第3話・お鍋のインチキおじさん

文字数 1,073文字

 ♪お鍋の中からボワッと~イ~ンチキおじさん 登っ場~♪


 その瞬間、私は勢いよくお鍋のフタを閉めた。渾身の力を込め、全体重をかけてフタを押さえる。
 フタの下からは、おじさんがゴンッゴンッと必死にフタを叩く音がする。
 このお鍋は、キムチ鍋だ。さぞ、目や鼻や、とにかく全身にキムチがしみてしみて仕方ないだろう。

「あっ、あああああああああ!!!!!」

 お鍋の中から野太い絶叫が聞こえた。
 構わず、私はフタを押さえ続ける。



 10数年前、父、母、家族みんなでモツ鍋を食べていた時、奴は現れた。
 モツ鍋の中から「どっこいしょ」と、風呂から上がるかのように現れた。

 うまいもうけ話があるんだ、そう言って奴は父に取り入った。
 父は元来お人好しで、奴の話をすぐ信じた。

 ……結果、父は5000万の借金を背負った。
 気が弱く、胃痛持ちで、トーストの上に納豆を乗せて食べる事が好きだった父は首を吊って死んだ。母は、借金返済の為に身を粉にして働いた。

 数年前、過労死した。


 だから、私は許さない。
 家族をメチャメチャにした、このお鍋のインチキおじさんを。

 こいつに会う為に、私は毎日鍋料理を作った。
 ちゃんこ、モツ、キムチ、ぼたん、寄せ、てっちり、鴨、すき焼き、闇鍋……(ん?)
 毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、たった1人で鍋をつついて、つついてつついてつつきまくって。
 たとえそれが虚しくて、寂しくて、お鍋の湯気が目にしみようとも。

 そして今日、ついにこいつは再び現れた。
 “ボワッ”という、効果音と共に。

「……死ね」
 思わず洩れる声。

「死ねっ、死ねっ! 煮えろ、煮えたぎれ! 煮えに煮えて煮えまくって、ふやけて、キムチ鍋の藻屑と化せ!!!」

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!」
 おじさんは最後の力を振り絞って、汚いダミ声で叫びながら鍋の中で激しく暴れた。
 鍋がちょっと動いて、汁がこぼれる。しかし、こんな小さなおっさんが暴れたところで、私には痛くもかゆくもない。



 しばらくすると、鍋の中が静かになった。
 額に流れる汗をぬぐいつつ、恐る恐るフタを開けると、ふわっと湯気があふれ、真っ赤なツユのその中でおじさんが仰向けになって死んでいた。

 こっちに、むくんだ汚ねぇ顔向けて死んでんじゃねぇよ。胸糞わりぃ。

 私は、ぷかぷか浮いている小太りのおじさんを箸でつつきながら、汁の中に沈めたり、泳がせたりした。
 5分くらいもてあそんでから、箸でつまんで、窓を開け、おじさんを投げ捨てた。


 キムチ鍋は、流しから流して捨てた。

 明日は、カレーを食べよう、と思った。
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