[3]天と地 〈M〉
文字数 3,780文字
男臭い作業場を行き帰りするだけのクウヤには、両隣に寄り添われただけでも久々の高揚感に襲われてしまう。すぐ傍に見える滑らかな素肌からは甘い香りが匂い立ち、美しい顔立ちとスタイルは完璧すぎて、あらぬ疑いをかけずにはいられなかった。
「こんな先端技術の店なんだから……実は中身はロボットだとか?」
けれどさすがにその冗談交じりの質問は、二人のはしゃぐ声で一笑に付された。もちろんあらゆる物がオートメーション化された便利な世の中、ロボットによる労働代替もかなり進んでいる。が、それでも今のところ人間を模した──否、ロボットとは気付けぬほど人間らしい、いわゆるアンドロイドにクウヤはお目にかかったことはない。とはいえ、そうなればそれこそ俺達のような労働者は仕事にあぶれるな、と要らぬ現実が頭の上に重くのしかかるのだが。
そうして時々現れる淀んだ空気は、啓太の陽気な性格と、度々勧められては潜り込んだ『ヒーリング・トリップ』のお陰で追いやられ、四人のたわいのない話もそれなりに弾んでいた。
しかし小一時間も経った時分、啓太が化粧室へと立ち上がろうとするのに吊られ、見上げた視界に入り込んだ閃光が、クウヤのリズムを思いがけず崩していた。
それは吹き抜けを一瞬にして貫いていった大きな
──思い出させてくれなくてもいいんだがな──クウヤは苦々しく笑う。それでも訪れた過去の断片を、その身に巡らせてみる気にもなっていた。人工的且つ強制的であったとはいえ、久し振りに得た心の平穏がそんな気持ちにさせたのかもしれない。クウヤは左右の
あたかも屋外の如く広がる満天の夜空。安っぽいプラネタリウムの天体ショーとは違い、銀河系の外まで遥かな宇宙が展開していく。時々地球上に舞い戻っては、オーロラや流星群との競演を披露し、再び宇宙に飛び出して、太陽に迫り天を炎で染めた。
──こんな空、生まれた時から存在なんてしやしないのに──。
今一度地表からの映像に切り替わり、大きな満月が陣取った光景に、クウヤは黙って唇を歪めた。この西暦2093年という時代から
気流が、海流が、地中の対流が……あらゆる流動が変動し変異し、自然が猛威を奮い地上は荒れた。一時的ではあるが、原始レベルとまで言いたくなるほど、文化レベルは衰退する羽目となる。しかしそのような逆境にも負けず、中でも先進国は隕石衝突以前よりも著しい発展を遂げた。止まることのない環境汚染の救世主として開発された『ムーン・シールド』。月明かりを思わせる仄かに光る特殊素材によって、上空はまんべんなく覆い尽くされ、全世界が安寧を取り戻した。けれどその代償に、今クウヤの見ている麗しい星空は、四十年前一切の姿を失ったのだ。
「クウちゃん、なに感傷に浸っちゃってるのさ~レディ達が退屈してるよ!」
突如映像を邪魔する大きな影が現れ、ふと思考を停止したクウヤの目の前には、戻ってきた啓太が呆れ顔で見下ろしていた。座っていたスペースとは逆隣に強引に腰掛けたので、クウヤとの間に挟まれた女性が、過細く色っぽい声を上げる。
「もしかして……今度はお父さんの
「あ?」
意味も分からず問い返した横目に、意地悪そうな
「クウちゃんのパパはねぇ~有名な天文学者だったんだ」
「啓太っ!」
思いがけない暴露に思わず声を荒げる。が、今では絶滅危惧種と化したロマンティックな職業に、女性達の好奇心はくすぐられたようだ。
「まったく……変に記憶力がいいな」
「ふふん~「父は空を、息子は地を」なんて、こんなカッコイイ夢めったにないでしょ?」
困惑気味に睨みつけた先の、自信に溢れた不敵な笑みにややたじろぐ。その「カッコイイ」台詞にすかさず、逆隣の女性がツッコミを入れた。
「ケータくぅん、クーヤさんの「地」ってなになに~?」
「クウちゃんも学者なんだよねー、でもこちらは足の下、地質学者なんだ。まだ二十三歳なのに、飛び級で五年も前に大学院を卒業しちゃった天才だよ!」
「ワァ、学者の家系だなんてステキ~!」
「おいっ、どうして俺の学歴そんなに知ってんだよ!?」
途端胸の前で両手を合わせ、輝き出した
「別に~ボクじゃなくたって、同じ学校卒業した生徒はきっとみんな知ってるよ。ココまで地球に貢献した英雄なんて、周りにそうはいないもん」
「英雄って……」
クウヤは言葉半ばにして唖然とし、苦虫を潰したような顔つきになった。女性達は更に食いつきたい様子を見せたが、その表情に『説明』というおねだりは、瞬間押し留められたようだ。
──あの世界的大発見は自分なんかじゃない……あれは全て
「で? クウちゃんは『その発見』がきっかけで、地面よりも空に興味を持っちゃったワケ?」
次第に沈んでゆく気持ちと頭を、啓太の質問が少しばかり持ち上げさせた。
「ああ……それで「おやじの十八番を狙ってる」って訊いたのか。俺は空になんか興味はないって。第一、宇宙工学ならともかく天文学なんて調べ尽くされて、今は開店休業状態だろ? おやじが有名だったのは学識じゃなくて、ちっとも利用価値のない無駄な研究を、呆れられても続けていたからだ」
そういったクウヤ自身が、呆れた口調と面差しをしていた。
『
「夜空ほど美しいものはないんだぞ!」
瞳をキラキラさせながら両手を掲げ、
そんな父親の遥かなる夢から付けられた名と、ちっとも月なんかじゃない『ムーン・シールド』と繋がる「如月」という姓。この自分を表す名前が、夢の途中で息絶えた父の想い出と、同じく夢の途中で研究所を追われた自分の過去を、生傷のようにジクジクと
「確かに『ムーン・シールド』も、俺が関わった『エレメント』も、元を辿れば鉱物の一種で、それが今の空を作り上げてるんだから、そう思われても仕方がないが……俺は地球の中身の方が断然面白いと思うけどな」
啓太とクラスを共にした小学時代半ば、クウヤは既に地中に夢中だった。啓太はそんなクウヤを『ハカセ』と称したが、『モグラ』と揶揄されてもおかしくないくらいの熱中振りだったに違いない。
「あ! だからあのルビーちゃんに一目惚れしちゃったんだ!?」
「ルビー?」
いきなり飛び出した意味不明の台詞と満面の笑みに、当の本人──啓太以外の三人が首を
「隣の赤毛ちゃんだよー、まるでルビーじゃない?」
「なるほど、ね。啓太も随分ロマンティストだな。俺はルビーよりガーネットの方が好みだけど」
これには両側の女性達から
「アレキサンドライトって知ってるだろ? 当てる光の種類によって色の変わる珍しい宝石、あれに似た物で、カラーチェンジ・ガーネットって稀少なのがあるんだよ。そいつが採れるスリランカの鉱山は、何百年か前に閉鎖されちまってるし、確かマダガスカルからももう出ない。今じゃよっぽどの宝石コレクターにせがまなきゃ、拝めない幻の石なんだ。ガーネットは安く見られがちだけど、黄色や
いつの間にか講釈を垂れ始めたクウヤを見つめて、啓太は更に嬉しそうな笑顔を見せた。
「ああ~やっぱりクウちゃんは、今でも『ハカセ』なんだねぇ」
「え?」
名付け親である自分を誇らしく思うように、しみじみと頷きながら腕を組む。それから啓太は問い返したクウヤを仰いで、人差し指を立ててこう言った。
「だってさ、やっぱり石の話をしてる時のクウちゃん、昔みたいに輝いてるもん!」
両隣の女性も同意の微笑みを向け、クウヤは弾かれたように立ち上がった。
「ん、んなことねぇって! 俺……ちょっとトイレ!!」
ガーネットの如く頬を赤くして、長い脚で女性の上をひとまたぎ、慌てて逃げ出した。
コーナー席のガーネットの彼女も、隣席と同様──いや──あくまでも氷の眼差しで、クウヤを見送っているとも気付かずに──。