[1]美女と同級生 〈C〉

文字数 4,212文字

「……お目覚めになられましたか?」

 上質な革のシートに沈めた背中が、時折襲ってくる小刻みな振動に震えた。

 僅かに開いた瞼の先に、チカチカとした電光が跳ねる。流れゆくそれを夢心地で見つめていた彼は、やがて自分の理解出来ない現状にハッと目を見開いた。

「おっ、俺……んんっ!」

 声を発した途端、喉元から鎖骨の真下にかけ鋭い痛みが走った。慌てて口をつぐみ、苦しみの素を探るため右腕を上げようとするが、

 ──あ、れ? 身体が……動かない?

 歯を食い縛って四肢に力を入れるも、金属の不協和音が眼下から聞こえてくるだけだ。両手首・両足首がその音を発する何かで拘束されていた。監視用のミニチュア衛星(サテライト)が自分を軸に水平回転し、明滅しながら目の前を(かす)めてゆく。

 ──さっき見えた光はこいつか……これだけでも十分俺を束縛出来ているだろうに、まったく何で縛りつけられてるんだよっ!

 冷静さを取り戻そうと、彼は小さく息を吐き出した。首の付け根も抑えつけられている様子だが、かろうじて(かし)げた視界の右端に、先程聞こえた声の主が映った。

 「赤」と「黒」。

 自分と同じ二十代前半といったところの西欧風美女が、一メートルほど離れて並んだシートに腰掛けていた。長い(まつげ)に彩られた緑青(ろくしょう)の瞳が印象的なクール・ビューティ。燃え立つような美しい赤毛は(おとがい)の辺りで綺麗に切り揃えられ、均整の取れた艶のある唇を時々隠しながら揺らいでいた。細く滑らかな首筋の下には、デコルテが露わに開かれた黒いベルベットのフレアーミニドレス。その中身は細身ながらグラマラスで、やけに色気のあるこの人物の出現は、目の前の彼をまた別の意味で戸惑わせた。

 ──俺、いつこんな綺麗なねえちゃんとお近付きになった? いや……イイ想いした記憶も感覚も……それとも、もしかしてこれからなのか? まだ今のところ服は身に着けているみたいだし……これって、アレだよな? その……『SMプ──

「まもなく痛みも引くことと思います。もう少々大人しくされていてください」

 隣のシートから優しく(さと)した女性は、正面に姿勢を戻して端正な横顔を見せた。柔らかな口調ながら眼差しは涼しさを通り越して、ひんやりとした雰囲気すら(かも)し出す。──ってことは……? 違うのか……ちょっと残念──んじゃなくて! 何なんだよ~言葉はバカ丁寧なのに、そのおっかないくらいの冷酷な目つきは!!

「あ……んた……誰、だ……ど、して……ぐっ!」

 今一度言葉にした疑問は、痛みにただちに止められた。それでも彼女を振り向かせ、多少の事情を説明させる効力はあった模様で、

「どうぞ今しばらく、お声は発せずにいらしてくださいませ。これまでの経緯は後ほどしっかりご説明致します……キサラギ──クウヤ様」

 ──何故、俺の名前を? いや、そんなことより──

 近くに寄った見下ろす(おもて)に、クウヤは驚愕の表情で相対していた。──そうだ……このいやに無機質な笑顔、真っ赤な髪……思い出した……気を失う前に確かに見上げたんだ。このねえちゃんの……膝枕の上で!

 失神前に起きた由々しき事態を、刹那に脳裏から(すく)い上げる。やがて彼は黙って頷いた。いや、無言なのは喉が痛いからだけじゃない。彼女の静かな微笑みが、息苦しい程の威圧感を(はな)っていたからだ。此処はとりあえず従っておこう──クウヤはもう一度、稼働範囲ギリギリでの大きな頷きを返した。苦笑混じりの頬を歪ませて、気付けばその身を震わせていた。


 ◆ ◆ ◆


 捕らえた『獲物』の承諾を確認した女性は、満足したように再びシートへ身を委ねた。ベルベットのドレスは質感の差はあれど、座席の黒革と不思議なほど一体化している。そうして生まれた暗い背景は、しなやかな腕と脚の白さを一層際立たせ、つい釘付けとなる彼の横目を占領した。

 確かに「この眩しい脚線を自分の頬で堪能した」という記憶にクウヤはぶち当たった。おそらく数時間程の近い過去、けれどきっとそうしていた時間はたった数秒のことだ。それから意識がプツリと途切れ、目覚めたらこんなことになっていた。

 ではどうしてこんな事態に陥ったのか、その前に一体何が遭ったのか──かなり倒されたシートから、手を伸ばせば届きそうな低い天井を見据え、過去を巡らせてみる。──ああ、そうだ……この『事件』の始まりにも、確かこうして見上げていた。つまらない地球の天井を。当てもなく歩いた夜の街角で、自分とは無縁の高級クラブの入口で。

 この時代、もはや自分の脚で外を歩く人間など、日本では天然記念物並みと言って良かった。飛行機はもちろん、地上十メートルを走るスケートボードから、タクシーでさえ空を飛ぶ。が、クウヤは足裏を大地に着けて歩くことが、人間の本来あるべき姿だと思っていた。その主張が例え「自分で買える代物ではないから」というお粗末な理由によるものだとしても、だ。

 休日前夜の空は賑やかで明るくて、飛び交う車や人の波は、まるで花の蜜を目指す蜂の群集のようだった。クウヤは(こうべ)を垂れて俯いた。自分には届かない現実から目を逸らすように。やがて諦めをつけるための深い嘆息を吐く。

「あれ? あ、ちょっと……えー、そこの色男!」

 やけに古臭い呼び掛けで見知らぬ声に引き止められたのは、この用のない街からおさらばとばかりに(きびす)を返そうとした時だった。キャバレーの客引きだろうか? しわくちゃの綿シャツに(すす)けたジーパンなどという身なりでは、到底入れる店ではないだろうに。それも自分のような日雇いでは、例え一週間寝ずに働いても、二時間の滞在ですら厳しい高級店の筈だ。クウヤは返事をする気にもならず、気付かぬ振りを決め込むことにした。

「無視しないでよー、キミ、如月(きさらぎ)『ハカセ』でしょ?」

 ──カッチン!

 夜の繁華街で呼び止める男など、どうせロクな奴ではないと思っていたが、さっさと逃げ出す算段で繰り出した足先は、その呼称で突如フリーズした。

「だぁれが『博士』だって~!?」

 勢い良く振り返り、真後ろのあっけらかんとした顔に向けクウヤは吠えた。ツカツカと近寄り首元をひっつかみ、その拳を自分の高身長に合わせて引き上げた。

「おっとっと……何だ、名付け親を忘れたの~? ボクだよ、ボク! 浅岡っ、浅岡 啓太!」

「浅岡……?」

 胸ぐらを締めつけられた中肉中背の青年は、白旗を上げるように困り顔で両手を掲げた。少しうねりのある茶色の髪に、弓なりのつぶらな瞳。余り貫禄があるとは言えないが、服装は上流階級の遊ぶこの街に釣り合うようなグレーのフォーマル・ウェアを(まと)っている。

「もうあれから十年以上は経ってるもんね。忘れられても仕方がないか……小学四年の時にクラスメイトだった啓太だよ。クウちゃんに『ハカセ』ってニックネーム付けたのボクだったの、もう忘れちゃった?」

 クウヤは息苦しそうに弁明する「浅岡 啓太」を解放し、ホッと胸を撫で下ろすその姿をまじまじと眺めた。そんな名のクセッ毛頭の同級生と、すっかり記憶から消し去っていた昔のあだ名を、微かに思い出し苦々しく笑う──ああ……そっち(、、、)の『ハカセ』だったか、と。

「わりぃ……啓太。懐かしいな……でも良く俺だって分かったな?」

「まぁね。クウちゃんの後ろ姿は分かりやすいからさ。脳天のつむじの真下にもう一つ小さなつむじがあるでしょ? ボクはそれを忘れなかった!」

 珍しい特徴とはいえ、自分の記憶力を誇らしげに語った啓太を前にして、クウヤはつむじの並ぶ焦げ茶の短髪を、恥ずかしそうに掻き乱した。



「ね、これから時間ある? ちょっと臨時収入があってさ。ココでパァっと使いきるつもりだったんだけど、相方にすっぽかされちゃって~」

 同じくはにかんで後頭部をこすり出す啓太。同時にクウヤは明らかに信じられない申し出に、思わずあっけに取られていた。

「おまっ、アホか? この店メッチャ高いんだろ!? んな多額の臨時収入使いきるって……何てもったいない!」

 だったら俺によこせ! と言いたい気持ちを押し殺して、正気の沙汰とは思えない! という目つきで凝視した。

「まぁまぁ……宵越しの金は持たぬ~って、昔は言ったものでしょ?」

「お前……一体、何百年前の人間だ」

 クウヤの呆れた口調は変わらなかったが、それを断る理由もなかった。結局啓太の強引な誘いで店先へ足を向けたが、

「いや、ちょっと待てよ。こんな格好じゃ入れてもらえないだろ?」

 掴まれた腕をほどき、バツの悪そうな顔をそむける。幾ら懐は温かくても、このままでは門前払いに決まっている。

「ああ~これは失敬。ちょっと待ってて、イイモノがあるんだ」

 啓太は店の路地裏にクウヤを引っ張って、おもむろに上着の内ポケットを探り、シルバーのペンライトを取り出した。

「実はボクもコレで映し出してるだけの一張羅さ。クウちゃんは……そうだ、シックに黒なんてどう?」

 とニコリと笑いながら何度かペンの頭をノックし、啓太は『黒』を選んだようだった。照準をクウヤへ合わせたペン先から、刹那黒々とした光の波が現れる。それは彼の身体にまとわりつき、じわじわとスーツの形を成した。

「……3D……いや、4Dホログラムか?」

 自身で見下ろしてみても、景色はれっきとした男の礼装に変わっていた。中に着た白いワイシャツも、光沢のある藍のネクタイも、身体の動きに合わせて自然な皺を寄せてみせる。上着のポケットに手を突っ込んでみたが、どういう仕組みなのか、中に収めた手が飛び出ることはなかった。

「まぁ、そんなところだね。これから売り出される新商品の試作版だよ」

 便利な世の中になったもんだな、とクウヤは微かに自嘲気味な息を吐いた。こんな高度な技術を持つ製品ならばきっと──胸に湧いた疑問は彼の視線を空へ上げさせていた。先程と変わらない騒がしい交通の向こうに、白けた地球の天井が広がっている。店を目指した啓太に振り向き、クウヤはふと問いかけた。

「啓太って……もしかして『上』の人間なのか?」

「上?」

 キョトンとした表情と(まなこ)は、それでも一瞬の内に理解して、端的な答えを導き出した。

「ああ……『ムーン・シールド』の上か。さすがにそこまでお金持ちじゃないさ」

「そうか……」

 啓太の朗らかな笑顔に吊られ、クウヤも気を取り直して後に続いた。

 二人のご立派な紳士が向かう華やかな入口は、(うやうや)しく頭を下げたドアマンによって勢い良く開かれた──。


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登場人物紹介

◆クウヤ:如月(きらさぎ)空夜(くうや)

◆男性 ◆23歳 ◆日本人

◆とある理由から人生を転落し、日雇い労働で食い繋いでいる

◆こげ茶の短髪 ◆長身 ◆細マッチョ

◆縦に並んだ2つのつむじを啓太に見つけられ、高級酒場へと誘われるが・・・?

▲名前は第7話までヒミツ♡(イニシャルは「M」です)

▲謎の美女 ▲20代前半 ▲西欧人?

▲クウヤが訪れた高級酒場の、隣のコーナー席で遭遇

▲赤毛のおかっぱ ▲細身でグラマラス ▲瞳はブルーグリーン

▲気を失ったクウヤを連れ出した彼女の目的と、その正体とは・・・?

★浅岡 啓太 ★男性 ★23歳 ★日本人

★クウヤの小学4年の時の同級生

★くせっ毛の茶髪 ★中肉中背 ★つぶらな瞳

★クライアントからの報酬を元手に、高級酒場で豪遊しようとクウヤを誘うが・・・?

●ネイ ●女性? ●外見は10歳未満、実年齢は?(第2章7話目で判明します) ●タイ人?

●カオサンロード奥にある安宿の…!?

●緩めのウェーブが掛かった長い黒髪 ●2頭身かと思うほど小柄 ●大きな黒い瞳

●クウヤを『上』へ連れていくため、訪れたバンコクで待っていた幼女だが・・・?

*名前は第5章1話(30話目)までヒミツ♡

*通称:マッド・サイエンティスト(byネイ)

*男性 *20代前半 *西欧人?

*『上』の住民!? *メリルのメンテナンス技師?

*肩に掛かるホワイト・グレイの髪

*スタイルの良い紳士風だが、シミだらけの白衣を着ている(苦笑)

○シド ○ウサギ型ロボット

○男性? ○作製期間不明 

○主人はおそらく皆様のご想像通りw

○セリフは全てカタカナ表記で語尾が間延び

○プロ並みのドライブテクニック

○雪のような美しい白い毛並みが自慢

○『不思議の国のアリス』に出てくるウサギのように、チェックのベストを着ている(苦笑)

◇名前は第6章2話(37 話目)までヒミツ♡

◇女性 ◇27 歳 ◇アメリカ人

◇時にはストレートのブロンドをうなじで結い、銀縁眼鏡を掛けた才女。時にはウェーブのロングヘアを流して、化粧も口調もけばけばしいが…?

◇バストサイズはメリルと同等、もしくはそれ以上?

◇クウヤのことを知っているようだが、二人の関係は・・・!?

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