≪二万余騎ざつと渡いて見給へば、案の如く十郎蔵人殿は、散々に駆けなされ、引き退き、人馬の息休むる所に、新手の源氏二万余騎、平家三万余騎が中へ駆け入り、揉みに揉うで、火出づるほどにぞ攻めたりける。大将軍三河の守知度討たれ給ひぬ。これは入道相国の末子なり。その他兵多く亡びにけり。平家そこをも追ひ落とされて、加賀の国へ引き退く。『平家物語』
≫》
久江山を越え、邑地潟を渡るハプニングも乗り越えて、義仲はようやく戦場に到着する。中能登で宮参りをひとつにとどめず、二つ回ったことは、二万騎の先鋒隊で決着がつくという、胸算用の現れではなかったかと思う。
けれども戦場へ行くと、源氏の旗色は芳しくなかった。味方の援軍なしでも、平知度(たいらのとものり)率いる平家軍の気迫が勝っていたようだ。しかしながら、義仲本隊の猛攻を防戦する余力まではなかった。平知度は戦死し、平家軍は総崩れになった。子浦川の水が血の色に染まったという。
義仲は倶利伽羅に続く戦勝で、北陸路から覇者として上洛する道が一気に開けることとなった。
≫》
久江山を越え、邑地潟を渡るハプニングも乗り越えて、義仲はようやく戦場に到着する。中能登で宮参りをひとつにとどめず、二つ回ったことは、二万騎の先鋒隊で決着がつくという、胸算用の現れではなかったかと思う。
けれども戦場へ行くと、源氏の旗色は芳しくなかった。味方の援軍なしでも、平知度(たいらのとものり)率いる平家軍の気迫が勝っていたようだ。しかしながら、義仲本隊の猛攻を防戦する余力まではなかった。平知度は戦死し、平家軍は総崩れになった。子浦川の水が血の色に染まったという。
義仲は倶利伽羅に続く戦勝で、北陸路から覇者として上洛する道が一気に開けることとなった。