7章―2

文字数 4,910文字

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 偉大なる太陽の山、バーナカル・モーウ。その呼び名はポーン島の言語だが、公語訳では『Great-Sun's(グレートサンズ) Mountains(山脈)』となる。
 バーナとは『神の』または『偉大な』という意味であり、カルは『太陽』、モーウは『山』を表す。神々しい光が山肌に差す様を見て、人々はそう名づけたのだ。

 公語圏においても、ポーン語は様々な名前の由来となっている。例えば、『神』の名であるバーナリアは『神の人』という意味だ。また五体の[守護神]から取った[島]の名も、それぞれの土地を象徴する言葉である。

 この地を守る朝日色の[蜘蛛]、ポーンは『夜明け』という意味。朝日に照らされた山脈は呼吸を忘れるほど壮観であり、この[島]の名にふさわしい。

「(そういえば、カルデム様の名前は『太陽の使者』って意味だったような?)」

 ぼんやりと考えながら、トゥーイは深い森の奥へと進む。暖かい日光は木々に遮られ、鳥のさえずりはおろか小動物の気配すらない。ひんやりとした緊張感の中、不安を振り払うようにこれまでの出来事を思い返した。

 襲撃事件の直後は村中が騒然としたが、被害がなかったことが幸いし、月に一度の交易はすぐに再開された。父ガウィによって警備体制は見直され、入場時の荷物検査に人員を多く配置したことにより、トゥーイも交易の参加を(渋々)認められたのだ。

 大きな変化はそれだけではない。祖父ヤウィが自分の婿選びを始めてしまい、立候補したスコードが父を見事に打ち負かした。
 晴れて本物の『許嫁』となった訳だが、次期長老の娘婿となる彼は将来、ニグル族を率いる立場となる。そのため、スコードはガウィに連れられ、以前にも増して厳しい訓練に明け暮れていた。

 この時間帯であれば、彼は自宅の寝床でぐったりしているはずだ。トゥーイは今ひとりきり。自分を止める者は、誰もいない。

「あんなことがあったのに、何で……?」

 視界が開け、寂しげな岩場が現れる。壁に打ちつけられた頑丈な鎖と錠を見るなり、トゥーイは愕然とした。
『神』の宝が眠るこの地は、以前激しい爆発に巻きこまれたはずだった。犯人と対峙した時は気にする余裕もなかったが、岩の扉を封印する金属の錠は、傷ひとつなかったのだ。

 得体の知れない恐怖で足がすくみ、この場から立ち去りたくなる。だがトゥーイは勇気を振り絞り、一歩踏み出した。

「(許されないことはわかってる。でも、どうしても知りたいの)」

 他人の命を脅かしてまでも、『神』の宝を暴こうとした犯人達。彼らは連行の際、『宝でひと儲けしたかった』と供述した。ニグル族でも交易が始まった今、彼らのような者がまた現れてもおかしくはないだろう。
 そもそも、『神』の宝を目撃した者は誰ひとりとしていない。もしそれが争いの火種となる代物だとしたら、[鍵]の守護者として見過ごすことは出来ないのだ。

 トゥーイは首にかけた紐を手繰り寄せ、衣服の中から[鍵]を取り出す。そして震える手で[鍵]を錠の中に挿し入れ、ゆっくりと解錠した。
 重い音を立て、外れた錠はずしりと地面に落ちる。繋がれた鎖もするするとほどけた。残されたのは、錠が通されていた金属の取手だけだ。

 ごく、と唾を飲みこみ、トゥーイは取手を掴む。全体重をかけてようやく、岩の扉は動いた。洞窟の中は真っ暗。腰に下げた袋から火打ち石と蝋燭、手持ちの燭台を出し、明かりを灯す。念のために用意して正解だったようだ。
 燭台を掲げ、洞窟を見渡す。か細い明かりが照らす物を見て、トゥーイは唖然とした。現れたのは、本棚に詰められた大量の書物。広々とした空間に、満杯の本棚がぎっしりと立ち並んでいた。

「これが、『神』様の宝……?」

 てっきり金銀財宝だと思いこんでいただけに、力が抜けてしまう。書物が『宝』というのは、どういうことなのか。

 トゥーイは最前列の本棚に近寄り、無理やり押しこまれた様子の背表紙を引っ張る。冊子の表にも裏にも、表題どころか著者名すら書かれていない。
 地面に座り、燭台の明かりを頼りに書物を開く。ぱらぱらと捲ってみるとポーン語の文章が現れたが、半分ほどの辺りで手が止まった。

「えっ?」

 信じられない一文に驚愕する。そこに書かれていたのは、『意味の分からない』ことだったのだ。


――五月十一日。カルク地方から軍隊が攻めてきた。ポーン、フィロからも同時刻に同様の報告が入る。カルクを問いただしたところ、どうやら『(からす)』が謀反を起こしたらしい。


『軍隊』という言葉は、一度も聞いたことがない。文章にはカルク地方とあり、『この世界』が五つの[島]に分かれる前の時代なのは理解出来る。書かれていることを文字通り受け取るなら、『軍隊』とやらが他の地方を攻撃した、という意味だろうか。

 日記らしきその書物には、その後も走り書きで綴られている。トゥーイは続きが気になり、文章を追い始めた。


――五月十二日。防衛に加勢するため、『犬』、『(わに)』の両名が東部の戦線に向かった。『(ふくろう)』は指示役を失ったカルクに派遣済み。『(ねずみ)』、『(いたち)』、『猫』には一般人への救援を頼んでいる。皆、生きて帰ってきてほしい。

――六月五日。戦況は非常に危うい。ミルド地方だけでなく、全世界にて犠牲者が増え続けている。『烏』を止めようと、カルクは自ら出陣するつもりらしい。私も加われば被害は最小限で済むだろう。だが、今離れる訳にはいかない。嫌な予感がする。

――六月十三日。一週間前、混乱に乗じてクィン地方から反乱軍が攻めてきた。クィンと共に応戦したが、人員も他に割いており予想外に苦戦した。今日ようやく制圧したが、各地で反乱が起こっている様子。カルク地方は無事だろうか。

――六月二十九日。『烏』を粛清した、とカルクより一報が入る。ポーン、フィロ両地方でもほぼ収束したようだ。だが、この戦で『鰐』、『鼬』が亡くなってしまった。これ以上の犠牲を出さないよう、気を引き締めねば。

――七月三日。『狼』が出奔し、兵を率いてカルク地方首都を襲撃した、とフィロから報告があった。現地にいるはずの『梟』に呼びかけても応答はない。カルクは間に合わなかったのか。

――八月八日。[獣]の反乱が相次いでいる。『犬』もミルド地方軍と共にこの地を守る、と言い残し私の下を去った。バーナリアは三日後、世界を壊すと宣言した。だが諦めたくはない。愛する人間達を守るため、最期まで抗ってみせる。


 この日を最後に、手記は途絶えている。

 トゥーイは堪えきれず、涙を溢した。飛来した隕石によりカルク地方が壊滅し、大陸が五つの[島]に分断されたのは八月十一日のはずなのだ。
 この内容が本当だとすると、大陸を壊したのは隕石ではなく、『神』ということになる。自分の知る『神話』とは別物だったが、その悔しげな書き殴り方から、実際に起こった出来事だと信じざるを得ない。
 人間かどうかも分からない[獣]達も、この手記を残した者も、皆死に絶えてしまったのだろう。全てを滅ぼした『戦』を想い、心が張り裂けそうになる。

 すると、紙に落ちた涙の跡が黒く滲んでいることに気づいた。トゥーイは慌てて日記を捲る。これまでのような走り書きではなく、丁寧な文章が現れた。筆跡は非常に似ており、同じ人物が書いたのだろう。トゥーイは燭台をぐっと近くに寄せ、著者の言葉に目を向けた。


――この文章を読む者が私の他にいたとしたら、これ以上嬉しいことはない。ここに残した出来事は、恐らく、あなたが知る『神話』とは全く違う姿だろう。しかし、これは実際に起こった惨劇だ。バーナリアは戦を繰り返す人間達に怒り、世界を破壊してしまったのだ。

――もう二度と戦を起こさせないことを条件に、バーナリアは人間を復活させた。あなたが知る『神話』では、[守護神]は祈りのために実体を封印したことになっているはずだ。だが私達は、彼らが間違いを起こさぬよう、いつでも見守っている。

――もしあなたが『戦』という言葉を知らないなら、この手記を読んで心を痛めたのなら。どうか、誰も争うことのない世界を築いてほしい。破壊された歴史と同じ道を辿らないでほしい。ここに残した『宝』が、平和な世界を創るきっかけになることを願っている。


「事実を知ってしまったようだな、トゥーイ」

 突然声をかけられ、トゥーイは飛び起きる。いつの間にか、カルデムが自分の横に立っていたのだ。

「カ、カルデム様、どうしてここに……?」
「後で説明する。それより『神』による歴史改変について、君の意見を聞かせてくれないか」

 彼は何故誰も知らないはずの『歴史』を知っているのか。トゥーイは疑問に思いながらも目元を拭い、心に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。

「『神』様が世界を壊したなんて信じられないし、悲しいけど……世界中の人たちが命を奪い合うのはもっと悲しいわ。故郷を守りたい気持ちは、みんな同じはずなのに」

 カルデムは口を挟むことなく、静かな目で見下ろしている。トゥーイは手記に目を落とし、小さく頷いた。

「いくら願っても、昔には戻れない。だから、この人の願いを叶えるために、私は世界中のみんなと仲良くなりたい。ここを襲った悪い人もいるけど、ヒビロさんみたいに守ってくれる良い人もいるもの。みんなが手を取り合えば、きっと、平和になるはずよ!」

 ふ、と笑みを零し、カルデムは腰を落とす。彼はまるで実の孫を見るような眼差しで、トゥーイの頭をそっと撫でた。

「君らしい、良い答えだ。ミルドも大層喜ぶだろう」

 聞き覚えのある[島]の名に、トゥーイは「え」と掠れた声を出す。カルデムは立ち、膨大な書物を掌で示した。

「ここにある資料を残したのは、夜色の[白鳥]、ミルドだ。あの悲劇を伏せたままにしたくない、と自ら筆を取り、破壊された『歴史』の全てを記録したのだよ」
「[白鳥]って、たしか、ミルド島の[守護神]よね? どうしてカルデム様が……」

 心の内を読み取ったのか、カルデムは質問より先に答えを出した。

「私もその場に居合わせたからだ。私の本当の名はポーン。この地の[守護神]だ」

 トゥーイは絶句する。だが『歴史』を知るものは自分と、五体の[守護神]だけなのだ。彼は間違いなく、朝日色の[蜘蛛]なのだろう。
 我に返ったように立ち上がり、トゥーイはカルデムの両手を取りはしゃぎ出した。

「ねぇカルデム様、[守護神]も『神』様みたいに世界を創れるの?」
「それは不可能だが、その代わり、君達人間にはない力を多数持っている。幾千もの年月を生きるのも、それが原因なのだよ」
「すごいわ! そうだ、ミルド様の日記にあった『烏』とか『犬』とかって、動物には思えなかったんだけど……」
「彼らは動物の力を与えられた人間だ。戦乱を止めるため、『神』が遣わした最終手段だった」
「そうなのね……あぁ、聞きたいことが多すぎて、おかしくなりそう!」

 尊敬するカルデムが、普段から感謝や祈りを捧げている[蜘蛛]と同一人物だったとは。トゥーイは喜びと驚きの混ざった感情のまま、天を仰いだ。

「トゥーイ。君は『宝』の正体を掴むために[鍵]を使ったのだったな。全てを知った今、どう思う? 皆と事実を共有したいか?」

 カルデムは普段通りの穏やかな口調で、自分に問う。途端に緊張が体中を駆け巡ったが、心は決まっていた。トゥーイは息を深く吸い、[蜘蛛]の視線を真っ直ぐ受け止めた。

「うぅん。『宝』のことも『歴史』のことも、カルデム様のことも、秘密にする。[鍵]がある限り、『神』様の宝物を狙う人はいなくならないと思うの。もう、みんなを危険な目に遭わせたくない。だから……村に帰ったら、[鍵]を壊してもらうわ」

[白鳥]の手記が世に知れ渡れば、世界は大混乱に陥るだろう。場合によっては再び『戦』が始まるかもしれない。もしそうなれば、[白鳥]の想いは無駄となってしまうのだ。
 カルデムは顔をほころばせ、トゥーイを抱きしめる。そして、今にも泣き出しそうな目で、彼女の視線を捉えた。

「ありがとうトゥーイ。君の答えは、生涯の『宝』とする」


 その瞬間、トゥーイの意識はぷつりと切れた。


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登場人物紹介

【トゥーイ=ニグル】

 女、17歳(初登場時は16歳)。ポーン島ニグル族長老の孫で、[鍵]の守護者。

 濃い茶色に黄色が混じる髪をお下げにしている。

 責任感が強く時々無茶をするが、年頃の少女らしい一面も持つ。

 甘い物に目がない。カルデムのことを尊敬しており、幼い頃からついて回っていた。

【ヒビロ・ファインディ】

 男、35歳(初登場時は34歳)。[世界政府]の国際犯罪捜査員。

 赤茶色の肩までの短髪。前髪は中央で分けている。

 飄々とした掴み所のない性格。長身で、同性も見惚れる端正な顔立ち。

 同性が好きな『変態』。

 [潜在能力]は『相手に催眠術をかける』こと。

【スコード=ニグル】

 男、21歳(初登場時は20歳)。ポーン島ニグル族の門番。

 濃い茶色に白が混じる肩までの短髪。冷静で物静かだが、少し抜けている。

 若いながらも剣術に優れる。

 トゥーイのことは幼い頃から気にかけている。

【ヤウィ=ニグル】

 男、84歳(初登場時は83歳)。ポーン島ニグル族長老で、トゥーイの祖父。

 ぼさぼさの白髪に、黄色が混じる。見た目はほぼ農民。

 根が呑気なため、多少の物事には動じない。

 トゥーイと同じように無茶をしがちである。よくぎっくり腰をやらかす。

【カルデム=ニグル】

 男、84歳(初登場時は83歳)。ポーン島ニグル族出身の[世界政府]代表。国際裁判の裁判長も兼任する。

 背中まで伸びた白髪。毛先は黄金色。

 冷静沈着な性格で、何事も客観的に見ている。哲学者として世界中を回り、[世界政府]を設立した。

 トゥーイを実の孫のように扱っている。

【シドナ・リリック】

 女、28歳(初登場時は27歳)。ミルド島出身の[世界政府]国際犯罪捜査員。シドルの姉で、ヒビロの部下。

 明るい緑色のストレートの長髪。真面目でしっかり者。策士な一面を持つ。

 海難事故により、[潜在能力]に目覚めている(『相手の記憶を操作する』こと)。

【シドル・リリック】

 男、27歳(初登場時は26歳)。ミルド島出身の[世界政府]国際犯罪捜査員。シドナの弟で、ヒビロの部下。

 明るい緑色の短髪。やや消極的だが、姉同様真面目な性格。

 海難事故により、[潜在能力]に目覚めている(『一度知覚したものを永遠に記憶出来る』こと)。

【ガウィ=ニグル】

 男、52歳。ポーン島ニグル族次期長老で、トゥーイの父親。

 濃い茶色の髪を短く刈りこんでいる。毛先は黄色。

 厳格で神経質だが民からの信頼は厚い。狩猟部隊の長を務めており、屈強な肉体を持つ。

 トゥーイを[鍵]の守護者に推薦した張本人だが、何かと子離れが出来ていない。

【ラテナリー・ルミナス】

 女、45歳。ミルド島出身の[世界政府]国際海上保安官。[島]の港の検問所を巡回している。

 マリンブルーの長髪を無造作に纏めており、飾り気のないはっきりした性格。

 2人の子を持つシングルマザー。

【サイラス・アイザー】

 男、44歳。クィン島出身の[世界政府]国際航空保安官。ヘリコプターでパトロールしながら[島]を巡回している。

 黄土色の肩までの長髪。明るく親しみやすい性格。

 [世界政府]移籍直後のヒビロとしばらく組まされ、大変な目に遭ったらしい。

【リンキット=ドナ・ハピアス】

 女、17歳。ポーン島ドナ・ハピアス族長老の孫。

 濃い茶色の肩までの短髪で毛先は緑色。

 背丈は低く、直径1メートルの帽子を被っている。

 陽気な性格で甘い物が好みのため、トゥーイとはすぐに意気投合した。

【フィオラ・ファインディ】

 男、9歳。ヒビロの息子。

 赤茶色に近い茶色の癖っ毛に、父譲りの整った顔つき。

 RCの捜査に出るヒビロ達に同行し、世界を見て回った。

 [潜在能力]は『あらゆる物の構造を透視出来る』こと。発動時のみ瞳が赤茶色に変わる。

【ベイツ・ブライン】
 男、56歳。フィロ島出身の[世界政府]国際裁判官。元『狩人』の経歴を持つ。
 氷色の短髪をきっちり撫でつけている。瞳は茶色。顔面には一本の大きな傷が走っている。
 自分にも他人にも厳しく、常に険しい表情をしている。

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