第31話 惨劇の前 (回想)
文字数 2,122文字
あの日、わたしは絶望した。
己の力のなさに。
なすべき事もなせない、己のふがいなさに。
月音とあの方を逃がすため、追っ手を攪乱するために私は必死で走り、時には陽動のために攻撃を仕掛けた。
しかしあっけなく捕らわれてしまった。
あの方の足手まといにだけはなりたくないと、舌をかもうとしたが、それも阻止された。
私は手足を縛られて、口には手ぬぐいで猿轡 されて、無様に地面に転がされていた。
「主役 と契人 の行方を教えなさい。そうすればお前をいかして、祭の後は主役とともに暮らすこともできるぞ」
私の前に立っていた、老翁 の面を被った男がそう言っうのが聞こえた。
正直に言う、一瞬心が揺れてしまった。
月音が虚の贄 になった後、主役と共に生活できる。
頭の中にその情景が浮かび、心が幸せに満たされかけてしまった。
幾渡くりかえしても、決して私を選んでくれない主。
その主と、月音が消えた後共に暮らせる。
もしかすると心を通わせることが出来るかもしれない。
愚かしくもそう思ってしまった。
そして思い出す。
燈月媛を失った時の彼の様子を。
そうだ……月音が贄となり消えた後でも、主様は私を愛してなどくれない。
また月音のいない世を儚んで、その命を終えるだけだ。
私のことなど、愛してはくださらない……情を交わしてなど……くれないのだ。
主様の一途な思いが私の心を締めつけてくる。
どれだけ尽くそうと、捧げようと、主様は私を見てはくれない。
私を愛することなどあり得ない。
駄目なことと分かりつつも、月音に対してかすかな妬心がわきあがる。
いつも主様の隣に立ち、主様の愛を一身に受け止め、その幸せに包まれて微笑む愛おしい妹。
愛おしいが故に妬ましい。
彼女と私の何が違うのかと、どうしても思ってしまう。
同じ血を分けた双子。
同じ環境に育ち、同じ人を愛してしまう姉妹。
だけど必ず選ばれるのは月音……その事実が暗い気持ちを沸き立たせる。
「身を挺して妹を守ろうとするその心意気は立派。しかし本当にそれで良いのかな。主役の寵愛を一身に受けて、その手で女にして貰い、幸せな時間を過ごす妹とそれを助けるために、愛されもせず泥まみれで地に伏す姉の哀れな事よ」
嘲笑混じりに翁面の男が言う言葉に、不覚にも心が惑わされてしまう。
何故私は愛されてもいないのに、こうしているのだろうかと思ってしまった。
否、それは違う。
私は妹のためだけにこうしているのではない。
彼と交わした誓いを果たすためにこうしているのだと思い出す。
燈月を失って魂までもボロボロになってしまった彼が、最後の最後に私に託した使命。
それを果たすと、私は自らの血を持って誓ったのだ。
そして思い出してしまった。
今までで唯一ゆるされた接吻の感触を。
命を失い冷たくなった彼の、しかしまだかすかに熱の残っていた唇の感触を。
(月音がいる限り、2度と触れることが出来ないあの唇の感触を、もう1度だけで良い……触れたい)
ほんの僅かな刹那、私はそう言う邪 な気持ちを抱いてしまった。
次の瞬間には、猛烈な悔恨の情が襲ってきた。
大切な、愛する、自分の半身の破滅を願ってしまったその自分の心に恐怖した。
「楽になれば良い、自分の本当の気持ちをさらけ出せ。そして妹の居る場所を告げるのだ。そうすればお前の願いも叶うというのに、何故に強情を張るのだ」
耳からゆっくりと翁面の言葉が入り込んでくる。
頭にモヤがかかったように思考が曖昧になっていく。
甘い香りが、私の身体を包み込んでいくのを感じて、私の意識はゆっくりと沈んでいった。
------------------
「中々に手間な事を……素直に契人の居場所を吐かせれば良いのでは?」
翁面の男は、隣に立っていた鬼の面を被った男に問いかけた。
「目先のことだけを考えるなら、いまここで口を割らせればすむだろうが……先のことを考えるなら、ここでこやつを堕としておくことに意味はあるのだ。のちのち役に立つこともあるのだよ。」
鬼の面の男は冷たい言葉でそう言うと、意識を失った陽奈美に近寄り、何かをブツブツと呟き始める。
言葉と共に差し出された手は、陽奈美の頭部の少しうえで手の平をかざすような姿勢で保たれている。
男はそのままの姿勢で、ずっと言葉を唱え続けていると、しばらくして陽奈美の頭部から黒いモヤのようなものが立ち上ってくる。
「……成功したようだな。こやつはもうどう扱ってもいい。逃げられぬように手足の筋でも切って、主役を引き寄せるおとりにでもすれば良い。私はもう帰るが、後は任せたぞ」
陽奈美に身体から立ち上った、黒いモヤのようなものを朱塗りの木箱に収めると、鬼面の男は立ち上がりそう言った。
その言葉に翁面達は直立不動のままで、はいとだけ答える。
その言葉に満足したのか、鬼面の男は2度ほど満足げに頷くと、ゆっくりと歩き闇の中にその姿を消した。
「……名主の家……食えぬ男よ。だが守藤には従うしかない。従わねばこの村では生きていけぬからな」
忌々しいと言わんばかりの語気で翁面の男は言うと、目の前に倒れている女をいかにして囮にするか思案を巡らし始めるのだった。
己の力のなさに。
なすべき事もなせない、己のふがいなさに。
月音とあの方を逃がすため、追っ手を攪乱するために私は必死で走り、時には陽動のために攻撃を仕掛けた。
しかしあっけなく捕らわれてしまった。
あの方の足手まといにだけはなりたくないと、舌をかもうとしたが、それも阻止された。
私は手足を縛られて、口には手ぬぐいで
「
私の前に立っていた、
正直に言う、一瞬心が揺れてしまった。
月音が
頭の中にその情景が浮かび、心が幸せに満たされかけてしまった。
幾渡くりかえしても、決して私を選んでくれない主。
その主と、月音が消えた後共に暮らせる。
もしかすると心を通わせることが出来るかもしれない。
愚かしくもそう思ってしまった。
そして思い出す。
燈月媛を失った時の彼の様子を。
そうだ……月音が贄となり消えた後でも、主様は私を愛してなどくれない。
また月音のいない世を儚んで、その命を終えるだけだ。
私のことなど、愛してはくださらない……情を交わしてなど……くれないのだ。
主様の一途な思いが私の心を締めつけてくる。
どれだけ尽くそうと、捧げようと、主様は私を見てはくれない。
私を愛することなどあり得ない。
駄目なことと分かりつつも、月音に対してかすかな妬心がわきあがる。
いつも主様の隣に立ち、主様の愛を一身に受け止め、その幸せに包まれて微笑む愛おしい妹。
愛おしいが故に妬ましい。
彼女と私の何が違うのかと、どうしても思ってしまう。
同じ血を分けた双子。
同じ環境に育ち、同じ人を愛してしまう姉妹。
だけど必ず選ばれるのは月音……その事実が暗い気持ちを沸き立たせる。
「身を挺して妹を守ろうとするその心意気は立派。しかし本当にそれで良いのかな。主役の寵愛を一身に受けて、その手で女にして貰い、幸せな時間を過ごす妹とそれを助けるために、愛されもせず泥まみれで地に伏す姉の哀れな事よ」
嘲笑混じりに翁面の男が言う言葉に、不覚にも心が惑わされてしまう。
何故私は愛されてもいないのに、こうしているのだろうかと思ってしまった。
否、それは違う。
私は妹のためだけにこうしているのではない。
彼と交わした誓いを果たすためにこうしているのだと思い出す。
燈月を失って魂までもボロボロになってしまった彼が、最後の最後に私に託した使命。
それを果たすと、私は自らの血を持って誓ったのだ。
そして思い出してしまった。
今までで唯一ゆるされた接吻の感触を。
命を失い冷たくなった彼の、しかしまだかすかに熱の残っていた唇の感触を。
(月音がいる限り、2度と触れることが出来ないあの唇の感触を、もう1度だけで良い……触れたい)
ほんの僅かな刹那、私はそう言う
次の瞬間には、猛烈な悔恨の情が襲ってきた。
大切な、愛する、自分の半身の破滅を願ってしまったその自分の心に恐怖した。
「楽になれば良い、自分の本当の気持ちをさらけ出せ。そして妹の居る場所を告げるのだ。そうすればお前の願いも叶うというのに、何故に強情を張るのだ」
耳からゆっくりと翁面の言葉が入り込んでくる。
頭にモヤがかかったように思考が曖昧になっていく。
甘い香りが、私の身体を包み込んでいくのを感じて、私の意識はゆっくりと沈んでいった。
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「中々に手間な事を……素直に契人の居場所を吐かせれば良いのでは?」
翁面の男は、隣に立っていた鬼の面を被った男に問いかけた。
「目先のことだけを考えるなら、いまここで口を割らせればすむだろうが……先のことを考えるなら、ここでこやつを堕としておくことに意味はあるのだ。のちのち役に立つこともあるのだよ。」
鬼の面の男は冷たい言葉でそう言うと、意識を失った陽奈美に近寄り、何かをブツブツと呟き始める。
言葉と共に差し出された手は、陽奈美の頭部の少しうえで手の平をかざすような姿勢で保たれている。
男はそのままの姿勢で、ずっと言葉を唱え続けていると、しばらくして陽奈美の頭部から黒いモヤのようなものが立ち上ってくる。
「……成功したようだな。こやつはもうどう扱ってもいい。逃げられぬように手足の筋でも切って、主役を引き寄せるおとりにでもすれば良い。私はもう帰るが、後は任せたぞ」
陽奈美に身体から立ち上った、黒いモヤのようなものを朱塗りの木箱に収めると、鬼面の男は立ち上がりそう言った。
その言葉に翁面達は直立不動のままで、はいとだけ答える。
その言葉に満足したのか、鬼面の男は2度ほど満足げに頷くと、ゆっくりと歩き闇の中にその姿を消した。
「……名主の家……食えぬ男よ。だが守藤には従うしかない。従わねばこの村では生きていけぬからな」
忌々しいと言わんばかりの語気で翁面の男は言うと、目の前に倒れている女をいかにして囮にするか思案を巡らし始めるのだった。