第5話 成瀬の計画

文字数 2,915文字

 田村弟が学生証をポケットに入れ、銀色のバーを回す。交換機の前に足を運ぶと、まだ『故障中』と書かれた紙が貼られていた。授業が始まって最初の土日が終わり、週が明ければ直っていると思っていたが、期待は外れた。
 学生たちが集まる隣の掲示板に視線を向ける。休講のお知らせが貼られていた。一年生の国際コースの一限目だ。引き返して、正門に向かう。入口を通り抜けてきた女子と目が合った。見たことがある顔だ。そのまま一号館に直行しようとした彼女に田村弟は声をかけた。
「あ、あの」
「私?」
「うん。国際コースだよね? 一限目、休講だよ」
「ウソ」
「ウソじゃない。掲示板、見といた方がいい」
 彼女が方向転換する。
「わー、ホントだ。せっかくがんばって起きたのに」
「講義の終わりに教官が、来週は休みって言ってたと思うけど」
「えー、そうだったっけ」
 会話が止まり、二人はしばらく並んで掲示板を眺めていた。
「……朝ご飯、食べた?」
 田村弟が尋ねた。
「ううん、食べてない」
「良かったら、食べに行く?」
「どこに?」
「歩いて五分くらいの所にハンバーガー屋があって、モーニングもあるんだけど、どう?」
「外に出れるの?」
「出れるよ。昼とか何回か出てるし」
「なんで知ってたの?」
「出れること?」
「うん」
「兄貴から聞いた」
 彼女が思い出したようにうなずく。
「ああ、田村くんだっけ?」
「そうそう」
「私はサトミ」
「えっと、名字は?」
「名字が里見(さとみ)。下の名前は芽以(めい)
「そういうことか」
 二人は正門の出口に足を向けた。ATMに学生証を入れ、すぐに『完了』をタッチする。戻ってきた学生証を手に銀色のバーを回してキャンパスを出た。

 モーニングを乗せたトレーを持って二階へ上がる。田村弟と里見は四人掛けのテーブル席に向かい合って座った。
「田村くんはどの授業に出るか決めた?」
「とりあえず月曜から金曜まで毎日、二限目から四限目までは出るつもり。その15コマで30単位になるから、あと五限目もいくつか出ればその分、後期は少し楽になるかなって考えてる」
「なるほど、一限目は出ないんだ」
「朝はゆっくり寝てたいしな」
「今日はなんで?」
「交換機が直ってるかなと思って」
「まだ直ってなかった?」
「残念ながら、まだだった」
「そうなんだ。残念」
 里見がコップを口に運ぶ。入っていた大きな氷が動くと、必要以上の水が流れ出した。
「わっ」
「大丈夫?」
 ブラウスが濡れ、下着が透けて見えた。里見がバッグからハンカチを取り出し、濡れた胸に押し当てる。その様子を田村弟はじっと見ていた。里見の顔が少し上がると、視線を逸らしてサラダを口に入れた。
 目のやり場に困る。だが、どうやっても視界に入る。飲み込まずにレタスを何度も噛みながら別のことを考えようとした。ここは成瀬と神経衰弱をした場所だ。進級券のことに気を取られて、じっくり考えていなかった。成瀬は全てのカードが何か分かっているようだった。どこかのタイミングで覚えたのは間違いない。
「あっ」
「どうしたの?」
「い、いや、何でも……」
 トランプをチェックした時だ。表も見ていたのが変だった。その後は混ぜるフリで、カードの順番は変わっていなかった。あの短時間で52枚を覚えるのは信じられなかったが、ロジックには納得がいく。
 里見が顔を上げ、目が合う。彼女の胸に無意識に向いていた視線を慌てて逸らした。エロいことを考えていたと思われたくなかった。
「ここで神経衰弱をしたことがあって、Aから順番にめくられて……」
「お店で、トランプ?」
 何が疑問なのか一瞬分からなかったが、すぐに非常識な行為だったと気づいた。
「ひ、人も少なかったし、一回だけならと思って……」
 言い訳して苦笑いする。頭の中は雑念でかき回されていた。

 4月14日、木曜日。この日は『代表者条例案(二年生)』の投票日だった。投票所は一号館の四階、たまにしか使われない大講義室の隣にあり、二年生は昨年もここで投票を行っていた。
 投票所には入ってすぐの所に長机があり、パイプ椅子に係員が一人座っていた。学生証を見せるとコースごとに名簿順に並んだ紙のリストにチェックが入り、プラスチックのカードを一枚渡される。
 それを孤島のように部屋の中央に置かれた二つの投票箱、賛成の箱か反対の箱に入れる。投票に来た二年生は、ほとんどが賛成に入れていた。反対の場合は来ないのだ。

 翌日、投票の結果が集計され、掲示板に貼り出された。
『投票率83パーセント、賛成132票、反対6票で可決。代表者条例(二年生)が成立しました。明日より投票の際に、自身のコースの代表者が入れた方と同じ方に入れないと退学処分となりますので、ご注意ください』
 その隣にもう一枚貼られている。罫線が引かれた枠に、左から『経営』『国際』『法曹』『企業』と4つのコースの名称が縦書きで並び、『国際』の下には『成瀬優理』と書き込まれ、枠の上には『代表者氏名記入欄』とあった。

 机の上にあるミルクティーのストローを由香里がくわえる。眠たい。小講義室で菓子パンを食べ終え、満腹感に浸っていた。あと三回、講義を受ければ今週が終わる。しんどいので来週からは出る授業を減らそうと思った。ただ、進級するのに必要な単位の数が分からない。ため息をつくと、席を一つ空けて横に男子が座った。
「あ、ああ……」
 顔を見ると成瀬だった。よく分からない声を発して、彼が振り向く。由香里は視線を逸らさなかった。
「オレの顔に何か付いてる?」
「……目と鼻と口」
「ナメてんのか」
 成瀬は由香里の肩にパンチをした。
「ま、間違ったこと言ってないでしょ」
「それは当たり前だろ。血とか付いてるんじゃないかって」
「血なんて付いてないし」
「例えばだ。例えば」
「……聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「単位って、どれだけ取ればいいの?」
「95」
 即答されて焦る。
「ど、どうゆう計算?」
「式は(6+20)×15÷2-100だ」
「意味分かんない」
「1人が進級券を1枚ずつ交換していけば、レートが1ずつ上がっていくだろ。レートは6単位から始まってるから、2枚目は7、3枚目は8になる」
「15枚だから、6から21まで足した分ってこと?」
「いや、21じゃなくて20だ」
「6から20まで足す……13、21……」
「高校の時、数列やらなかったのか?」
「覚えてない」
「めんどくせえな」
「もしかして、これがオリエンテーションの時に言おうとした、みんなが助かる方法?」
「そうだ」
「でも、もう遅いんじゃ……」
「いや、条例で何とか、何とでもなる。そのために、このコースの代表になった」
「いつの間に」
「この前、オレがやるって言っただろ」
「そうだったっけ」
「他の奴に聞いてみろ」
 ドアが開き、教官が入ってきた。三限目が始まり、成瀬との会話は終わった。

 土日の休みが終わり、また一週間が始まる。掲示板には次の投票のお知らせが貼り出された。
『進級券所持禁止条例案(二年生)が審査を通りました。この条例案の内容は4月29日から1月29日までの間に、進級券を所持した者を退学処分にするというものです。投票日は4月25日、一号館(旧本館)四階の投票所で行います』
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