第4話 待ちぼうけ 

文字数 2,047文字

二週間後、久しぶりに雅とホテルに行った。いつも利用している、新横浜(しんよこはま)のラブホテルに。

雅が白衣を持ってきてと言ったのでその通りにしたら、シャワーを浴びた後、全裸の私に雅は白衣を着せた。
「履いてきたハイヒールも履いてよ」
言われたまま、私は全裸に前開きの白衣、白いハイヒールを履いた格好でベッドに横たわった。

「もうマンネリ化してきてるんだからさ、たまには変わった刺激的なこと試してみないと。ちょっとそのまま、足を開いてごらん」

私は言葉を閉じ込めたまま、体だけは開いた。男の目つきになった雅が、上から覆い被さり強引に侵入してきた。両足を持ち上げられ前に突かれるたび、白衣とシーツが一体化して乱れる。履いていたハイヒールが、激しい振動のため脱げ、ベッドの下に落ちる。
たまのデートなんだから、あれこれ文句をつけて雰囲気を壊したくはなかった。おそらく、無理矢理乱暴している感じが興奮を誘うのだろう。けれど体と同じく奥に押し込まれた私の心は鬱屈(うっくつ)して歪み、愉しめなかった。

ホテルを出るとオフィス街にある安いレストランでパスタを食べ、そのまま帰宅した。雅は途中まで車で送ってくれたが、やはり「仕事があるから」と私の家とは別方向に早々去って行った。
翌日、勤務があったのでなんとなく白衣を着るのが恥ずかしかった。朝のミーティング()、新人薬剤師の発表があった。二十代半ばの若い女性が、無邪気な感じで自己紹介をした。

午後、調剤業務を行っている時その女性が、
一条(いちじょう)先生から、きみ可愛いねって言われちゃいましたあ」
消化器内科の看護師とそう話しているのを、たまたま聞いてしまった。ふと、手が止まった。一条先生とは、雅のことだった。
「あの人、新人で可愛い女の子見つけると、すぐに手を出してくるらしいわよ。これから気をつけてね」
「キャバクラ通いも、すごいらしいからな」
冗談なのか本当なのか、隣に居合わせた男性医師も笑いながらそうつけ加えていた。噂話と笑い声を振り払うようにして、私は業務に集中しようとした。

数日が経ち、休日の日曜日を迎えた。
あの時の話が頭をよぎり、私はスマホから雅にメッセージを送ってみることにした。

『時間に余裕があったら、いつでもいいからアパートに来て』

一時間待ったが、返信はなく既読にすらならない。待っているあいだ、窓から白い猫を見ようとした。こちらも、雅と同じく姿を現さず無事でいるのかどうかもわからない。その時、玄関のインターホンが鳴った。私はモニターを確認しようともせず、雅だと思い込んで駆け寄りドアを開けた。

「あの…」
上の階に住んでいる、新興宗教信者の女だった。
「お願いなんですけど、新聞購読してもらえませんかね?」
長い黒髪に銀縁(ぎんぶち)メガネの、陰気そうな見た目。(おび)えたような小声と表情で呟くように話すので、その印象はさらに際立った。生え際にちらほら白髪が混じっているところを見ると、もう若くはないのだろうか。まるで昭和に戻ったような、時代遅れの古臭いワンピースをいつも着ていた。
「ごめんなさい。前にも話したけど、宗教には全く興味がないの」
「はあ」と、女は言葉のような吐息のような、覇気(はき)のない声を出した。
「本当に、ごめんなさいね」
女が放つ、独特のマイナスオーラを浴びると余計に滅入る気がして、私は遮断するように急いでドアを閉めた。でも、考えてみたら私だって周囲の人から「幸薄そう」とか「メンヘラ」とかって言われてる。あの女と似たような印象を私も人に与えている、ってことなんだろうか。

けれど私は、女と違って新興宗教を理解したり信用したり信者になることは出来ない。個人の自由なのはわかっているし否定はしないものの、胡散臭い宗教団体にうまく利用されているような印象がある。あまりいい噂も聞かない。詳しい実情は知らないが、勧誘活動にもノルマがあるらしい。そんなビジネスにも映る行為に貢献してまで、何かしらの喜びがあるのだろうか。宗教組織に所属することによって、孤独が癒されたりするのだろうか。

そんなことを考えている時、再びインターホンが鳴った。しつこいな、と思いつつモニターを確認したら、見知らぬ男の子だった。
「こんにちは」
さっきの女性信者とは打って変わった、明るく爽やかなイメージ。目鼻立ちが整っていて、黒い前髪を大きな目の上まで垂らしている。黒いニットのセーターにジーンズ姿。
「ひろみさん、いらっしゃいますか?」
「ひょっとして…哲…くん?」
思わず、そう聞いてしまった。男の子は不思議そうな顔をして、
「いえ…」
戸惑いを見せ否定した。私は慌てて、
「ごめんなさい。人違いしちゃったみたい。でもあなたも、間違えてるわ。ひろみママなら、お隣の部屋よ」
言葉と同時に目線で示した。
「うわ! やらかした! どうもすみません」
男の子は隣室(りんしつ)を見た後そう言って深く頭を下げると、身を隠すようにドアの前から素早く消えた。やれやれ、と息をつきながら、私は後ろ手にドアを閉める。

結局この日、雅は連絡もくれなかったしアパートに来ることもなかった。

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