[1]敵か? 味方か!? 〈S:U〉*
文字数 4,656文字
二人はコルカタ駅地上階の入り口付近にある小さな食堂にいた。
クウヤが最後に食事を取ったのはもう昨夜のことだ。それもソーセージを数個とキャベツ数切れにビールを一缶。それから駅に着くまで何も口にすることは出来なかったのだから、料理が運ばれてくるのを待ちながらボヤいてしまうのも致し方なかった。
「も、申し訳ございません、クウヤ様」
「いや……お宅の優先順位は間違ってないから。あの状況でチンタラ寄り道でもしていたら、また襲われちまうからな」
「……恐れ入ります」
それでも背後から聞こえてくるお腹の音に、さすがのメリルも切符購入を後回しにせざるを得なかった。
早々にやって来た野菜のカリーに、薄っぺらいチャパティを浸してしばしがっつくクウヤ。一枚食べきったところでひとまず落ち着きを取り戻したのか、その後供されたチキンカリーはゆっくりほぐし、器用にチャパティでくるんで久々のインド料理を楽しんだ。
「此処からムンバイまでは、また空飛ぶ列車か?」
プレーンの
「いえ……昨朝のこともございますし、鉄道を利用するのであれば陸路を選択すべきかと考えております。インドは鉄道網が発達しておりますので、内陸のデカン高原を一直線に走るルートを使えば、むしろ空路よりもスムーズではないかと」
「え? あ……そうか?」
メリルが陸路を選んだのは、クウヤには意外な感じがした。もちろん此処までを振り返れば空路は危険そのものなのだが、陸路で攻撃されれば被害は更に甚大である。が、デカン高原に大都市は少ないので、良いか悪いかはさておき、荒野での戦闘となればそれほど問題ではないのかもしれない?
「どっちにしても新たに武器を手に入れないと、か……」
ロケットランチャーは本体ごと使い果たし、残りの銃器はテントに置き去りだ。現状二丁の拳銃のみというのは、幾ら二人が射撃の名手と言えどさすがに心細過ぎる。
クウヤは特にメリルからの返事を待たず席を立ったが、当のメリルは珍しく答えるどころか腰を上げる様子も見せなかった。
「どうした? メリル。武器調達とか切符購入とか、しなくちゃだろ?」
システムに不具合でも生じたのだろうか? メリルはクウヤの問いかけにも反応を示さず、姿勢を正して座ったまま微動だにしなかった。
「おい、大丈夫か? 何かエラーでも出たのか?」
気付かせようと肩先にそっと触れた行為は、メリルを正気に戻すには十分すぎるアクションだったらしかった。
「!! ──も、申し訳ございません、クウヤ様!」
触れた途端ビクンと肩が波打ち、まるでハッとしたような表情を見せて謝罪した。
「い、いや……ホントに大丈夫か? 人間じゃないから疲れてる訳はないだろうが……夜通し戦って何処か支障が出てるんじゃないか?」
すっくと立ち上がり即座に腰を直角まで曲げたが、今まで見せたことのないメリルの慌て振りにクウヤも目を白黒させた。
「いえ、今後の動向プログラムを作成しておりました。そうした作業の間はほぼスリープ状態になってしまうものですから……」
「そりゃあなかなかの旧式だな……」
そんな時に襲撃でも来たらどうするのだろうか? ──言葉にはしなかったが、苦笑するクウヤの表情から解したらしく、
「フリーズしていても危機は察知出来ております。ですので先程から危険分子が約一体、近付いてきているのが気掛かりではあるのですが……」
メリルが珍しく憔悴気味に小声で一言呟いた。
「え?」
「いえ。では参りましょう」
先頭に立って店を出たメリルだが、その雰囲気は明らかにいつもと違う。キョロキョロと辺りを探りながら駅の入口を目指すも、彼女の不穏な言葉通り、突如現れた一台の車両が二人の行き先を塞いでしまった。
──敵か!?
クウヤは咄嗟に懐の拳銃に手を伸ばしたが、
「ワタシ ノ イトシイ イトシイ ヒメサマ~。ドウカ ドウカ オノリナサイ~」
「あぁ!?」
運転席のウィンドウが開き、見えた不可思議な姿と機械音声のおかしな日本語に、思わずクウヤは叫んでいた。
「ココハ「ワタシ ノ インド」デスカラ~。ムンバイ マデ ドウゾ ゴユックリ~」
「ウ、ウサギ!?」
もう一度叫んだ疑問の声に、隣のメリルは僅かに頷いた。
そう、運転席から呼びかけたのは、まるで『不思議の国のアリス』に出てくるような洋服をまとった大きなウサギだったのだ。
「国境を越えればお越しになられると思っておりました。ですが此処まで現れずにいらしたのは、やはり街から離れたくなかったからでしょうか?」
諦めたような溜息を一つ、メリルはもう動揺など見せることもなく冷然と問いかけたのだから、少なくともこのウサギは敵ではないらしい。
そして──こいつが呼んだ「ヒメサマ」って──メリルのことかよ!?
「ジャングル ハ ドウモネ~。コノ ウツクシイ シロイ ケナミ ガ ヨゴレテシマウデショ~?」
「美しい白い毛並みって、着ぐるみだろ?」
敵でないことは理解出来たが、好意を持てる相手でもないことは、メリルのいつも以上に鋭い視線からも察せられた。
「キミ モ オクチ ガ ヘラナイネ~クウヤ~。マァマァ トリアエズ オノリナサイ~」
「こ、いつ……俺のこと知ってるのか!?」
交通量の多いインドの路肩で長居は危険だ。メリルも仕方なく扉の開かれた後部座席に進み、驚いたままのクウヤも彼女に続いた。やがてウサギは満足したように、前方を向いて運転を始めた。
「お、おい、メリル……」
「説明不足で申し訳ございません、クウヤ様。こちらは『エレメント』を狙う組織などではございませんのでご安心ください。ですが完全な味方と言い切れる方でもございませんので、どうか警戒は解かずにおいでください。ちなみに着ぐるみでなく、ウサギ型のロボットでございます」
「んなのどっちでもイイって……それより──」
「シド様。常時「聴かれて」いらしたのでしょうか? これ以上信頼を失う行為をされるのであれば、わたくしはもう二度と伺うことはございません」
「シド?」
メリルの冷徹な口調は、ヘッドレストから見える長い耳へと向けられていた。その言葉にまるで心が
「グスン……ヒメサマ ヲ オモエバコソナノニ~。ダカラ トキドキ テダスケ シテアゲタデショ~?」
「盗聴盗撮は不正行為です。今後は一切おやめください。さもなければ──」
「ハーイ! ハンセイ ハンセイ~! ダカラ コレカラ モ チャント キテネ~」
「……」
無言の応対は了承の意味か? メリルはそれきり黙ってしまった。ただ真っ直ぐ前方を見つめるその横顔に、クウヤは言葉を掛けるタイミングを見つけられずにいた。
仕方なく此処までのやり取りから、自分なりに見解を組み立ててみる。
クウヤが少なくとも分かったのは、
・このウサギはロボットで、名前は「シド」
・ロボットということは別の場所に主人がいて、メリルはその主人を嫌っている?
・シドは今まで自分達を監視していた。「口が減らない」という台詞から、明らかにバンコクのホテル滞在時、ネイとのやり取りを盗聴されていたと思われる。
・目的は分からないが、メリルはこの主人の元へ通っている。
・シドもしくは主人は……潔癖症?
──もしかして……メリルが陸路を使いたがったのは、こいつを避けるためか? 荒野のデカン高原……ジャングルに現れなかったように、不毛の地を走る列車なら──いや、インドの二等客席ならお世辞にも綺麗とは言えないから、そっちの意味かもしれない?
「ヒメサマ モ クウヤ モ ケイカイ ナンテ シナクテ イイヨ~。ヤクソク ヤクソク、ヒメサマ スコシ「スリープ」ナサイ~」
「スリープ?」
全員が黙ったまま小一時間が経った頃、シドウサギが突然二人に声を掛けた。気付けばコルカタ郊外はとっくに抜けて、家々もまばらになっている。
「約束……お守りになると、仰るのですね?」
「モチロン デス~!」
「??」
ここで妥協するのは余り
「クウヤ モ イルンダカラ アンシン シテ~」
──俺がいると安心??
と、考えを巡らせている内にメリルが答えを出した。彼女はシドウサギの提案に乗るつもりになったようだ。
「ではお言葉に甘えまして、セーブ・モードに入らせていただきます」
横目に入った意外な展開に、クウヤは驚きを隠すことも出来ず固まった。何せずーっと背筋を正しているのが当たり前だったメリルが、初めて背もたれにその身を預けたのだ!
「クウヤ様、申し訳ありません。しばしセーブ・モードに切り替えさせていただきます。大抵のことはシド様がご対応くださると思いますが、対処出来ない事態になりましたら再起動致しますので、それまではご容赦願います」
「ご容赦って……メリル、おい……」
理解不能なクウヤの表情を映す前に、メリルは切れ長の双眸を閉じてしまった。やがて人間のような静かな寝息を立て、メリルは「セーブ・モード」に入ったようだった。
「え、いや……嘘だろ……?」
まさかいきなり電源オフ状態にされるとは思わず、クウヤは自身の置き所に困惑した。「クウヤがいるから安心」ということは、自分はシドに運転を任せて、メリルと仲良く車内で居眠り、という訳にはいかないということだ。
カーブを切った車体に合わせてメリルの身体がクウヤに傾く。上腕に寄り掛かった彼女の赤毛から、上品なフレグランスが微かに薫る。──こいつがこんなに人間らしいのは、やはりハニートラップ用なのか……?
「ウラヤマシイネ~クウヤ~。ヒメサマ ガ ソンナニ ケイカイシン モタナイノ、キット キミ ガ ハジメテ ダヨ~」
「ああ?」
シドウサギに言われてふと見下ろしたメリルの寝顔は、今までに見せたことのない明らかに別の一面を宿していた。
何とも幼く、何の
「シド、あんた一体こいつの何なんだ?」
その質問に、シドウサギの耳がピクリと反応を示した。が、すぐには応答せず、田舎道を走っていた車両を徐々に傾かせ、やがて上空を走っている車の群れに合流する。
「何だ……この車も『ムーン・ウォーカー』だったのかよ」
「木を隠すなら森」とでも考えたのだろうか。下界に比べ、空中は明らかに混んでいた。行き交う『ムーン』の波をスイスイとすり抜け、シドウサギは得意げに呟いた。
「テキ ヒトツ ヤッツケテ アゲタヨ~」
「何っ!?」
クウヤの驚きと同時に、背後で事故らしい衝突音が鳴り響いた。
「まったく気が抜けないな……」
ほぉっと一息をついたクウヤの嘆きに、クックと嗤うシドウサギ。そしてようやく先程の質問に回答した。
「『ツール』ヲ テニイレテ、ワタシ ノ トコロ ニ キタラ、ヒメサマ トノコト、オシエテ アゲテモ イイヨ~。タダシ ヒトツ ダケ ヤクソク ヤクソク~」
「何だ? 約束って」
「ワタシ ノ コト、ナグラナイッテ ヤクソク シタラ オシエテ アゲル~」
──それって、殴りたくなる何かがあるってことかよ……!?
クックと嗤い続けるシドウサギの後ろ姿に、クウヤは少しばかり戦慄した──。