4章―1
文字数 3,360文字
スコードがトゥーイの側近になってから、数ヶ月が経過した。彼が側近になりたての頃はガウィ指導の下、毎日六時間もの猛特訓に明け暮れていた。しかし今ではガウィが狩猟から帰還した日に行うくらいで、トゥーイの傍につくことが多くなった。
それでも、トゥーイの生活は普段と変わることなく、子供達の世話や住民の手伝いばかりである。『側近がいても、不用意に村から出るな!』と父から釘を差されたこともあり、トゥーイは仕方なく、退屈な日常を送っていた。
「ではそろそろ帰るとしよう。二人共、村をよろしく頼む」
トゥーイは村を訪れたカルデムに会いに、ヤウィの屋敷に来ていた。用事を終えた彼は席を立ち、トゥーイとヤウィは玄関まで見送る。
「カルデム様、気をつけてね!」
「あぁ。トゥーイもな」
カルデムはトゥーイに微笑み、ゆっくりと階段を降り始めた。その姿を目で追いながら、トゥーイは不安げに顔を曇らせる。
自分を襲った犯人について訊ねてみたが、ヒビロ達は重要な手がかりを掴んでいないようだった。判明したのは、犯人はリバースカンパニーという会社の社員である、という情報のみ。カルデム曰く、その会社には別件での疑惑も浮上したらしく、ヒビロ達は手分けして捜査を行っているらしい。
「さて、後片づけじゃ。トゥーイも手伝っとくれ」
ヤウィに呼びかけられ、トゥーイは我に返った。しかし食器の片づけに集中出来ず、心配は募るばかりだ。
「(私たちのこと、忘れてなければいいけど……)」
[世界政府]の役人は忙しい、とカルデムは教えてくれた。彼らにとって、自分が襲われた事件は些細なことなのだろう。それでも、ヒビロは『犯人を捕まえる』と約束してくれた。今は彼らを信じて、待ち続けることしか出来ない。
すると、玄関の外から足音が聞こえてきた。村の男性が布で包まれた荷物を持ち、きょろきょろと何かを探しているようだ。
「カルデム様、もしかしてもうお帰りになったのか?」
「なんじゃ、奴に用事でもあったんか?」
ヤウィが声をかけると、男性はやれやれと荷物を置いた。
「せっかく村に寄ってくれたから、今朝採れた山菜でも持ってってもらおうと思ったんだが……」
困り果てる二人を見て、トゥーイはあることを閃いた。
「だったら私が、カルデム様に渡してくるね!」
「こ、これ! 外に出るなと言われとるじゃろ!」
床に置かれた荷物を掴み、玄関に駆け出す。慌てるヤウィの言葉に振り返り、トゥーイは笑みを飛ばした。
「大丈夫! スコもいるし、すぐ帰ってくるから!」
引き止めようとする祖父を振り切り、外に飛び出す。久し振りに村の外に出られると思うと、喜びを抑えられない。幸い、ガウィは昨日から狩猟に出かけており、トゥーイを止める者はいなかった。
空は快晴。風も心地良く、太陽は頭上で眩しく輝いている。トゥーイは、『神』が自分にご褒美を与えてくれたに違いない、と確信した。
「絶好のお散歩日和ね。早くスコを連れて、出かけなきゃ!」
――
トゥーイはスコードを連れて[世界政府]の屋敷に直行し、通りかかった役人の案内により、無事カルデムの部屋に辿り着いた。彼は驚きの表情だったが叱ることなく、嬉しそうに二人を出迎えたのだった。
そして用事を終え、屋敷を出て数分。部族の集落や港へと続く分かれ道の真ん中で、トゥーイは突然あることを思いついた。
「そうだ。今の時期って、おいしい果物が採れるはずよね? ちょっと寄り道していかない?」
「お前なぁ。散々叱られといて、襲われた時のこと、もう忘れたのか?」
スコードは呆れるばかりだが、トゥーイは頬を膨らませて反論する。
「せっかく外に出られたのよ? 私一人じゃないんだし、ちょっとくらい別にいいじゃない」
「そういう問題じゃないだろ。後で怒られるのはお前だけじゃないんだぞ?」
「何もなければ大丈夫よ!」
トゥーイは彼の腕をぐいぐい引っ張り、にっこり笑ってみせる。
「それに、何かあってもスコが守ってくれるから、絶対大丈夫!」
その瞬間、スコードの顔が一気に赤くなった。彼はこれ以上言い返せず、しかめっ面のまま引っ張られるのだった。
ニグル族の村を通り過ぎ、二人は岩場に囲まれた道を進む。しばらくすると、目の前に林が現れた。両側の岩場の隙間から木が生え、橙色の大きな実がぶら下がっている。
この楕円形の果物はバーナムと呼ばれ、ポーン島の言語で『神の実』という意味を持つ。その名の通り栄養価が高く甘い果実であり、収穫期には多くの部族がバーナムを求め、各地の林や集落の果樹園が賑わうのだ。
この林は鳥の糞に紛れたバーナムの種が育ったことで偶然出来た場所だと言われており、本来は収穫地ではない。だが、この道を通りかかる人々が用事のついでに訪れることが多い。トゥーイもバーナム目当てに、何度も村を抜け出したものだ。
今は最盛期より少し早いため、収穫に訪れている人はいない。トゥーイは頭上のバーナムをつま先立ちでもぎ取り、かぶりつく。完熟とは言えないが、爽やかな甘みもまた、好みの味わいだ。
「はぁ、バーナムなら村でも育ててるだろ」
スコードは腕を組み、呆れた様子でトゥーイを見る。彼は甘い物が苦手であり、バーナムは好まないのだ。トゥーイはもぐもぐと口を動かしながら、悪戯っぽく笑う。
「誰にも気づかれずにこっそり食べるのが、一番おいしいんだから!」
溜息をついたスコードだったが、「ん?」と眉間に皺を寄せた。
「どうしたの?」
「どこからか、人の声が聞こえないか?」
トゥーイは耳を澄ませる。道の向こうで、誰かが苦しげに呻く声が聞こえた。二人は同時に走り出し、声の主を探す。そして見つけた瞬間、あんぐりと口を開けた。藁製の大きな帽子を被った少女が木に登り、果実に向かって一生懸命手を伸ばしていたのだ。
震える指先が果実を捉え、もぎ取った反動で体勢が崩れる。少女と果実は同時に落下した。
「あっ、危ない!」
トゥーイは果実を、スコードは少女をそれぞれ受け止める。三人は同時にほっと息をついた。
「ありがとう。助かったよ……」
少女は立ち上がり、服の裾を手で払う。スコードは「俺達がいなかったら大怪我だったんだぞ?」と文句を言いたそうだったが、ぐっと堪えているようだ。
トゥーイはバーナムを手渡そうとするが、少女と目が合った瞬間息を飲んだ。大きな帽子で分からなかったが、彼女はニグル族の住民ではなかったのだ。
ポーン人特有の髪に緑色の毛先だったが、ニグル族の人々と違って顔の形が丸い。トゥーイと同年代に見えるが身長は掌ひとつ分以上低く、服に使われている布の素材も違う。
少女も二人に気づいたのか、慌てて帽子を取った。
「あっ、うちの部族の人じゃなかったんだね? 私はドナ・ハピアス族のリンキットって言うんだ!」
短髪の少女リンキットは「『リン』って呼んでね!」とつけ加える。トゥーイ達も簡単に自己紹介した。
「へぇ、二人はニグル族なんだね。スコードはトゥーイの彼氏さん?」
「ちょ、ば、待っ……違うに決まってるだろ! 俺は、かっ、[鍵]の守護者であるこいつの側近であって」
「そっか、『許嫁』なんだね!」
「はぁっ⁉」
スコードは顔から火が出そうなほど盛大に取り乱している。トゥーイも苦笑しつつ「違うよ」と弁解するが、果実をまだ返していないことに気づいた。
「はい、これ! まだ完熟じゃなかったけど、甘くておいしかったよ!」
バーナムを手渡すと、リンキットは満面の笑みになった。
「ありがとう! トゥーイもこれ、好きなんだ?」
「うん。散歩の途中で食べるのがたまらないのよね」
「分かるー! あっ、そうだ。せっかく会ったんだから、食べながらもうちょっとお喋りしようよ!」
スコードは青ざめた顔で「そろそろ帰らないと」と言いかけたが、トゥーイは遮るように「賛成!」と声を上げた。
「おいトゥーイ、長老に怒られたらどうするんだ?」
「カルデム様とのお喋りが長くなったって言えばいいのよ!」
トゥーイはスコードを無理やり座らせると「もう一個取ってくるね!」と一言残し、林の奥に消えた。スコードはにやけ顔で見るリンキットに睨みを飛ばし、長い溜息をつくのだった。
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