1章―2
文字数 3,477文字
「いえいえ、お構いなく」
長老の屋敷に通されたヒビロは、トゥーイの祖父、ニグル族長老のヤウィと対面した。風格のある屋敷の割に中の調度品は質素であり、中だけ見れば普通の老人の家である。
ぼさぼさの白髪の毛先は、孫娘と同じ明るい黄色。服装は集落で畑仕事をする住民とさほど変わらない。おもてなしをしようと動き回る祖父を見かね、トゥーイは心配そうに声をかけた。
「おじいちゃん、こないだぎっくり腰治ったばかりなんだから、無理しないでよね?」
「分かっとるよ!」
ヤウィは振り返ることなく呑気に答える。座ったまま落ち着きのないトゥーイの顔には、「怪我さえしてなければ私が探すのに!」と書いてあった。
「ちょっと長老、絶世の美男子が来てるんだって? 採れたての果物持ってきたから使ってちょうだい!」
「おお、おお、助かったわい」
「トゥーイ、あんた怪我したって聞いたけど大丈夫?」
「うん、痛くて動けないけど大丈夫」
「全然だめじゃない! 後でガウィさんに叱られ、あらぁ! こんな所にいい男が!」
いつの間にやら、住民達がわらわらと入ってきた。聞き慣れない言葉が飛び交い、ヒビロは記憶を掘り起こす。ポーン島には独自の言語がある、と恩師から教わったはずだ。
屋敷の入口へ目を向けると、噂を聞きつけた住民でごった返している。トゥーイが「みんな待って!」と声を張り上げると、彼らは一斉に静まった。
「おじいちゃん、食べ物はいいからこっちに来て。あとみんな、一旦家から出て。大事な話し合いがあるの」
ヤウィと住民達は黙って指示に従う。屋敷にいるのはヒビロ、トゥーイ、ヤウィの三人だけとなった。
「申し訳なかった。他の[島]の者を村に入れるのは初めてでのぅ、皆興奮しておったのじゃ」
「大丈夫ですよ。囲まれることには慣れてますから」
ヒビロは柔らかな笑顔で返し、胸ポケットから革製のケースを取り出した。
「申し遅れました。私は[世界政府]の国際犯罪捜査員、ヒビロ・ファインディです」
「なんと……!」
身分証明書を目にした二人は目を見開く。
「ヒビロさん、[世界政府]の人だったの⁉ だったらお願い。カルデム様に会わせて!」
「これトゥーイ! 奴は忙しいんじゃ、無理を言うでない!」
トゥーイはがっくりとうなだれ、胸元で鈍く煌めく鍵を握りしめた。
「さっきから気になってましたが、この鍵は?」
ヒビロは鍵を指差す。ヤウィは座り直し、苦々しく語り始めた。
「そいつは言い伝えに出てくる物じゃよ。ニグル族は『神』の山の恩恵を賜る代わりに、『神』の大事な宝を古来から守り続けておる。宝の在処を開けるにはその[鍵]が必要なんじゃ。宝を守るために代々[鍵]の守護者を決めてきたんじゃが、取られかけたのは今回が初めてじゃ」
ヤウィはトゥーイを横目で見ると、溜息をついた。
「まったく、不用意に村の外を歩き回るからこうなるんじゃ。やはり[鍵]は他の者に任せようかのう……」
「いえいえ、彼女は立派な守護者ですよ。でも複数の相手に一人では分が悪い。側近をつけるのはいかがでしょう?」
ますます落ちこむトゥーイをよそに、ヒビロは爽やかに提案した。ヤウィは目を細め、真っ白な顎髭を弄りつつ宙を見上げる。恐らく側近候補が何人か浮かんでいるのだろう。ヒビロはトゥーイの頭を撫で、励ますように語りかけた。
「ニグル族の一大事だ。君なら大丈夫だと思うが、これからは充分気をつけてくれよ」
「ごめんなさい……ヒビロさん、私を襲った相手のこと、絶対に捕まえてね」
ヒビロはボディバッグから小さなバッジを取り出し、不敵な笑みを浮かべた。
「あぁ、必ず捕まえる。あいつらの正体も、目星はついたからな」
――
山脈の麓に位置する大きな屋敷。ここは『この世界』の最高機関、[世界政府]本部である。
最上階の一室にて、一人の老人が窓の外を眺めていた。玄関口、屋敷までの山道、各部族の村へと続く分かれ道、他の[島]とポーン島を繋ぐ唯一の港。その全ての様子を見ることが出来るのは、ここだけだ。
老人、[世界政府]代表のカルデム=ニグルは窓際から離れ、椅子に腰かけた。白髪に混ざる黄金色の毛先が太陽の光に当たり、煌めく。腰まで伸びたその髪を、邪魔にならないように軽く後ろで束ねた。
先程、見知った者がいつになく神妙な面持ちで屋敷に入る様子が見えたのだ。彼の目的は、恐らく。
「失礼します」
メモの用意をしている間に、ヒビロが入室した。
「君のその顔、何やら宜しくないことがあったのだな?」
「さすが、その通りです。連絡なしに押しかけて申し訳ありません。お時間よろしいでしょうか?」
「よかろう。非常事態ならば仕方あるまい」
カルデムは老眼鏡をかけ、羽ペンを持つ。準備が整った頃を見計らい、ヒビロは単刀直入に切り出した。
「先程、ニグル族の少女が何者かに襲われました」
「少女? ……まさか、トゥーイではないだろうな?」
ペンの動きが止まる。同じ部族の仲間だからか、常に冷静な彼が動揺している、と、ヒビロは感じた。
「そのまさかです」
「彼女は無事か?」
「私が助けました。[鍵]も、無事です」
[鍵]と聞き、カルデムは僅かに眉をひそめた。
「そうか。我が部族の事情は、彼女に聞いたのだな」
「えぇ。犯人を見つけ出して欲しいと頼まれました」
ヒビロは机にバッジを置く。そのバッジには『RC』と刻まれていた。
「これは」
「犯人が落とした物です。社章で間違いないでしょう」
カルデムはバッジを片手でつまみ、目元へ近づけた。
「形状、色から考えて、この社章を用いている企業は……」
「リバースカンパニー」
社名を聞き、カルデムの目元が険しくなる。リバースカンパニーは、麻薬・武器の裏取引の疑いがある運送会社だ。更に、社内関係者が行方不明との噂も聞こえている。もし、この企業が『神』の宝を狙っているとしたら。
「ヒビロ、リバースカンパニーの捜査を大至急行ってくれ」
「という訳さ。出発は明日だ、急いで支度を整えてくれよ」
「ヒビロさん、急な予定変更は困ります!」
突然の宣言に、シドナ・リリック、シドル・リリック姉弟は同時に申し立てた。
「数時間前に起こった事件だぜ? うまい具合に話が進んじまったんだから仕方ねーだろ?」
ヒビロは苦笑しつつも爽やかに笑う。二人の部下は、困惑したように互いの顔を見合わせた。
「まぁ、捜査の許可が下りないよりはマシです。姉さん」
「そうですね。代表からの任命となら、早急に対処する必要がありますね」
「あぁ。ようやくあのRCを調べ倒す口実が出来たんだからな、張り切っていこうぜ」
RCの捜査を希望する者は多く、以前[地方政府]による一斉捜査が行われたこともある。だが証拠は一切見つからず、打ち切りとなってしまった。
今回の一件が引き金となり、数々の『噂』に切りこんでいけるなら。姉弟は、ヒビロの意見に頷いた。
「では、手始めに何処へ向かいましょうか?」
「そうだな、本社のあるカルク島にするか。取引先との関係からじわじわ攻めよう」
その時、目の前の階段から何やら足音が聞こえた。現れたのはまだ幼い少年だ。
「まって、ぼくも行く!」
彼らの話を聞いていたのか、少年は興奮気味に叫ぶ。シドナは彼の目線に合わせるようにしゃがみ、諭すように叱りつけた。
「フィオラさん、あなたは捜査員ではないのですよ? 代表のところへ戻りなさい」
「おじいちゃんが、ついて行っていいって言ってたもん!」
少年フィオラは、頬を膨らませて反論する。シドナは更に言い返そうとするが、ヒビロは彼の頭をくしゃくしゃに撫で回した。
「まぁいいじゃねーか。捜査に同行させなければいい話さ」
「何をおっしゃいますか、フィオラさんはまだ……」
「代表には俺から言っておく。こいつもそろそろ、外の世界を見て回ってもいい頃だと思うぜ?」
シドナは黙ってフィオラを見る。彼は両手を合わせて、ねだるように見つめていた。
「……分かりました。ただし、私達の仕事には一切、関わらないでくださいね」
「やったぁ! シドナおねえちゃん、ありがとう!」
フィオラは喜びあまってその場を駆け回る。そのあどけない笑顔を見ながら、姉弟は再度、困惑したように顔を見合わせた。
「そうと決まれば早速準備だ。ほら、戻った戻った!」
ヒビロはフィオラを抱き上げ、追い払うように手を振る。不満げにその場を去る部下達を見送った後、ヒビロは再度階段を登って行った。
Encounter with strange
(未知との遭遇)
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