第2話 最初の勝負

文字数 2,820文字

 新館からゾロゾロと二年生たちが出てくる。この四階建ての二号館は正門から見て右手にあり、円形の池を間に左手には鏡に映し出されたように同じ形をした一号館があった。
 建物はこれら以外に平屋の守衛室と学生部があるだけで、体育館やグラウンドはない。浅草寺の近くにあるこのキャンパスは高さ2メートルのブロック塀に囲まれ、敷地面積はかなり狭かった。
 全開になっている正門から出る。門はこの一つしかなく、普段は配送トラックが入る時以外は閉まっていて、授業が始まれば学生は専用の通路からしか出入りできなくなる。キャンパスの中では自分のコインを持ち歩かなければならないのは昨年と同じだった。
「ほな僕、銀行に行かなアカンから、ここで」
「俺バイトあるから」
 それぞれ理由を口にして、狩野と市川が立ち去った。一人になった成瀬を由香里が見つめる。ギュルギュル……お腹が鳴った。無意識に彼についてきてしまった。方向を変え、由香里はハンバーガーショップに入る。
「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか?」
「はい」
 返事をして由香里はメニューを見た。代わり映えしない物ばかりが目につく。
「……アップルパイとコーラ」
「ご一緒に新発売の特製ガトーショコラはいかがですか?」
「あ、それも、お願いします……」
 笑顔を絶やさない店員から、商品を乗せたトレーを受け取る。階段を上がって二階に行くと、なるべく近くに人がいない席を探して座った。コーラをストローで吸い上げながら、どちらから食べるか考え始める。
 ガトーショコラを手に取る。思わず顔がほころぶと、すぐ横に人の気配を感じ、顔を上げた。
「あっ」
 見下ろす視線と目が合い、声が出る。成瀬だった。
「……それ、昼飯?」
「何か問題ある?」
「甘い物ばっかで体に悪そ」
 成瀬が由香里の隣の席に腰を下ろす。罪悪感を覚えながらガトーショコラを食べ、成瀬に目を向けると、ハンバーガーには手をつけず、フライドポテトばかり口に運んでいた。
「……あの五人組、ボウリング予約してるなんてウソよ」
 食べる手を止めず、成瀬が振り向く。
「早く帰りたかった、だけなのよ。だって、ボウリング予約するなんて、聞いたことないし。成瀬くんの言うこと、理解する自信なくて、それを認めたくなくて……」
「何が言いたいんだ?」
「えっと……」
「まさかボウリング予約できるって知らないのか?」
「……知らなかった」
「クソ田舎者が」
 包み紙を外し、ハンバーガーをほお張り始める。機嫌が悪くなったと思い、元気づけようとしたのが裏目に出たと感じた。
「成瀬くん」
 声に反応して、成瀬よりも先に由香里が振り向く。なで肩でヘルメットみたいな髪型の、法学部法曹コースの田村翔(たむらしょう)が立っていた。黒い髪のつやが目立つその後ろにはもう一人いる。体型も髪型も同じだったが、髪の色が金に染まっていた。
「向こうにいたんだけど、気づかなかった?」
「気づいてたら、たぶん声くらいかけただろ。で、そっちの色違いは?」
 成瀬が言うと金髪が一歩前に出た。
「弟の田村俊(たむらしゅん)です。よろしくお願いします」
「いくつ離れてるんだ?」
 田村兄が人差し指を立てた。
「一つだよ。俊も僕たちの大学に入ってきたんだ。国際コースだから成瀬くんの後輩だよ」
「そっか。単位のシステムはオレたちの時と同じか?」
「さっき兄貴と話してたんですけど、全く同じみたいです」
 リンギス大学には経営、国際、法曹、企業の4つのコースがあり、それぞれまた50人ずつ入学した。一年生は最初から30単位持っていて、授業で取得できる単位の上限は60、二年生への進級に必要な単位は100というシステムになっていた。田村弟が続けて言う。
「それと、兄貴から聞いたんですけど、成瀬さんゲーム強いらしいですね」
「強いって言い方は好きじゃないが、ま、ゲームは好きだな」
「良かったら俺と勝負してもらえませんか?」
「何の?」
「神経衰弱でお願いします」
「僕は俊に一度も勝ったことがないんだ」
 得意げに言ってきたが、兄のレベルが分からないので不要な情報だった。
「いいだろ。何を賭ける?」
「俺が勝ったら合コンを開いてください」
「分かった」
 ためらうことなく答えた成瀬に由香里が尋ねる。
「成瀬くん、女の子集められるの?」
「勝てばいい」
「……そうね」
 成瀬がハンバーガーの包み紙をフライドポテトの袋に押し入れる。
「で、お前が負けた場合だけど、紙を大学の掲示板に貼ってもらう」
「紙? 何かの宣伝ですか?」
「ま、そんなとこだ。さっさと始めようぜ」
 近くを通った店員に成瀬はトレーを渡した。

 成瀬と田村弟が向かい合って座る。テーブルの上に散らばったパンの粉が目に入り、口を尖らせた成瀬は吹き飛ばして床に落とした。隣の席ではアップルパイをほお張りながら由香里が成り行きを見守り、その前では田村兄が首を長くしてゲームの開始を待ち侘びていた。
 田村弟がボディバッグからトランプを取り出し、テーブルの中央に置く。ゆっくりと成瀬が手を伸ばした。
「トランプはチェックさせてもらうぞ」
「もちろんです。負けた後でイカサマとか言われても困りますからね」
 箱から出した成瀬は、まずカードの裏を見ていった。それが終わると次は表を一枚一枚見ていく。
「ジョーカーは抜いとくな」
「はい」
 ジョーカーをテーブルの隅に置き、またカードに目を通していく。
「オッケーだ」
 そう言って成瀬がシャッフルする動作を始めると、今度は田村弟が手を伸ばした。
「俺が並べますよ」
「これくらい、いいって」
「……じゃあ、お願いします」
 カードを裏向きに置いていく。52枚を四角く並べ終えると、成瀬は手をこすり合わせた。
「オレからでいいか?」
「え、あの……先手が不利っていうこと、知ってます?」
「知ってる」
「いいですけど、負けた時の言い訳にしないでくださいね。見苦しいだけなんで」
 成瀬がカードをめくる。スペードのAが出た。もう一枚めくる。するとダイヤのAが出た。
「おおっ、すごいですね」
 珍しい現象に田村弟は、思わず声を上げて微笑んだ。続けて成瀬がカードをめくる。クラブのAが出た。もう一枚めくる。ハートのAが出た。田村弟の顔から笑みが消える。それから2、3、4と順番に四枚ずつめくっていき、四枚の7が表に向いた時点で成瀬は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。絶対イカサマですって。こんなの、ありえないじゃないですか」
「後でイカサマとか言われても困るんだけどな」
「……」
「待って」
 声を上げたのは由香里だった。
「まだ勝負は終わってないわ。裏向きのカードがこんなに残ってるじゃない」
 無視して成瀬はブリーフケースからプリントを一枚取り出すと、まだ片付けていないトランプの上に置いた。田村弟が手に取って目を通す。
「これって……」
「こうしないとな、面白くないんだよ」
 そう言いながら成瀬は裏向きのカードを一枚めくった。スペードの8が出た。
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