第8話 借金

文字数 2,473文字

 昼休みになり、売店で買ってきた菓子パンをかじる。朝ご飯を食べてないのに食欲がない。五限目は出ず、ゆっくりしてからアルバイト先に行きたいと思った。半分だけ食べ、袋を折って閉じる。
「ついにダイエットでも始めたのか?」
 顔を上げると成瀬だった。話しかけてくれることに一瞬うれしく感じたが、抱えている悩みに打ち消される。
「……」
「どうした? 何かあったのか?」
「……ワタシの家族、バカなのよ」
「……」
「安い中古のパソコンなんか買うから、ウイルスにかかって、お金取られるのよ」
「ちょっと待て、どういうことだ?」
「ウイルスにかかって、電話して直してもらったら、一回で5万円も取られたんだって」
「……それ、よくある詐欺だぞ」
「えっ、そうなの?」
「実際はパソコンは正常で、一瞬操作できなかったりするが、強制的にブラウザを閉じればいいし、ネットワークを切って再起動してもいい。もし、本当にウイルスにかかってパソコンがおかしくなっても、自分でリカバリーすればいいだけだからな」
「それで15万円も無駄に……」
「家族もバカだと苦労するな」
「バカって言わないでよ」
「自分で言ったんだろ」
「他人に言われたくないの」
「……」
「もう、あっち行って」
 成瀬は黙って、その場を離れた。

 四限目の講義が終わり、カフェでゆっくりしてから、アルバイト先の居酒屋に行った由香里は、着替えてタイムカードを押し、店長に会うなり、すぐに給料の前借りはできないかと相談したが、ルール上できないと返答された。
 この日、客は少なかったが入っていたアルバイトも少なく、料理を運んだり、ドリンクを入れたり、下げた食器を洗ったりしながら、終わる頃には日付が変わっていた。
 終電に間に合わず、歩いて下宿先のアパートに戻ってくる。家賃のことを思い出すと、気が重くなった。部屋に入って電気を点けた途端、ベッドに身を投げ出す。スマホを手に取り、ブラウザを開いて検索を始めた。
『未来の自分から仕送り』
 妙な言葉が目に飛び込んだ。サイトを開き、目を通す。
『当サービスをご利用いただきましたら、給料の前借りをすることができます。決して悪質な給料ファクタリングではありません』
 給料ファクタリング……聞き慣れない言葉だった。『0120』から始まる電話番号があったが、平日の朝9時から夕方5時までだったので、ブックマークする。枕元にスマホを置いた由香里は、しばらくアザラシのぬいぐるみを抱きしめた。

 カーテンの隙間から光が差し込む。また寝すごしたんじゃないかと一瞬焦ったが、置き時計を見ると、まだ9時前だった。昨夜のアルバイトの疲れが残っていて頭も体も重い。二限目が始まるまで、まだ時間の余裕はある。ゆっくり顔を洗い、髪を整えてからスマホを手に取り、ブックマークからサイトを開いてフリーダイヤルにかけてみた。
「はい」
「あ、あの、ホームページを見て、電話したのですけど……」
「はい、ありがとうございます。お給料の前借りをご希望でよろしかったでしょうか?」
「そうです。お願いします」
「ありがとうございます。それではウェブサイトよりお申し込みとなりますので、完了いたしましたら数日以内には振り込ませていただきます」
「あ、あの、いくらくらいですか?」
「お給料の80パーセントを振り込ませていただきます」
「全部じゃないんですか?」
「20パーセントは手数料として頂いております。弊社は非常に良心的なサービスとなっておりまして、悪質なところですと50パーセント、半分ですね、なんて所もありますので」
「……分かりました」
「ご不明な点がございましたら、またお電話いただければと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします」
「ありがとうございました。失礼します」
 電話を切る。由香里の指は開いたままのウェブサイトにある『申し込み』ボタンに動いた。

 5月17日、火曜日。投票日の翌日、いつものように結果が掲示板に貼り出された。
『投票率88パーセント、賛成259票、反対62票で可決。代表者法が成立しました。なお、内容が同じなので代表者条例(二年生)の方は削除されます。明日より投票の際に、自身のコースの代表者が入れた方と同じ方に入れないと退学処分となりますので、ご注意ください』

 自動ドアが開き、銀行に入る。ATMの前に立った由香里は、キャッシュカードを入れて残高を確認した。13万円弱の給料が振り込まれ、約20万円ある。ここから12万5千円を返済し、月末までに電気代やスマホ代も引き落とされ、来月分の家賃も払わなければならない。由香里は銀行を出て、スマホから電話をかけた。
「はい」
「国柴ですけれど……」
「はい、国柴様でございますね」
「あの……返済を待ってもらうことって、できないですか?」
「それはできません。契約書にサインしていただいておりますので」
「生活費が残らないんです」
「それでは再度、お給料の前借りをご希望ということで、よろしいでしょうか?」
「すいません、給料の前借りとかじゃなく、普通にお金を借りることってできないですか?」
「申し訳ございませんが、弊社では取り扱っておりません」
「そうですか……」
「失礼ですが、学生様でいらっしゃいますよね。借金はお勧めしませんが……」
「なんでです?」
「学生様は信頼がございませんので、銀行で借りることはまず無理です。たまにクレジットカードを作る方もおられますが、たいてい破産します。審査もなく簡単に借りられる所もあるのですが、いわゆる闇金でして、高金利になります。弊社のサービスは給料を担保にお客様の信頼を確保しておりますので、この利率でお貸しできるのです。少しややこしいかもしれませんが、普通にお金を借りるのと同じですよ」
「……分かりました。もう一度、お願いします」
「ありがとうございます。それでは必要な情報は頂いておりますので、契約書だけサインして送っていただきますようお願いいたします」
「分かりました」
 電話を切る。時給が高い東京で働いているからと強気に出て、妹にお金を渡したことを後悔した。
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