第2話
文字数 2,678文字
受付の女性は101号室には来なかった。
おそらくあの女の子はホテルの関係者で日本人に前から興味を持ち、それで受付の女性が「日本人来たよ」と女の子に伝えたのだろうと考えた。
次の日の朝。窓を開けて景色を見る。
「この町もただ通り過ぎるには惜しい町だな」
少しこの町を歩いてみようと考えた。
「何だったらしばらくここに泊まってもいい」
そう思ってもう一拍することにした。
ホテルは外国人観光客向けのホテルとしてはかなり安い宿泊料金だ。ホテルに別料金で荷物を預けられると聞いたから大きなリュックは錠をかけてホテルに置いて、貴重品だけを薄い小さなリュックに入れて町の大通りへ出ることにした。
ホテルを出た時は少し寒かったから、灰色のライトダウンのジャケットを羽織って町の大通りを歩く。田舎町だけど人はそれなりに居て町だ。
大通りには多様な店が並ぶ。
果物、米、肉、鶏。洋服、民族衣装のサリーの生地。
「チョコレート専門店? そんなイメージはインドになかったけれど」
インドは州によって文化も景色も全然違うから飽きない。
「もっとディープな場所はあるか?」
少し寂れた通りに入る。
現地のアンダーグラウンドな空気を肌で感じたかった。ただ、路地に入ったところで数人の入れ墨の入った男たちに囲まれる。どうやらずっと着けられていたようで、俺が人気のない場所に入る時を見計らっていたようだ。
『日本人。動くな』
俺も身の危険を感じて言う通りにした。
男たちは俺の財布とリュックを奪った後で車に乗って消え去った。
「迂闊だった。都市部じゃないから油断していた」
* * * * *
俺は現地の警察へ被害を届け出た。警察官は犯行の状況や男たちの特徴を俺に聞く。俺も覚えている範囲で答えていく。
『でも、日本人。人気のない場所へ入った君も悪い』
言われて「確かにそうですよね」と俺も落ち込む。
財布と一緒にビザも盗まれてしまったことが何よりショックだった。異国の地で身分を証明出来るものを失ったんだ。持ち歩いていた財布にはそんなにお金は入れていなかった。ホテルに置いてある錠をかけた大きなリュックの中にお金はまだある。それもそれで不用心で危険だったけれど。
傷心でホテルへ戻ってきた。
「ああ、煙草が吸いたい」
101号室へ戻るとあの女の子が扉の前で待っていた。
今日の俺は昨日より少し不機嫌。
「またかい、お嬢さん。お前はホテル関係者の娘とかだろ? 暇だから俺に絡んでくるのかい? 今日も話を聞かせろって?」
「昨日に「明日ね」と言っていたわ」
「今日は色々あってね」
「日本人は約束を守るんじゃないの?」
俺がまた何か話さない限り離れなさそう。
俺は仕方なくこの場で即興で物語を作ることにした。
〈〈 砂漠に住むダニーと言う男の子の話。
ダニーは一流ホテルに住み込みで勤めていました。
毎日、ホテルの仕事を夜遅くまで真面目にこなしていました。どんなに仕事が辛くてもダニーは表情を変えずに文句を言わない少年でした。
感心した異国の金持ちが「自分の邸の使用人にしよう」とダニーをホテルにかけあって買い取って自分の国に連れて帰りました。何一つ言葉も通じない異国の地でもダニーは真面目に働きました。
ある月の25日のことです。
金持ちの旦那はダニーの部屋に無断で入りました。部屋の中には無数の紙が散らばっていました。金持ちの旦那には読めなかったのですが、ダニーの国の言葉だと考えました。内容が気になった金持ちの旦那は知り合いの言語学者のもとに向かいました。
正午過ぎ、学者にその文字を見せます。文字を読んだ学者は旦那に言いました「すぐに帰った方が良いでしょう」と。
金持ちの旦那が「何が書かれていたんだ?」と聞きます。
学者が説明します「国へ帰りたい。あいつらが憎い、もう我慢の限界だ。25日の正午だ。25日の正午だ。25日の正午だ」旦那は理解出来ずに学者に聞きました「何が今日の正午なんだね」と。学者は言います。
邸の者を皆殺しにして首を切り取る日ですよ、と〉〉
女の子は少し冷たい態度。
「つまらないわ。点数は20点ね」
「今回は随分と低い評価だな」
「ありきたり。もっと練って欲しかった」
女の子は俺に向かって少し失望の眼差し。言われると、確かに展開に面白みに欠けるような話だったかもな。昨日の話は即興的に良かった。それと比べると今日のこの話のクオリティーは確かに下がっている。
「なるほどね。次は少し注意するよ」
次に話す時、もう少しマシな話を作っておくか。
ビザがなくなって、別のホテルに泊まることも出来ないからここにしばらく泊まり込んで日本大使館へ対応をお願いしないといけない。手紙か電話でのやり取り。明日もこのホテルに居ることはもう確定だから、また話を考えておくとしよう。
「話がつまらない人ね」と思われることは不本意だ。
彼女は俺を選別するかのようにじとっと見つめる。
少女愛好の趣味はないが、このじとっとした視線は、良い。
「あなた、確か「古橋浩好」と言う名前よね? 日本では苗字と名前、どちらで呼ぶのが一般的なの? あなたのことをどう呼べばいい?」
「一般的には名字だ。古橋と呼んで」
「フルハシ、ね。次からそう呼ぶわ」
「君は? 名前は何ていうの?」
「サマリ。あるいはサマリーよ」
俺は煙草を取り出して古ぼけたジッポライターで火を点けようとした。
彼女は煙草を嫌がった。
「煙草の煙、私は嫌いなの」
「俺は好き。煙草は俺の人生そのもの。話したからもう出てって」
サマリは部屋を出て行く前に「次は面白い話を聞かせてね」と言った。101号室の扉が閉まって俺は煙草に火を点けた。窓を開けて煙草の狼煙を見ながら〈今日はついてないな〉と心で呟く。
もう旅を続けることは出来なくなるかもしれない。
今まで、危ない場面も何とか切り抜けてきたけれど、ビザがないと身動きが取れない。次の都市へ移動してもホテルにチェックインも出来ない。
「昨日の話「別の世界に憧れている」のは、俺の方なんだよ」
インドをふらふらして六ヶ月だ。
未だに人生の答えも見つかっていないアウトサイダーだな。
「今、迂闊に日本に戻ることも出来ないからなあ……」
それにしても煙草は美味い。
この危険な状況さえ美味く感じさせるのが煙草のいけない魅力だ。
人生で何を味わおうが全て煙草に救われてしまう。救いであって憂いのような「駄目になる自分自身」それさえ酔狂な気持ちで楽しもうとする俺は「愚か者」なのだろう。その愚者は、彼女サマリに次は何を語るかを考えていた。
おそらくあの女の子はホテルの関係者で日本人に前から興味を持ち、それで受付の女性が「日本人来たよ」と女の子に伝えたのだろうと考えた。
次の日の朝。窓を開けて景色を見る。
「この町もただ通り過ぎるには惜しい町だな」
少しこの町を歩いてみようと考えた。
「何だったらしばらくここに泊まってもいい」
そう思ってもう一拍することにした。
ホテルは外国人観光客向けのホテルとしてはかなり安い宿泊料金だ。ホテルに別料金で荷物を預けられると聞いたから大きなリュックは錠をかけてホテルに置いて、貴重品だけを薄い小さなリュックに入れて町の大通りへ出ることにした。
ホテルを出た時は少し寒かったから、灰色のライトダウンのジャケットを羽織って町の大通りを歩く。田舎町だけど人はそれなりに居て町だ。
大通りには多様な店が並ぶ。
果物、米、肉、鶏。洋服、民族衣装のサリーの生地。
「チョコレート専門店? そんなイメージはインドになかったけれど」
インドは州によって文化も景色も全然違うから飽きない。
「もっとディープな場所はあるか?」
少し寂れた通りに入る。
現地のアンダーグラウンドな空気を肌で感じたかった。ただ、路地に入ったところで数人の入れ墨の入った男たちに囲まれる。どうやらずっと着けられていたようで、俺が人気のない場所に入る時を見計らっていたようだ。
『日本人。動くな』
俺も身の危険を感じて言う通りにした。
男たちは俺の財布とリュックを奪った後で車に乗って消え去った。
「迂闊だった。都市部じゃないから油断していた」
* * * * *
俺は現地の警察へ被害を届け出た。警察官は犯行の状況や男たちの特徴を俺に聞く。俺も覚えている範囲で答えていく。
『でも、日本人。人気のない場所へ入った君も悪い』
言われて「確かにそうですよね」と俺も落ち込む。
財布と一緒にビザも盗まれてしまったことが何よりショックだった。異国の地で身分を証明出来るものを失ったんだ。持ち歩いていた財布にはそんなにお金は入れていなかった。ホテルに置いてある錠をかけた大きなリュックの中にお金はまだある。それもそれで不用心で危険だったけれど。
傷心でホテルへ戻ってきた。
「ああ、煙草が吸いたい」
101号室へ戻るとあの女の子が扉の前で待っていた。
今日の俺は昨日より少し不機嫌。
「またかい、お嬢さん。お前はホテル関係者の娘とかだろ? 暇だから俺に絡んでくるのかい? 今日も話を聞かせろって?」
「昨日に「明日ね」と言っていたわ」
「今日は色々あってね」
「日本人は約束を守るんじゃないの?」
俺がまた何か話さない限り離れなさそう。
俺は仕方なくこの場で即興で物語を作ることにした。
〈〈 砂漠に住むダニーと言う男の子の話。
ダニーは一流ホテルに住み込みで勤めていました。
毎日、ホテルの仕事を夜遅くまで真面目にこなしていました。どんなに仕事が辛くてもダニーは表情を変えずに文句を言わない少年でした。
感心した異国の金持ちが「自分の邸の使用人にしよう」とダニーをホテルにかけあって買い取って自分の国に連れて帰りました。何一つ言葉も通じない異国の地でもダニーは真面目に働きました。
ある月の25日のことです。
金持ちの旦那はダニーの部屋に無断で入りました。部屋の中には無数の紙が散らばっていました。金持ちの旦那には読めなかったのですが、ダニーの国の言葉だと考えました。内容が気になった金持ちの旦那は知り合いの言語学者のもとに向かいました。
正午過ぎ、学者にその文字を見せます。文字を読んだ学者は旦那に言いました「すぐに帰った方が良いでしょう」と。
金持ちの旦那が「何が書かれていたんだ?」と聞きます。
学者が説明します「国へ帰りたい。あいつらが憎い、もう我慢の限界だ。25日の正午だ。25日の正午だ。25日の正午だ」旦那は理解出来ずに学者に聞きました「何が今日の正午なんだね」と。学者は言います。
邸の者を皆殺しにして首を切り取る日ですよ、と〉〉
女の子は少し冷たい態度。
「つまらないわ。点数は20点ね」
「今回は随分と低い評価だな」
「ありきたり。もっと練って欲しかった」
女の子は俺に向かって少し失望の眼差し。言われると、確かに展開に面白みに欠けるような話だったかもな。昨日の話は即興的に良かった。それと比べると今日のこの話のクオリティーは確かに下がっている。
「なるほどね。次は少し注意するよ」
次に話す時、もう少しマシな話を作っておくか。
ビザがなくなって、別のホテルに泊まることも出来ないからここにしばらく泊まり込んで日本大使館へ対応をお願いしないといけない。手紙か電話でのやり取り。明日もこのホテルに居ることはもう確定だから、また話を考えておくとしよう。
「話がつまらない人ね」と思われることは不本意だ。
彼女は俺を選別するかのようにじとっと見つめる。
少女愛好の趣味はないが、このじとっとした視線は、良い。
「あなた、確か「古橋浩好」と言う名前よね? 日本では苗字と名前、どちらで呼ぶのが一般的なの? あなたのことをどう呼べばいい?」
「一般的には名字だ。古橋と呼んで」
「フルハシ、ね。次からそう呼ぶわ」
「君は? 名前は何ていうの?」
「サマリ。あるいはサマリーよ」
俺は煙草を取り出して古ぼけたジッポライターで火を点けようとした。
彼女は煙草を嫌がった。
「煙草の煙、私は嫌いなの」
「俺は好き。煙草は俺の人生そのもの。話したからもう出てって」
サマリは部屋を出て行く前に「次は面白い話を聞かせてね」と言った。101号室の扉が閉まって俺は煙草に火を点けた。窓を開けて煙草の狼煙を見ながら〈今日はついてないな〉と心で呟く。
もう旅を続けることは出来なくなるかもしれない。
今まで、危ない場面も何とか切り抜けてきたけれど、ビザがないと身動きが取れない。次の都市へ移動してもホテルにチェックインも出来ない。
「昨日の話「別の世界に憧れている」のは、俺の方なんだよ」
インドをふらふらして六ヶ月だ。
未だに人生の答えも見つかっていないアウトサイダーだな。
「今、迂闊に日本に戻ることも出来ないからなあ……」
それにしても煙草は美味い。
この危険な状況さえ美味く感じさせるのが煙草のいけない魅力だ。
人生で何を味わおうが全て煙草に救われてしまう。救いであって憂いのような「駄目になる自分自身」それさえ酔狂な気持ちで楽しもうとする俺は「愚か者」なのだろう。その愚者は、彼女サマリに次は何を語るかを考えていた。