[3]○束縛の理由
文字数 4,417文字
お次にレディースのセクションへ連れていかれたクウヤは、買い物を始める前に「絶対何処へも行かないでください」と念を押され、おそらく長く掛かるであろう女性の買い物に付き合わされることになった。が、メリルは「わたくしの衣類などどうでも宜しいのです」と言った通り、吟味することもなく目についたカットソーやブラウス、民族衣装の店では観光客にうけそうな「パートゥン」と呼ばれる長い腰巻スカートなどをポンポンと買っていく。下着くらいは試着して、そのドレスをいい加減着替えるのだろうか? クウヤは勝手な妄想を巡らしながら、ついて行った先では革のサンダルを買い、やっと足元だけは高いヒールから歩きやすそうな状態になった。
「此処で終わりに致しますので、もう少々ご辛抱ください」
最後と言ったのは予想通り下着売り場のセクションだった。視線を合わせづらい周りの環境に加え、多少カップルらしい男性の姿は見えるものの、もちろんほとんどが女性客である。お陰で居心地はこの上なく悪い。ここだけは時間が掛かることを予測したクウヤは、ひとまずトイレに退散しようとメリルの目を盗み、こそっと店から抜け出した。
とりあえずアーケードの通りまで出て、トイレの看板を探す。近くにはサインがなかったのでウロウロと見回して進む内に、目の前を通り過ぎようとした男性に英語で問いかけられた。
「トイレでもお探しですか?」
スラリとした西洋人だが、こちらで暮らしている風でもなく、観光客といった様子でもない。この場にそぐわないスーツのビジネスマンだ。
「あ、ああ。知ってますか?」
出張先に向かう前にでも観光がてら立ち寄ったのだろう、クウヤは意に介せず返事をする。自分より少し年上といったその男性は「こちらですよ」と親切に指を差し、まるで案内するようにクウヤの背中を軽く押した。
「ダメです! クウヤ様」
「え?」
と、すぐ後ろまで聞きなれた声が追いかけてきてしまっていた。それは今だかつて聞いたことのない焦燥の色を露わにしている。振り向いた先にはいつになくおっかない顔をしたメリルが迫り、クウヤは慌てて言い訳をしようと脳ミソをフル回転した──が!
「なっ……!」
彼女が怒りの矛先を向けたのは、案内役のビジネスマンだったのだ。
メリルは両手にぶら下げた買い物袋を彼めがけ、ぶん殴るように振りかぶったが、ビジネスマンの
「お早いお着きでございますね」
「そうでもないさ」
一度一歩を引き、腰をかがめたメリルの言葉に、不敵な笑みで答えるビジネスマン。あっけに取られたクウヤの右腕はいつの間にかその男に強く握られていた。
「彼をお放しください。でなければ容赦は致しません」
「容赦なんて要らないさ。君にも彼にも死んでもらうだけだ」
──な、なんだ? 一体どうなってる!? 死んでもらうって、メリルと……俺、だよな?
目の前で展開する二人のやり取りに、ようやく理解の出来てきたクウヤは、反比例に冷静さは失いつつあった。先程のメリルにされたのと同様、圧迫する腕の力に苦しみの声が洩れる。それに気付いたメリルが駆け寄り、クウヤと男の間に割って入ったが、メリルの攻撃を
「この男のどの部分だ? 腸まで達したなら、それを引きずり出すまでだ。他は返してやる」
「髪の毛一本お渡し致しません」
そう言ってメリルは一度深くしゃがみ込み、女性とは思えない跳躍を見せた。クウヤの目の前まで飛び上がった美しい脚が、半回転して男の防御した二の腕に食い込む。強烈な蹴りが効いたのか、クウヤを捕まえていた手が一瞬ひるみ、メリルの左手でトンと背中を押されたクウヤは、やっとビジネスマンの呪縛から逃れた。
「ちっ!」
よろけて数歩進んだ後ろから、男の悔しげな舌打ちが聞こえた。クウヤは体勢を戻して振り向いた眼下に、落とした買い物袋を急いで拾うメリルの慌ただしい姿を見た。
「メリル……?」
「クウヤ様!」
数点取りこぼしたままだがメリルは諦めたらしかった。手にした幾つかをクウヤの腕に抱え込ませ、そして──
「逃げます!!」
──ええ!?
買い物袋をつかんだ細い腕が、ハッパを掛けるようにクウヤの腰を押し出した。助走のつけられた脚はリズムをつかんだように繰り出されて、素早いメリルの駆け足にも何とかついて行った。
「お、おいっ、逃げるって──」
「先程あの方には左眼に一発入れておきましたので、しばらくは追ってこられないと思われます。ですがお仲間がいらっしゃる可能性も考えまして、これから此処を抜けて『ムーン・タクシー』を拾います。どうかそこまでは頑張ってください」
「えぇ~!?」
メリルは今必要なことを話し終えるや、スピードを高め先を走った。買い物客の増えた路地は、荷物を抱えて進むには余りに困難で、先々でぶつかった客が小さな悲鳴を上げる。とにかく通じそうな英語で謝りながら、どうにかメリルを見失わずにマーケットをすり抜けたが、出口にも同じようなスーツの男が現れ、やはり彼女の華麗なキックがその顔面に炸裂した。敷地の外に待機している『ムーン・タクシー』のドアを叩き、滑り込んだメリルに続けてクウヤも不格好に転がり込んだ。
「カオサン・ロードへ」
何事もなかったように落ち着いた声でドライバーに行き先を告げるメリル。とりあえず握り締めた買い物袋を手放し、クウヤはホッと息をついたが、倒れ込んだつもりのシートはシートではなく、またもやメリルの膝枕だった。
「ああ……悪い……。しかし何なんだぁ、あいつ!?」
空へ飛び立ち安定走行を始めた車内で、クウヤは膝枕から起き上がり髪を掻き上げた。あの親切そうな笑顔を思い出し、刹那噛みつくような顔つきを見せる。
「日本では『刺客』と申しましたでしょうか?」
「あ?」
「『エレメント』を狙う『刺客』でございます」
あれほど走ったにも関わらず、呼吸一つ乱していないメリルが淡々と告げた。確かに「腸を引きずり出して云々」なんて言ってたな──思い出された会話が、クウヤにあの恐怖と腕の痛みを鮮烈に蘇らせた。
「んなこと冷静に言うなよ……どうして『エレメント』が狙われるんだ? 世の中にはこんなに『エレメント』が溢れてるのに」
「『エレメント』は矮小な物でさえ既にほぼ採り尽くされているのです。以前は採掘されれば直ちに『ムーン・ウォーカー』の核として加工されてしまいましたし……まさか人体にまでとは思いませんでしたが、実は今回のクウヤ様の状況同様、一度ウォーカー内に設置されれば、周辺機器と融合して他に転用が効かなくなることが、数年前には発覚しております。ですからこれほど大きな未加工の『エレメント』となれば、手に入れたいと欲する国家・組織・企業は何万と」
「い……今、何て言った……?」
クウヤの眼と唇は脳が納得する前に
「ご安心くださいませ。欲する、と申しましても、ああして強硬手段に及ぶ組織は数が限られております」
「あんまり慰めになってない……」
まるで人を人とも思わないあのビジネスマンのような『刺客』達に、これからずっと追い回されるなんて……クウヤは昨日までのスレスレ困窮生活の方がまだマシであったと、つい嘆かずにはいられなかった。
「どうかお気を落とさずに……わたくしが必ずクウヤ様をお守り致します」
いつになく語気の強さが感じられたのは、クウヤを励ます気持ちがあったからだろうか? メリルの言葉にさすがにクウヤも「男として弱音を吐いている場合ではない」と、落ちた心と頭をほんの少し持ち上げた。同時に今までの経緯に幾つかの疑問も浮かび上がる。
「なぁ、メリル。俺──じゃなくて、『エレメント』が奴に狙われているのは、いつから気付いてたんだ?」
あの時。トイレを探してクウヤがいなくなったことに、メリルが直ちに気付いたからこそ今回は回避された──となれば逆の発想として、メリルはいつ狙われても対応出来るよう、ドレスも着替えることなくクウヤに目を光らせていた、ということになるのではないか? だからこそ彼女は別行動も許さず、自分の買い物の間でさえ「絶対何処へも行かないでください」と念を押したに違いない。クウヤはチラリとメリルを横目に入れ、知らなかったこととはいえ、自分を守ろうと必死だった彼女の厚意にうっすら気恥しさを感じていた。──いや? 必死だったのは「俺」のためではなく『エレメント』のため……なんだよな。
「気付きましたと申しますか……しいて言えば、クウヤ様が『エレメント』を呑み込まれて卒倒し、取引完了となりました直後でございます。先程の方とは『グランド・ムーン』の屋上にございます『ムーン・ポート』でも既に一度お手合わせをいただきましたので。その後の『ムーン・コミュータ―』飛行中もおそらく追跡されていたものと思われます。ですから出来るだけ『ムーン・シールド』下ギリギリを飛行し、迎撃されないよう配慮は致しました。あちら様が『ムーン・シールド』に損傷を負わせたくないことは分かっておりますゆえ」
「あの店からかよ……」
まさか自分が失神している間にも、メリルがあの西洋人と格闘を繰り広げていたとは──『エレメント』の稀少さがどれ程のものなのか、まさしく身に沁みるほど思い知らされたという訳だ。クウヤにはもう口の端を引きつらせた笑いくらいしか出てこなかった。
「あちら様としましては、不当な奪取を試みている手前、事を大袈裟にしてまでは襲って参りません。ですから今もこのタクシーには何の手出しもしてこないのでございます。……申し訳ございません、クウヤ様。わたくしが傍にいさえすれば、あちら様が動き出すことはないと踏んでおりました。そのためマーケットでも事情を説明せず──」
「いや、約束したのに破って離れたのは俺だ。悪かったな」
彼女の説明と謝罪を遮ってまで、クウヤが潔く謝ったことが意外だったのか。メリルは咄嗟に高い位置にある隣の顔を見上げていた。
「で……だ。そろそろ教えてくれないか、メリル。お宅が一体何者なのかを」
「……さすがにリミットが来た模様ですね……」
真剣なクウヤの眼差しに、メリルは初めて苦笑いのような複雑な表情を僅かに見せた──。