3章―1
文字数 3,247文字
鈍い音がした直後、後部席からヒビロの呻き声が聞こえる。揺れの衝撃でドアに頭を強打し、目が覚めたらしい。高すぎる身長が仇となったようだ。
助手席のシドナはちらりと振り向く。彼は頭を摩りながら上体を起こしていた。
「ようやく目が覚めましたか、『変態』さん」
シドナはわざと、彼が聞き慣れているだろう『変態』という言葉で呼びかける。ヒビロは眉根を上げることなく、へらりと笑った。
「はいはい、変態で悪かったな」
「悪いに決まってます。本当にいい加減にしてください」
ヒビロは返答を寄越さず、大欠伸をする。窓の外は暗く、街灯の光が時折横切る。シドナ達を乗せた車は、夜の街並みを駆け抜けていた。
ここはカルク島。彼らは数時間前まで、世界中を旅して回るサーカス団、[オリヂナル]を訪問していた。彼らは居場所を失った人々を[家族]として迎え入れ、『癒して救う』活動をしている。発起人であるバックランド夫妻は、ヒビロの同級生だ。
今日は彼らとの同窓会が行われ、捜査途中でヒビロが一旦抜けていた。本日の捜査が早く済んだこともあり、シドナは興味本意で様子を見に来たのだ。
「それにしても、あの場所で捜査の手がかりが見つかるとは思いませんでした」
「えぇ。世界は思ったより狭いんですね」
運転中のシドルは、目線を前に向けたまま微笑みを返す。[家族]の中には、
ポーン島の事件から数ヶ月。まさか、全世界を震撼させるかもしれない重大事件に繋がるとは。
「はぁー……まだ頬が痛いぜ。メイラの奴、俺はサンドバッグじゃねーっての。お前らもそう思うよな?」
ヒビロは頭を摩りながら悪態をつく。姉弟は答えることなく、無言でやり過ごした。この『変態』上司はバックランド家の夫、ノレインに対して必要以上に絡み、妻のメイラの一蹴りで気絶したのである。
シドナは呆れ返る一方、ヒビロと青春時代を共にした『家族』のことを、興味深く感じていた。
「私達にも、あの方々のような『家族』がいてくれたら……」
独り言が聞こえたのか、上司は窓の外を黙って眺めている。隣では、弟がハンドルをぎゅっと握りしめていた。
シドナとシドルは、両親を亡くしている。シドナの大学進学祝いで、故郷のミルド島から船旅に出た直後、船が難破したのだ。乗客の半数以上が犠牲となり、姉弟は運良く救助されたが、両親は行方不明のままだった。
二人は事故現場で原因究明を行った[地方政府]の警官に感銘を受け、将来は人々の生活を守る警官になろう、と誓い合った。
「寂しくなったら、いつでも会いに行けばいい。あいつらなら歓迎してくれるさ」
ヒビロは、いつもの飄々とした口調で笑う。シドナは振り返ることなく、こっそり笑みを零した。
愛と希望を運ぶサーカス、[オリヂナル]。共に過ごした時間はほんの僅かだったが、捜査で疲弊した心が癒され、救われたのを実感していた。
「(団体承認で彼らを推薦した気持ち、今なら分かる気がします)」
シドナは約三年前の出来事に想いを馳せる。シドルと共に、[世界政府]に移籍した直後のこと。半年に一度行われる団体承認会議にて、珍事が発生したのだ。
――――
『この世界』は、五つの[島]から構成される。
豊かな自然と四季のミルド島、開拓された都市のカルク島、乾燥地帯が広がるクィン島、極寒の吹雪に見舞われるフィロ島、そして山脈に分断され、複数の部族が暮らすポーン島。
それぞれの[島]の文化、秩序を守るため、二名以上の団体による[島]外の活動は制限されている。彼らが他の[島]で活動するには、[世界政府]の団体承認が必要だ。
制度開始以降あらゆる分野の業種が承認され、僅か数十年の間に、世界は飛躍的な成長を遂げた。近年ではインフラ系業種による申請は落ち着き、代わりに非営利の団体が増加している。しかし、その活動内容は現実的ではない場合が多く、役人達は頭を悩ませていた。
団体承認会議当日。世界各国に散らばる役人達は屋敷の一室に入り、巨大な円卓の席に着く。構成員は事務担当を除き、約二十名程度である。
姉弟が[世界政府]に移籍したのは数ヶ月前であり、ほとんどの役人と初対面だった。上司のヒビロは「まぁ気楽にしていればいいさ」と笑い飛ばし、座席に腰かけた。
ヒビロの隣席に着いて間もなく、代表のカルデムが入室した。
「これより、団体承認会議を始める」
開始の合図と共に、全員が机上の書類を捲る。二ページ目以降には、五千以上の団体名が連なっていた。
「(こ、こんなにあるのですか……?)」
シドナは書類をぱらぱらと捲り、各団体の活動内容の要約に目を通す。堅実な活動をしている団体もあるようだが、家族やサークルなど、少人数による個人利用の申請が圧倒的に多い。中には摘発一歩手前な活動もあり、驚愕するばかりだ。団体承認会議が苦痛だ、という声を以前耳にしたが、これには納得せざるを得ない。
溜息がちらほらと聞こえる中、会議は淡々と進む。そして三時間が経過し、ようやく残り十団体を切った。
「次の団体は、『[オリヂナル]』」
カルデムは活動内容を読み上げる。
[オリヂナル]はミルド島のサーカス団。公演を通じて居場所を失った人々を救う活動を行い、これまでに二名保護した。今後はミルド島以外の[島]に出向き、更なる救済を目標とする。
シドナは思わず険しい顔になる。掲げた目標は壮大だが、実績はあまりにも少ない。周りを見ると、多くの役人が難しい表情をしていた。
「うーん、場合によっちゃ犯罪に繋がりかねないな」
シドナのすぐ隣で、クィン人の国際航空保安官、サイラス・アイザーが呟く。彼の言葉が聞こえる範囲内で、同様の騒めきが広がってゆく。
すると、マリンブルーの長髪の女性が机を叩いて立ち上がる。国際海上保安官のラテナリー・ルミナスは、サイラスに食ってかかった。
「居場所のない人が犯罪を起こす、って言いたい訳? 必ずしもそうとは……」
「一般人より確率は高いだろうな。事件が起こってからでは遅いと思うが」
フィロ人の国際裁判官、ベイツ・ブラインが重々しく割って入る。彼の意見に、ラテナリーは口をつぐんでしまった。
肯定の意見は出ず、カルデムは承認の可否を取りまとめようとする。その時、すぐ近くから朗々とした声が聞こえた。
「皆さん、私の意見をお聞きいただけますか?」
ヒビロは椅子を引き、ゆっくりと立ち上がる。これまで一言もなく、気だるげに資料を捲っていたはずだが。普段とはまるで別人のようで、シドナとシドルは驚きを隠せない。
彼は背後の壁際にもたれかかる。全員が注目したのを確認し、ヒビロは発言した。
「世界が発展して以来、それぞれの[島]では孤児が増加し続けているのはご存じかと思います。[政府]はこれまであらゆる対策を立てましたが、まるで効果がない」
ヒビロは一人ひとりの顔をじっくり眺めながら、真剣な眼差しで訴えかける。
「生活を豊かにしても、居場所のない人にその恩恵は届きません。犯罪に繋がる可能性もありますが、彼らを見て見ぬふりをしても何も変わりはしない。だからこそ、この団体による地道な活動が必要ではないでしょうか?」
シドナは、自分の意見が揺らぐのを感じた。
ヒビロは座席に戻り、カルデムは承認の挙手を求める。すると、この場の全員が手を挙げた。否定的な意見を述べたサイラスやベイツ、多くの役人でさえも。
シドナもまた手を挙げたまま、自身の行動に混乱していた。確かにヒビロの意見は間違いではない。しかし、それが考えを改めさせる要因にはならないと思ったのだ。他の役人もそう感じたはずだが、不思議なことに『反対派の全員』が、意見を翻した。
違和感を覚えながらも会議は進み、もう間もなく、終わりを告げることとなる。
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