第1話森守村の娘シズ

文字数 1,298文字

 シズは変わった子だった。

 ときおり空を見上げ、木や森を眺め、足もとの草花を眺めていた。よく地面にしゃがみ込んで、草や木に向かって小声でつぶやいていたりする。

 また、突然「もうすぐ雨が降るらしいよ」「神社の椿は喉が渇いているみたい」など誰かに聞いたようなことを言い出すので、おかしな子だとも思われていた。

 聞いた者がもっと注意深かったならば、実際に言う通りのことが起こっていたのだが、忙しく働いている大人たちは気にもとめないので、シズはいつまでも変な子のままだった。

 いつもそんなだから、大きくなるにつれて、シズは言葉に出すことをやめた。五歳になった今は、口数の少ないおとなしい子だと思われている。

 彼女は、膝丈の紺絣の着物を着て、蜜柑色の三尺帯を締めた小柄な子だ。着物は少々くたびれていて、足にはすり切れた藁の草履をはいていた。

 その日は、町の学校に通っている兄の基一(きいち)が、下宿先から久しぶりに帰って来たので、母が基一とシズの好物である小麦団子を作ってくれた。

 小麦団子は、うどん粉を水で練って茹でた素朴な団子だ。砂糖と醤油を煮詰めて、芋のでんぷん粉でとろみをつけた、甘辛いあんをからめてある。
 砂糖がめったに手に入らない村で、甘い食べ物はご馳走だった。

「食べる前に、お団子を神社さんへお供えしておいで」
 母のトヨが二人に小麦団子の皿を差し出した。

 森守(もりかみ)神社は、加見(かみ)ノ森の入り口に建てられている古い神社だ。シズの家からは歩いて数分と近いが、急な坂を上って行かなくてはならないので少し疲れる。

 シズは基一に手を引かれながら坂を上がり、拝殿前に小麦団子を供え、柏手を打って拝礼した。

「とおかみえみため、基一兄ちゃんが元気で勉強できますように」
「とおかみえみため、シズが風邪をひきませんように」

 「とおかみえみため」とは、森守神社を参拝する時に唱える言葉だ。昔からそう言って祈るように教えられてきたので、シズはどんな意味だかは知らない。
 それでも、シズは心をこめて唱える。森の神様がシズの言葉を気に止めてくださるように。

 帰り道、シズは不思議な光景を見た。
 もうすぐ家に着くと言う時、加見ノ森の方を振り返った。

 夕焼けで空が赤く染まっていた。
 加見ノ森の上空。赤く染まった空の中に黒い裂け目が浮かび上がり、大きな口のように開いたのだ。内側には牙のような鋭い刃がたくさん並んでいた。

 すると、どこからともなく黒い(もや)がただよって来て次々と裂け目に近づいて行く。
 黒い靄は鋭い牙でかみ砕かれ粉々になり、渦巻くように舞い上がった。ぐるぐるまわり続ける渦は、まわっているうちに白い光に変わり、やがてはじけて消えて行った。

「基一兄ちゃん、あれ」
 シズが指さすが、基一には何のことかわからない。
「なんだ、森がどうした」
「ううん、何でもない。夕焼けが」
「ああ、きれいだな」

 シズは、あの不思議が基一には見えないのだと気づいて、話すのをやめた。きっと、誰に話しても、いつものように信じてはもらえないだろう。

 恐ろしくはあったが、シズにはあれが悪いものには感じられなかった。きっと、加見ノ森の神様の御業たろう、そう考えた。
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