第3話 言い訳

文字数 1,811文字

 二日目、三日目の夜は律は出かけていた。私は部屋探しやらで疲れたので、帰ってくる前に眠っていて、朝は律のピアノの音で起きるから、実際、律がどこで寝ているのか分からない。もしかしたら、ソファかもしれないと思うと、申し訳なくなる。早く部屋を見つけなければ、と思って、知り合いの伝手を頼って部屋も見せてもらう。
 知り合いの友人のマダムが
「お風呂、トイレ、共同なのよ」と申し訳なさそうに言う。
 せめてトイレは部屋にあって欲しいなぁ、と思っていると、その部屋は画家さんがアトリエとして使っているらしく、日当たりがいいと言った。
「日当たり…」
 どっちにしろ即決できる物件ではなかった。その画家が三か月だけ空けるから、その間だけという超短期契約だったのも踏み切れない。
 私は少し悩みつつ、メトロの駅まで歩いていた。スマホにメッセージの通知が来る。律からで晩御飯一緒に食べようというものだった。そう言えば、いつも律は外に外食していた。友達が多いのか、誘われて出ていくこともあったし、ピアノの先生とレッスンとご飯を一緒にしている日もあった。私と夕飯を食べるのはこれが初めてだ。だから冷蔵庫はいつも空っぽだった。
「何か…作ろうか?」と私はメッセージを返す。
「莉里ちゃん、作れるの?」と返事が来た。
 確かに何を作れると考えてみると、日本のインスタントラーメンとかシチューとかカレーとかそんな具合で、カレールーが存在しているのかも分からない。
「調味料とかないから…」と私は調味料不足のせいにした。
「そうだね。だから…食べに行こう」
 時間まで私は外をぶらぶら歩くことにした。土地勘を養いたかったし、観光もしたかった。セーヌ川沿いを歩いて、疲れると、ノートルダム寺院の裏にある公園の椅子で座った。アイスでも食べようかなと考えていると、フランス人に声を掛けられる。
 ナンパだ。
 フランス語ができないふりをしても果敢に話しかけてくるその心意気に圧倒される。平日の昼間にぷらぷら歩いてる人に声かけられて、相手をいぶかしむが、私も同様だった。きっと後腐れのない観光客狙いなんだろうとため息が出る。
 私は「男に興味ないの」と嘘をついて、そして立ち上がった。
「ボンジョルネ(良い一日を)」と嘘つきな私に言ってくれる。
「ヴ オッシ(あなたもね)」
 さっぱりしているから、よかったと思った。
 九月からの新学期に向けて、学校に登録にもいかなければいけないし、銀行口座も開設しなければいけない。いろんな書類を揃えてから、滞在許可書の申請をする。だから住所を早く決めないと、と私は思っていたが、せっかく外国で住むという経験をするのなら、妥協したくはない。
 ナンパが面倒なので、カフェに入り、伝手はないかと大学の先輩や、先生から訊いた連絡先を眺めてみた。
 一人一人の名前を確認しつつ、ため息をついた。
「園田さんは卒業後、留学するんでしょう?」
「いいわねぇ。就職活動で忙しいから羨ましい」
「フランス好きだもんねぇ」
 周りの人の言葉に私は言い返すことができなかった。親のすねをかじり、好きなフランスに行く。たいした苦労をしないまま、大人になった。
(大人になったのだろうか)
 なんでも力になってくれると言ってくれた先輩や、先生方はかなりの努力をして、自分で道を開いていた。だからこそ、私は連絡が取れない。
 こんなことで…と思われたくなかった。
 私はカフェでしばらくぼんやりした。
 就職をしようかと両親に相談した。私は一人娘で過度の心配をされているのは分かっていたから、本当は就職をして家を出たかった。
「莉里は好きなことしたらいいのよ」と母親は微笑みながら言った。
 でもその目は私を見てはいなかった。
 それは父に対する復讐じゃないだろうか、と思った。
「あぁ。協力するよ」と父は申し訳なさそうに私に言う。
 律に援助していることを思っての返事だったのかもしれない。私は律には最大限のことをしてあげて欲しかった。まだ幼い律を追い出すような形でフランスに行かせたのだから。
『莉里は好きなことしたらいいのよ』
『あなただって好きなことしてるんだから』
 消して口には出さないのに、そんな声が聞こえる気がする。

 私はフランスが好きでここに来た。でもあの家から出たかった。それも理由の一つだった。父と母はいつまで一緒にいるのだろう。

「フランス留学する」
 そう私が言った時、母の眉が少し寄った気がした。
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