5章―1
文字数 3,460文字
吹き荒れる風に乗って、小さな雪の粒が頬に当たる。ここはミルド島東部の港町。[島]と[島]を繋ぐ連絡船に向かう人の流れに、逆らう者が二人。
フィオラは赤に近い茶色の癖っ毛を隠すようにフードを被り直し、コートに埋まる。大きな茶色の瞳に、幼いながらも端正のとれた顔つき。その風貌は、横を歩くヒビロによく似ていた。
「お疲れ様です。ヒビロさん」
「おー、わざわざすまないな」
連絡船の隣に佇む小さな船の前で、シドルが待っていた。ヒビロは彼に挨拶すると、フィオラの目線の高さまで屈み、フードの下の癖っ毛をくしゃくしゃに撫で回した。
「フィオラ、俺は必ずお前のところに帰る。それまではいい子で、待っててくれよな」
柔らかい笑みが寂しげに歪む。フィオラはヒビロを励まそうと、明るく笑いかけた。
「うん。ぼくもがんばるから、おとうさんもがんばってね!」
ヒビロは再度フィオラの頭を撫で回し、抱きしめる。そして「じゃあ、元気でな」と一言残し、名残惜しい様子で港を去った。
フィオラは、ヒビロの一人息子である。四年前に起きた事件で母親を亡くし、それから間もなく、ヒビロと共に[世界政府]本部に身を寄せることとなった。
だが、ヒビロは世界中を飛び回る国際犯罪捜査員であり、ポーン島に戻る機会が少ない。忙しい父の代わりに面倒を見てくれたのは、[世界政府]代表のカルデムだった。
フィオラはカルデムのことを実の祖父のように慕い、哲学者でもある彼の教えを熱心に受けた。その中で『この世界』を構成する五つの[島]について学び、全世界を股にかける父に憧れを抱いたのだ。
数ヶ月前、カルデムが
ヒビロが去った後、自分も同行したい、と願い出たところ、カルデムは了承してくれた。『その目で世界を見て、学んでほしい』と。
ヒビロ達と共に旅を続ける中で、フィオラは数多くの人々と出会った。父の同級生であるバックランド夫妻とその[家族]。彼らの故郷、セントブロード孤児院で暮らすたくさんの『家族』。
心優しく個性豊かな人々はフィオラを温かく迎え入れた。両親とリリック姉弟、そしてカルデムとしかまともに会話したことがないフィオラにとって、彼らとの出会いは、かけがえのない宝物になったのだ。
「フィオラさん、行きましょうか」
シドルに呼びかけられ、フィオラは笑顔で「うん!」と答える。大きなリュックを背負い直し、彼と手を繋いだ。
船に乗りこむ前に立ち止まり、寂しげな港を振り返る。故郷であり、また、母を失った忌まわしい土地。しかし、ここには大切な『家族』がいる。フィオラは、ミルド島のことが大好きになっていた。
フィオラの旅は、もうすぐ終わろうとしている。彼は父の下を離れ、ポーン島に帰るのだ。
再び前を向き、[世界政府]の船に乗る。寂しい気持ちはあるが、いずれまた、この地を訪れることになるだろう。世界を知らなかった少年は旅を経て、確実に成長したのだ。
「フィオラさん、体調はいかがですか?」
出港は一時間後。甲板に出て港の様子を眺めていると、シドルに声をかけられた。フィオラはあどけない笑顔のまま、首を傾げる。
「ちょっぴりさむくて、はな水が出るけど平気だよ」
「風邪は引いていないようですね。……でも、いろいろと忙しかったでしょう、疲れていませんか?」
約一ヶ月前、母の命日に合わせてヒビロに同行した日から、フィオラは立て続けに辛い思いをすることとなった。
母の墓前で偶然[家族]と出会い、フィオラの存在はおろか結婚していたことさえ隠していたヒビロは、バックランド夫妻に激怒された。
彼は事情説明と共に、ずっと言えなかったことを謝罪する。頼りがいのある自慢の父の姿はそこにはなく、フィオラはただ慰めることしか出来なかった。
その翌日から『家族』の所へ出向き、謝罪して回った。皆一様に、怒りや哀しみをヒビロにぶつける。『おとうさんをいじめないで!』と言いたかったがフィオラでさえ、父のしたことは間違いだと分かっていた。
「つらかったけど、だいじょうぶ。うれしいことも楽しいことも、いっぱいあったから!」
フィオラはとびきりの笑顔を見せる。シドルは微笑み、その癖っ毛を優しく撫でた。
目の前で母を殺害され、フィオラの時間は四年前から止まったままだった。しかし父の想いを聞き、フィオラは自分が生き延びた理由を知る。母は愛する夫と息子を命懸けで守り、父もたった一人の息子を守るために手を汚した。
また、[家族]の父親であるノレインは、母の生き別れた兄だった。その面影は母と瓜二つで、彼を見た瞬間、母と再会したように感じたのだ。
先日『家族』のいる『家』を訪れたが、ヒビロに激しく当たった『家族』は、二人を見捨てることなく迎え入れた。あの時と同じように拒絶されると思っていたが、彼らはフィオラのことも自分の子供、または兄弟のように可愛がった。
自分には父と母だけではなく、『家族』もついている。そう思うと、離れていても傍にいるような心強さを感じた。
「ぼくね、大きくなったらおとうさんと同じ、[せかいせいふ]のそうさいんになりたいな」
シドルの目が丸くなる。フィオラはこれまでの旅を思い返しながら、言葉を紡ぐ。
「このせかいには、いい人もいっぱいいるけど、わるい人もいる、ってわかったんだ。ぼくもおとうさんたちみたいに、大好きなみんなをまもりたい。だから、おじいちゃんと話し合ってみるよ」
ポーン島に帰還したらやるべきことがある。自分を送り出してくれたカルデムに、この旅で学んだことを全て話す。その上で、今後自分が『やりたいこと』を伝えるのだ。
「フィオラさんならきっと……いえ。絶対に、立派な捜査員になれますよ」
大人びた眼差しを受け、シドルは嬉しそうに笑う。『夢』を持ったフィオラは、いつの日か、父を超える国際犯罪捜査員になるのだろう。
その時、フィオラの目が怪しい人影を捉えた。
青緑色の髪、赤色の髪、そして紫色の髪。背格好から考えると、三人の男性だろうか。全員が水色の作業着らしき服を着ており、大きなスーツケースを連れている。
「どうしました?」
シドルは声をかけるが、フィオラの瞳が赤茶色に変わっている様子に気づき閉口する。
フィオラはヒビロと同様に、生まれた時から[潜在能力]に目覚めている。彼の力は[物質透視]。『あらゆる物の内側を見通すことが出来る』のだ。
この力が発動している間のみ、その瞳は父と同じ赤茶色になる。フィオラは男性のスーツケースを食い入るように見つめていた。
「シドルおにいちゃん。あの人たちのにもつ、なんか変だよ」
フィオラは[物質透視]を発動させたまま、スーツケースの中身を上げてゆく。
「ロープ、大きなくつ、先がフックみたいな金ぞく? それと、なんだろう……長ーいつつとロープみたいなつつが何本かあって、その中に黒いこなみたいなものが入ってるよ」
シドルは頭を捻りながら考えていたが、最後の物を聞いた瞬間、顔がさっと青ざめた。
「もしかすると爆薬かもしれません! 出港までまだ時間がありますね。フィオラさん、手伝ってもらえますか?」
「うん!」
シドルは甲板に背を向け、船の入口へ駆け出す。フィオラは茶色に戻った瞳を輝かせ、急いで彼の後を追った。
人の列に逆らうように、フィオラとシドルは三人を追う。彼らは話に夢中で、こちらに気づく様子はない。
しばらく進むと、三人は大きな船へと消えた。彼らの他に乗船する者はなく、荷物の運搬がひっきりなしに行われている。
「フィオラさん、船の中は見えますか?」
シドルに問われ、フィオラは[物質透視]で船内を確認する。運搬作業で動き回る人ばかりで、先程の三人もスーツケースを置いてその輪に加わったようだ。
「いっぱい人がいるけど、みんなにもつをはこんでるみたい。さっきの人たちも変なうごきはないよ」
「テロではなさそうですね。商船、でしょうか」
シドルは船体に書かれた名前をちらりと見て、踵を返した。
「船の管理会社に確認してみましょう。この会社は確か、港に営業所があったはずです」
彼は[潜在能力]の影響で、記憶力が良い。頭の中の情報をさらりと引き出す姿に「かっこいい!」と思いながら、フィオラはシドルの後を追いかけた。
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