第11話 迷走
文字数 2,551文字
ようやく少し息が落ち着いてきた頃合い。
遠巻きではあるが、何人もの人が近づいてきている気配を感じて私は立ち上がる。
私の突然の動きに、何かを感じたのか月音もゆっくりとではあったが立ち上がった。
「追っ手が近づいてきているのかもしれない。少し動こう。陽奈美の事は気にかかるが、今はまず逃げ延びる事だ」
私の言葉に、小さくしかしはっきりと月音は頷いた。
まだ少し足下の覚束ない月音の手を取ると、私は陽奈美の言葉通りに西へと足を向ける。
月音の発言に不安を覚えたが、万が一にも陽奈美が動ける状況であれば、違う場所に向かってしまっては合流する事が出来ないからだ。
私は陽奈美の無事を信じていた。いや信じたいと思っていた。
「月音、あの後は何か違和感や感じるものは無いのか」
足を止める事の無いままに問いかけてみる。
「あの後は何も……姉様の気配を感じる事もありません」
その言葉に込められた不安と悲しみ、それは私も不安にさせるものであったが、いまは感傷にふけっている時でも無い。
感じる気配はいくつかあるけれど、まだどれもそれほどまでに近くは無い様子。
なんとかこのまま森を抜ければと、少しばかり気が抜けてしまっていたのかもしれない。
ほんのわずかな、それも数瞬の気の緩み。月音が短い悲鳴を上げた。
繋いでいた手がほどかれる。
私は慌てて足を止めて、後ろを振り返る。
そこには地面に倒れたまま起き上がらない月音の姿があった。
何が起きたのか解らず、私は慌てて月音の本に駆け寄る。
イヤな予感が胸をよぎり、鼓動がドンドンと早くなっていく。
月音……月音、月音。頼む無事でいてくれ。
祈るような気持ちで私は彼女の体を軽く揺らしてみる。
「う……うぅん」
小さなうめき、月音は意識を取り戻したのか、ぼんやりとした目で私を見上げると、頭を軽く2度3度振る。
「どうしたのだ、大丈夫か月音」
問いかけると、月音は小さな声で足がと答えた。
慌てて月音の足下を見ると、それは獣を狩る時に用いられる草を結んだだけの狩猟罠だった。
この闇の中で、足下に仕掛けられた罠を見落として、見事に足を取られてしまい、受け身も取らなかったため軽く脳震盪 を起こしたようだった。
命に別状が無いことを安堵した。
しかし月音は転倒した際に足を挫いてしまったようで、立ち上がることさえ困難になっていた。
急いで逃げなければならないのに、走るどころか満足にたつことさえ出来ない。
状況はますます不利になっていることを実感する。
しかし私に出来ることは、少しでもこの場から離れることしか無い。
私は月音を促して、彼女を背負うと再び走るとはお世辞にもいえないような速度で動き始める。
殆ど歩いている程度の速度でしか動けない私たちは、徐々にでは有るが追っ手から距離を詰められていた。
先ほどは聞こえていなかった追っ手の声が、かすかにでは有るが耳に届くようになる。
私たちの北側と東側から聞こえてくる声を、避けるようにしながら歩みを進めるため、必然的に私たちは当初予定していた目標地点である西の方角から逸れてしまうことになった。
知らず知らずのうちに、北側の追っ手を避けようとして無意識に進んだ結果、私たちは思いもよらない障害に鉢合わせることになった。
それは深く切り立った断崖であった。
背後から聞こえる声は、先ほどよりかなり大きなものになっている。
だが逃げだそうとしても背後には崖があり、詰まるところ私たちは完全に逃げ場を失ってしまった。
私は月音に促されて、彼女を地面に下ろす。
月音は足の痛みに細い眉根を寄せ、顔をしかめたが、しかし私に心配をかけぬようにと苦痛の声を漏らさなかった。
「主様……契者……いずこにおわすか」
「諦めなされ、諦めなされ、儀式さえ無事に執り行えれば、主様に危害は加えませぬ」
「そうじゃ、そうじゃ、大人しくして下されば、儀式の後には静かに陽奈美とお過ごしいただきます故なあ」
私たちがこれ以上逃げることが出来ないと解っているのだろう。
暗闇の向こうから、様々に私を懐柔しようと声をかけてくる。
「私は……我が身を案じているのではない。契者……月音を守りたいのだ。月音を失いたくないのだ」
精一杯の声で答える。
「異なこと、異なこと。契者はただ一夜を神木の前で過ごして、神に祈りを捧げるだけ。けしてその命まで取りませぬ」
「げにもげにも。契者は儀式の後は主様と夫婦として、末永く暮らすが良かろうて」
私と月音はその場から逃げることも出来ず、警戒を強めながらも互いに身を寄せ合い身構える。
足が痛むのだろうか、月音は私の傍らでふらつきながらも、懐から取り出した鉄扇をもち、身構えている。
その時、どさっと何か重いものが地面に投げ出される音がした。
月音の顔が瞬時に引きつる。
私も音の正体に気がつき、心が凍り付く。
そこにあったのは血まみれになった陽奈美だったので有る。
「少しばかり粗相が過ぎたので、お仕置きをいたしましたが、主様と契者には手を出しませんぞ、ご安心召されよ」
陽奈美を地面に投げ出した男だろうか、身長は並ほどだが筋肉質でやや太めの体つき。
翁面 を被っておりその表情も何者なのかも解らない。
月音はすぐにでも陽奈美の本に駆け寄りたがっているが、相手ので方が解らない以上、動くことも出来ずお互いにらみ合う形になった。
「さて……主様、われわれと来ていただけますかな。もちろん契者も一緒に。我々は祭を執り行わなければなりませんからな」
「その通りじゃ、正しく祭を行うためならば、多少は手荒なこともいたしますぞ」
そう言うと翁面の男は何のためらいもなく、地面に倒れたままの陽奈美を蹴り上げた。
ぐうっというくぐもった声を上げた者の、陽奈美は身動きをすることもなく、地面に倒れたままであった。
「姉様、姉様、姉様」
何度も月音が呼びかけるが、陽奈美は何の反応も示さない。
この場面を切り抜けるにはどうすればいいのか、どうすれば月音を助けることが出来るのか。
翁面の男と睨み合いながら考える。
しかしどう考えてもこの状況は絶望的であると認識することが出来ず。
私は心の中に暗い気持ちがこみ上げてくることを抑えきることが出来なかった。
遠巻きではあるが、何人もの人が近づいてきている気配を感じて私は立ち上がる。
私の突然の動きに、何かを感じたのか月音もゆっくりとではあったが立ち上がった。
「追っ手が近づいてきているのかもしれない。少し動こう。陽奈美の事は気にかかるが、今はまず逃げ延びる事だ」
私の言葉に、小さくしかしはっきりと月音は頷いた。
まだ少し足下の覚束ない月音の手を取ると、私は陽奈美の言葉通りに西へと足を向ける。
月音の発言に不安を覚えたが、万が一にも陽奈美が動ける状況であれば、違う場所に向かってしまっては合流する事が出来ないからだ。
私は陽奈美の無事を信じていた。いや信じたいと思っていた。
「月音、あの後は何か違和感や感じるものは無いのか」
足を止める事の無いままに問いかけてみる。
「あの後は何も……姉様の気配を感じる事もありません」
その言葉に込められた不安と悲しみ、それは私も不安にさせるものであったが、いまは感傷にふけっている時でも無い。
感じる気配はいくつかあるけれど、まだどれもそれほどまでに近くは無い様子。
なんとかこのまま森を抜ければと、少しばかり気が抜けてしまっていたのかもしれない。
ほんのわずかな、それも数瞬の気の緩み。月音が短い悲鳴を上げた。
繋いでいた手がほどかれる。
私は慌てて足を止めて、後ろを振り返る。
そこには地面に倒れたまま起き上がらない月音の姿があった。
何が起きたのか解らず、私は慌てて月音の本に駆け寄る。
イヤな予感が胸をよぎり、鼓動がドンドンと早くなっていく。
月音……月音、月音。頼む無事でいてくれ。
祈るような気持ちで私は彼女の体を軽く揺らしてみる。
「う……うぅん」
小さなうめき、月音は意識を取り戻したのか、ぼんやりとした目で私を見上げると、頭を軽く2度3度振る。
「どうしたのだ、大丈夫か月音」
問いかけると、月音は小さな声で足がと答えた。
慌てて月音の足下を見ると、それは獣を狩る時に用いられる草を結んだだけの狩猟罠だった。
この闇の中で、足下に仕掛けられた罠を見落として、見事に足を取られてしまい、受け身も取らなかったため軽く
命に別状が無いことを安堵した。
しかし月音は転倒した際に足を挫いてしまったようで、立ち上がることさえ困難になっていた。
急いで逃げなければならないのに、走るどころか満足にたつことさえ出来ない。
状況はますます不利になっていることを実感する。
しかし私に出来ることは、少しでもこの場から離れることしか無い。
私は月音を促して、彼女を背負うと再び走るとはお世辞にもいえないような速度で動き始める。
殆ど歩いている程度の速度でしか動けない私たちは、徐々にでは有るが追っ手から距離を詰められていた。
先ほどは聞こえていなかった追っ手の声が、かすかにでは有るが耳に届くようになる。
私たちの北側と東側から聞こえてくる声を、避けるようにしながら歩みを進めるため、必然的に私たちは当初予定していた目標地点である西の方角から逸れてしまうことになった。
知らず知らずのうちに、北側の追っ手を避けようとして無意識に進んだ結果、私たちは思いもよらない障害に鉢合わせることになった。
それは深く切り立った断崖であった。
背後から聞こえる声は、先ほどよりかなり大きなものになっている。
だが逃げだそうとしても背後には崖があり、詰まるところ私たちは完全に逃げ場を失ってしまった。
私は月音に促されて、彼女を地面に下ろす。
月音は足の痛みに細い眉根を寄せ、顔をしかめたが、しかし私に心配をかけぬようにと苦痛の声を漏らさなかった。
「主様……契者……いずこにおわすか」
「諦めなされ、諦めなされ、儀式さえ無事に執り行えれば、主様に危害は加えませぬ」
「そうじゃ、そうじゃ、大人しくして下されば、儀式の後には静かに陽奈美とお過ごしいただきます故なあ」
私たちがこれ以上逃げることが出来ないと解っているのだろう。
暗闇の向こうから、様々に私を懐柔しようと声をかけてくる。
「私は……我が身を案じているのではない。契者……月音を守りたいのだ。月音を失いたくないのだ」
精一杯の声で答える。
「異なこと、異なこと。契者はただ一夜を神木の前で過ごして、神に祈りを捧げるだけ。けしてその命まで取りませぬ」
「げにもげにも。契者は儀式の後は主様と夫婦として、末永く暮らすが良かろうて」
私と月音はその場から逃げることも出来ず、警戒を強めながらも互いに身を寄せ合い身構える。
足が痛むのだろうか、月音は私の傍らでふらつきながらも、懐から取り出した鉄扇をもち、身構えている。
その時、どさっと何か重いものが地面に投げ出される音がした。
月音の顔が瞬時に引きつる。
私も音の正体に気がつき、心が凍り付く。
そこにあったのは血まみれになった陽奈美だったので有る。
「少しばかり粗相が過ぎたので、お仕置きをいたしましたが、主様と契者には手を出しませんぞ、ご安心召されよ」
陽奈美を地面に投げ出した男だろうか、身長は並ほどだが筋肉質でやや太めの体つき。
月音はすぐにでも陽奈美の本に駆け寄りたがっているが、相手ので方が解らない以上、動くことも出来ずお互いにらみ合う形になった。
「さて……主様、われわれと来ていただけますかな。もちろん契者も一緒に。我々は祭を執り行わなければなりませんからな」
「その通りじゃ、正しく祭を行うためならば、多少は手荒なこともいたしますぞ」
そう言うと翁面の男は何のためらいもなく、地面に倒れたままの陽奈美を蹴り上げた。
ぐうっというくぐもった声を上げた者の、陽奈美は身動きをすることもなく、地面に倒れたままであった。
「姉様、姉様、姉様」
何度も月音が呼びかけるが、陽奈美は何の反応も示さない。
この場面を切り抜けるにはどうすればいいのか、どうすれば月音を助けることが出来るのか。
翁面の男と睨み合いながら考える。
しかしどう考えてもこの状況は絶望的であると認識することが出来ず。
私は心の中に暗い気持ちがこみ上げてくることを抑えきることが出来なかった。