第6話 キャンパスの支配

文字数 2,658文字

 売店で買ってきた甘いパンをほお張る。少し離れた席にいる成瀬に視線が行く。スマホをいじりながらコーヒー牛乳を飲んでいた。するとドアが開き、国際コースではない二年生が二人入ってくる。気になって目で追うと、成瀬の元へ行った。
「成瀬……だな?」
 鈴木が声をかけた。
「そうだけど、何?」
「あの法案出したの、お前か?」
「条例案な」
「細かいことはいいんだよ。俺たち12時間以上も待って、やっと進級券を手に入れたんだぞ。この苦労を水の泡にする気か」
「バーゲンセールでもやってたのか? 早く来たってだけで勝ったと思うな」
「な、何だと……」
「言っとくけど、進級券を買ったのは少数だ。そして、オレは二年全員が進級できる方法を知っていて、それを実行する権力を持っている。どっちを支持するか、さすがに分かるよな?」
「……」
 鈴木は反論できなくなった。代わって佐藤が話し始める。
「交換機はまだ壊れてる。4月28日までに直らなかったら、俺たちは退学になる。そうなったら、どうしてくれるんだ」
「大丈夫だ。直る」
「なんで言い切れるんだ」
「このキャンパスは今、オレが支配している」
「……」
「直ったら教えてやる。お前らより先に一年に売られても困るからな」
 そう言うと成瀬はメッセージアプリを開いた。

 半球のくぼみの中で固まり出した生地を、手にした千枚通しを外側から突っ込んで動かそうとする。だが、内側まで形が崩れ、生地は回転しない。横にいる狩野が竹串を魔法の杖のように回すと、焼き色の付いたキレイな球体が次々に顔を出していった。
「……職人か?」
「大阪人はみんなできるんとちゃう」
 つまらなさそうに成瀬は千枚通しを置き、ファッション雑誌を見ていた市川に目を向けた。
「交換機を壊した奴って、どんな罪になる?」
「……刑法第261条、器物損壊罪。三年以下の懲役または三十万円以下の罰金もしくは科料。それに損害賠償を請求されることもある」
「なるほど」
「成瀬が壊したのか?」
「いや、オレじゃない」
「食べてええで」
 タコ焼きを乗せたお皿を狩野が差し出す。市川が爪楊枝で刺し、口に運んだ。
「熱っ!」
 市川が口を押さえ、もだえる。その様子を見て、成瀬は少し待つことにした。
「ところでやけど、経営コースだけ代表まだ決まってへんねんな」
「そうなんだよな……ま、4分の3は3分の2より大きいから、オレたちだけでも問題はないが」
「週明け投票あるけど、経営はなしで行くん?」
「そういうわけにもいかないか……めんどくせえな」
 爪楊枝を手に取った成瀬は、タコ焼きに刺し、口に入れた。
「……狩野」
「どうしたん?」
「タコが入ってない」
「しもた、忘れてた」

 4月22日、金曜日。経営コースの二限目が行われる小講義室のドアが開き、教官が入ってきた。その後ろにはもう一人いる。成瀬だった。教官に代わり、教壇の前に立つ。
「代表者が決まってないようなので、この授業の時間を少しもらった。立候補はあるか?」
 反応がない。
「推薦は?」
 みな黙っている。
「代表者がいないってことは、学内法や条例を作る時に意見が言えないってことだ。場合によっては、この経営コースだけ不利益を被るということもある。それでもいいのか?」
 学生たちは成瀬と目が合わないように顔を背けた。どれだけの者が代表者を決めるべきだと考え、どれだけの者が自分には関係ないと思っているのか、心の内は分からない。だが、じっくり歩み寄るつもりなど成瀬にはなかった。
「今から簡単なゲームをやる。みんなには目をつぶって手を上げてもらう。代表者に立候補する奴は手を上げ、立候補しない奴は手を上げない、それだけだ。ただし……」
 成瀬は指を4本立てた。
「4つの場合分けがある。1つ目は手を上げている奴がゼロ人の場合、経営コースの代表者はナシだ。2つ目は手を上げている奴が一人の場合、そいつが代表者になる。ま、ここまでは分かるな。3つ目をよく聞いてほしい。手を上げている奴が二人以上の場合、そいつらは代表者の候補から外れ、ゲームを続ける。最後に一人残った場合だけ、そいつに代表者をやってもらう。4つ目は全員が手を上げた場合だが、1つ目と同じで、ここの代表者はナシになる。以上だ」
 言い切ってから成瀬はしばらく考える時間を与えた。その間に意見が出ることも期待したが、誰も何も言ってこなかった。
「ゲームを始める。目をつぶってくれ」
 学生たちは目をつぶったが、顔を伏せているわけではない。構わず成瀬は続けた。
「今から10秒数える。その間に手を上げてくれ」
 緊張感が漂い、部屋が静まり返る。前の方にいた一人が上げ、離れた場所でまた一人が上げると、次々に手が上がっていった。5秒を経過したところで成瀬が口を開く。
「5、4、3、2、1、ゼロ。目を開けてくれ」
 上げていない者が三人だけいた。その三人はみな最前列に座っていた。
「この三人でゲームを続ける。目をつぶってくれ。10秒数える」
 三人が目をつぶる。自分が代表者にならないためには、自分と同じことをする者が一人でもいればいい。
「5、4、3、2、1、ゼロ。目を開けてくれ」
 左端にいた坊主の倉田一平(くらたいっぺい)が部屋を見回すが、手を上げている者はいなかった。倉田の手は……上に向かって伸びている。経営コースの代表者が決まり、成瀬がメッセージアプリで倉田と連絡先を交換して出ていくと、教官が「10分延長します」と言って講義が始まった。

 4月25日、月曜日。『進級券所持禁止条例案(二年生)』の投票日が来た。昼休みになり、二号館からゾロゾロと出てきた二年生たちが、円い池の横に集まる。そこで一列に並び、成瀬を先頭にまずは国際コースが一号館に入った。後ろには狩野を先頭に企業コースが控えている。食堂に向かう一年生や売店で働くパートのおばちゃんは、いきなり来た行列に驚きを隠せない。
 行列は四階を目指して足を進めた。階段が二年生で埋め尽くされる。投票所に入った成瀬は係員に学生証を見せ、プラスチックのカードを一枚もらった。続けて後ろにいる学生も同じことを繰り返していく。チェックがしやすく一度に終わるので、係員にとってはありがたかった。前の人が賛成に入れたのを確認して、次々に二年生が箱にカードを入れていく。

 翌日、掲示板に結果が貼り出された。
『投票率100パーセント、賛成166票、反対0票で可決。進級券所持禁止条例(二年生)が成立しました。4月29日から1月29日までの間に、進級券を所持すると退学処分となりますので、ご注意ください』
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