第12話
文字数 2,334文字
「何というか、現状の危機にも慣れちまったかもな」
俺は町を歩いていた。
ビザがないことにも、収入が安定しないことにも慣れてしまった。
「なるようにしかならんさ」と。おそらくそれは「危ういこと」なんだろうが、町を歩かずに暮らすということも、出来ない。
警察に呼び止められるようなことをしないに限る。
「相変わらず口溶けの悪いチョコレートだ」
以前にサマリからチョコレートをもらったことで、何となくこの町でチョコレートを買うようになっていた。きっと外国の人々が持ち込んだのだろう。この国の中でも高地で気温が比較的低いこの土地に根付いたチョコレート。口溶けは悪い「けれど、この口溶けの悪さも何かインドらしいな」と気に入ってしまった。
「サマリにも買って行くか」
先日のお返しくらいしてもいいかなと。ミルクチョコレートとヘーゼルナッツを、2種類、各50g買って同封してもらった。この店は、インドにしては珍しく透明な小袋で包んで洒落た小さな紙袋に入れてくれる。
「やっぱりチョコレートだからか?」
溶けることもあるだろう。
それと「嗜好品」だから気分が良いラッピングになっているのだろう。
正午にホテルに戻って来るとタイミングよくサマリと出会す。
「サマリ。これ。この前のお返し」
サマリにチョコレートの袋を差し出す。
「何? 中に何が入っているの?」
「チョコレートだよ」
サマリは少し驚いた表情を一瞬浮かべた後に「ありがとう」と素っ気なく言った。それで、チョコレートの袋を手に持ったままで俺にアルカイックな笑みで聞いてくる。
「フルハシ、このホテルの従業員にならない?」
「従業員? 俺が?」
「ええ、もともとホテルは人手が足りないの」
「確かにサマリとアルシャさんの二人だけなら人手不足もいいところだ。俺がこのホテルの従業員になるね……うーむ」
サマリにそう言われても即決出来なかった。
「どうだろう? まだ決められないかな」
「「このホテル」が希望と違う?」
「いや、条件は悪くないよ。明日にはのたれ死んでいるかもしれない身で当面の「勤め先」が決まるのなら悪くない。でも、まだちょっと心が決めきれないかな。居着く「決断」というものが欠けているだけ。何か一つでいいんだ。だけど、まだそれを自覚していない。俺がね」
* * * * *
午後一。一時に101号室をノックする音。
「僕です! マリオです!」
俺が扉を開けると興奮したマリオが言う。
「やはり「心霊ホテルの噂」になる事件が過去にあったんですよ!」
マリオからそう聞いても驚きはない。
俺も〈おそらく何かがあったのだろう〉と内心で思っていた。
仮にアルシャさんが「ああいう話」を地元民にしても、それで「心霊ホテルだ」という噂にはならない。すると先日のアルシャさんの話とは関係ないところに噂のもとがある。噂のもとになった何かの事件が。
マリオは俺に分かっていることを話していく。
「僕が午前に調べた新聞によると、英国貴族の「クリストファー・レノア」という人物が過去にこのホテルで不審死をしています」
「英国貴族のクリストファー・レノア?」
マリオが俺に「行きましょう」と言った。
「バイト代は支払います。これから町の図書館でより詳細が書かれている過去の新聞を探すのを手伝ってください。少し、新聞の管理が「雑」なので僕一人よりフルハシさんに手伝ってもらった方がいいと戻ってきたんですよ」
その日の午後、俺はマリオと共に町の図書館へ向かった。
マリオは「この町の図書館は小さな建物で州が管理しているようです」と言った。図書館はレンガ造りのしっかりした建物だ。中も整理されていて古書や町の資料、過去の地元の新聞などが保存されている。
「しかし、ここをよく知っていましたね?」
「ええ、僕は「過去の新聞がどこで見れるのか」ということは職業柄調べますからね。午前中に「クリストファー・レノア」の存在を知った。ただ、もう少し詳細な情報が欲しいから、あなたにも手伝ってもらうんです」
「了解」と答えて、早速新聞記事の発掘作業に取り掛かる。
書類を並び替えるだけのバイトより、こっちの方がやる気が出る。これならオカルトライターの仕事を手伝っているという「感じ」がよりする。何だか小さい頃に読んだ探偵小説の助手になったような気分だ。悪くない気分だよ。
俺とマリオが新聞記事を調べていくと、過去の地元の新聞にホテルの名前と「クリストファー・レノア」の記載を見つける。
もうすぐ図書館が閉まるというギリギリのタイミングだ。
少し日が暮れて薄暗い図書館の中は静かで、気付くと俺とマリオだけしか残っていなかった。警備員が腕時計を見ながら閉館時間を待っている。
「でも、僅かな記述だけだ」
「記事の一部が「黒のマジックで塗りつぶされている」な」
不気味なことに、一部の文章と写真が黒塗りされている。
マリオが「記事」を読み上げていく。
『昨夜この街のホテルで英国貴族「クリストファー・レノア」が変死していた。警察の調べによるとホテルの203号室に泊まっていたレノアは……203号室の中には……駄目だ。肝心なところが黒塗りされていて分からないな。とりあえず今日はここまでですね。だけど今日は十分な成果があった』
マリオはその記事の内容をさらさらと革の手帳に書き込んだ。
あのホテルの203号室で英国人が亡くなっている。
「でも英国貴族が何故こんな土地に?」
「もともと、ここは長らく英国領だったから別におかしくはないですよ。おそらく紅茶の輸入か何かの仕事をしていたのでしょう。ここは茶葉の生産地ですから、関係者が現地に来ても何もおかしくはないですよ」
言われればそうだった。別に不審なことはない、か。
俺は町を歩いていた。
ビザがないことにも、収入が安定しないことにも慣れてしまった。
「なるようにしかならんさ」と。おそらくそれは「危ういこと」なんだろうが、町を歩かずに暮らすということも、出来ない。
警察に呼び止められるようなことをしないに限る。
「相変わらず口溶けの悪いチョコレートだ」
以前にサマリからチョコレートをもらったことで、何となくこの町でチョコレートを買うようになっていた。きっと外国の人々が持ち込んだのだろう。この国の中でも高地で気温が比較的低いこの土地に根付いたチョコレート。口溶けは悪い「けれど、この口溶けの悪さも何かインドらしいな」と気に入ってしまった。
「サマリにも買って行くか」
先日のお返しくらいしてもいいかなと。ミルクチョコレートとヘーゼルナッツを、2種類、各50g買って同封してもらった。この店は、インドにしては珍しく透明な小袋で包んで洒落た小さな紙袋に入れてくれる。
「やっぱりチョコレートだからか?」
溶けることもあるだろう。
それと「嗜好品」だから気分が良いラッピングになっているのだろう。
正午にホテルに戻って来るとタイミングよくサマリと出会す。
「サマリ。これ。この前のお返し」
サマリにチョコレートの袋を差し出す。
「何? 中に何が入っているの?」
「チョコレートだよ」
サマリは少し驚いた表情を一瞬浮かべた後に「ありがとう」と素っ気なく言った。それで、チョコレートの袋を手に持ったままで俺にアルカイックな笑みで聞いてくる。
「フルハシ、このホテルの従業員にならない?」
「従業員? 俺が?」
「ええ、もともとホテルは人手が足りないの」
「確かにサマリとアルシャさんの二人だけなら人手不足もいいところだ。俺がこのホテルの従業員になるね……うーむ」
サマリにそう言われても即決出来なかった。
「どうだろう? まだ決められないかな」
「「このホテル」が希望と違う?」
「いや、条件は悪くないよ。明日にはのたれ死んでいるかもしれない身で当面の「勤め先」が決まるのなら悪くない。でも、まだちょっと心が決めきれないかな。居着く「決断」というものが欠けているだけ。何か一つでいいんだ。だけど、まだそれを自覚していない。俺がね」
* * * * *
午後一。一時に101号室をノックする音。
「僕です! マリオです!」
俺が扉を開けると興奮したマリオが言う。
「やはり「心霊ホテルの噂」になる事件が過去にあったんですよ!」
マリオからそう聞いても驚きはない。
俺も〈おそらく何かがあったのだろう〉と内心で思っていた。
仮にアルシャさんが「ああいう話」を地元民にしても、それで「心霊ホテルだ」という噂にはならない。すると先日のアルシャさんの話とは関係ないところに噂のもとがある。噂のもとになった何かの事件が。
マリオは俺に分かっていることを話していく。
「僕が午前に調べた新聞によると、英国貴族の「クリストファー・レノア」という人物が過去にこのホテルで不審死をしています」
「英国貴族のクリストファー・レノア?」
マリオが俺に「行きましょう」と言った。
「バイト代は支払います。これから町の図書館でより詳細が書かれている過去の新聞を探すのを手伝ってください。少し、新聞の管理が「雑」なので僕一人よりフルハシさんに手伝ってもらった方がいいと戻ってきたんですよ」
その日の午後、俺はマリオと共に町の図書館へ向かった。
マリオは「この町の図書館は小さな建物で州が管理しているようです」と言った。図書館はレンガ造りのしっかりした建物だ。中も整理されていて古書や町の資料、過去の地元の新聞などが保存されている。
「しかし、ここをよく知っていましたね?」
「ええ、僕は「過去の新聞がどこで見れるのか」ということは職業柄調べますからね。午前中に「クリストファー・レノア」の存在を知った。ただ、もう少し詳細な情報が欲しいから、あなたにも手伝ってもらうんです」
「了解」と答えて、早速新聞記事の発掘作業に取り掛かる。
書類を並び替えるだけのバイトより、こっちの方がやる気が出る。これならオカルトライターの仕事を手伝っているという「感じ」がよりする。何だか小さい頃に読んだ探偵小説の助手になったような気分だ。悪くない気分だよ。
俺とマリオが新聞記事を調べていくと、過去の地元の新聞にホテルの名前と「クリストファー・レノア」の記載を見つける。
もうすぐ図書館が閉まるというギリギリのタイミングだ。
少し日が暮れて薄暗い図書館の中は静かで、気付くと俺とマリオだけしか残っていなかった。警備員が腕時計を見ながら閉館時間を待っている。
「でも、僅かな記述だけだ」
「記事の一部が「黒のマジックで塗りつぶされている」な」
不気味なことに、一部の文章と写真が黒塗りされている。
マリオが「記事」を読み上げていく。
『昨夜この街のホテルで英国貴族「クリストファー・レノア」が変死していた。警察の調べによるとホテルの203号室に泊まっていたレノアは……203号室の中には……駄目だ。肝心なところが黒塗りされていて分からないな。とりあえず今日はここまでですね。だけど今日は十分な成果があった』
マリオはその記事の内容をさらさらと革の手帳に書き込んだ。
あのホテルの203号室で英国人が亡くなっている。
「でも英国貴族が何故こんな土地に?」
「もともと、ここは長らく英国領だったから別におかしくはないですよ。おそらく紅茶の輸入か何かの仕事をしていたのでしょう。ここは茶葉の生産地ですから、関係者が現地に来ても何もおかしくはないですよ」
言われればそうだった。別に不審なことはない、か。