第24話 新事実は符合する
文字数 2,739文字
「その。シエルってヒカリは、アスカ君にとって何なの?」
「……」
思いきって沈黙を破った響に対して、アスカは無言を続けた。
その目が伏せられて肩がわずかに揺れたのを認めると、訊くべきでなかったのかも知れないと響は思った。
そもそも任務遂行中にする話ではなかったのは確かだ。訊いて何がどう変わるということもないのだから明らかにムダ話だ。
だが、先ほどの〝神核繋ぎ〟でのことが頭をよぎったために口をついて出てきてしまったのだ。
「……あいつは。シエルは、ヤミ属界でヤミとして、俺とずっと共に在ったヒカリだ」
「え……」
「子どものころに出会い、兄弟同然に育ち、執行者になってからはバディでもあった」
ぼそりと続けられた言葉に響はさらに目をみはる。
「だが、あいつはある日突然ヤミ属三名――執行者ニネ、フィエナ、サッズを殺害して生物界に逃走。今では俺の執行対象だ」
「…………」
「行くぞ。執行期限まで時間がない」
「う、うん」
ふい、とアスカは振り返った姿勢を戻して歩みを再開する。響はそのあとに慌ててついていく。
それから十分ほど歩くと執行対象のいる✕✕病院へ辿り着くことができた。
なかなか大きな病院だ。
もちろん来訪は初めてだが、やはり執行対象がどの階のどの部屋にいるかは体感で分かっているため、妙な心地になる。
深夜なので病院の正面出入口は固くその身を閉じていた。しかし今のアスカと響は霊体だ。出入口をすり抜け容易く侵入は成功、暗く不気味な廊下を歩いていく。
相変わらずアスカは無言で歩き続け、響もまた同じようにその後へ続くだけだ。
響はアスカの背中を見つめながら、つい先刻の〝神核繋ぎ〟でのことを思い返していた。
『――どういうことだ?』
『え?』
『神核片が繋がれぬ。何度試みても結果は同じだ』
『……、』
この少し前。アスカの手の上に己の手を重ね、さらにその上へ手を重ねたエンラが何やら唱えると、呼応するかのように発生したまばゆい光が神殿内に満ち満ちた。
やがて光がエンラのもとへ戻っていくのを認めれば、再び目を開けた響は〝神核繋ぎ〟を問題なく終えられたと信じて疑わなかった。
しかし次の瞬間エンラの唇から滑り出されたのは完了の知らせではなく。
彼女は不審げに形のよい眉を寄せ、何事かと近寄ってきたリンリンへ首を横に振った。
ふたりのただならぬ様子から嘘や冗談の類でないことははっきりと分かった。とあれば頭は自然と原因究明を急ぐ。
『やっぱり僕が純粋なヤミじゃないから、ちゃんとした神核片を持っていないからじゃないですか?』
『いいや違う。どうも契約の重複が原因のようだ』
『契約の重複……?』
『そのままの意味よ。既に別の者と契約が成されておるのだ。
神核片は二重に三重に繋げるものではない。先に結ばれているものがあれば、まずはその繋がりを絶ってからでなければ新たに神核片を繋ぐことはできぬ』
『俺に、シエルとの契約が残っているということですか?』
『……、』
『否。貴様とあやつの契約はあやつ側が破棄して久しい。それは貴様とて実感できていることであろう』
『……はい』
『不可解なことだが、貴様が既に何者かと〝神核繋ぎ〟を終えているのだ――響よ』
『え?』
――よってアスカと響の〝神核繋ぎ〟は実現しなかった。
しかも響が既に誰かと〝神核繋ぎ〟の契約を結んでいるという謎の状況が明るみに出たため、結局はリンリンが早急に調査をするということになって話は終わってしまったのだ。
もちろん響が他の誰かと〝神核繋ぎ〟を行った記憶はない。
そんな契約があることはおろか、バディという概念すら今さっきようやく知ったくらいなのだ。
相手など分かるはずもないし、むしろ自分が教えてほしいくらいだった。もちろん念話だってできるわけもない。
だが正直なところ、今の響にとってそれらは二の次だった。
『俺に、シエルとの契約が残っているということですか?』
『だが、あいつはある日突然ヤミ属執行者三名を殺害して生物界に逃走……今では俺の執行対象だ』
「……」
先ほどのアスカの言葉が思い出されて響は目を伏せる。
シエル――アスカの紋翼を無残に奪った挙げ句に響の心臓、その内にある魂魄へ埋め込み〝混血の禁忌〟を犯したヒカリ属。
アスカは彼の行いで生死の境を彷徨った。執行者の資格をも失った。
響もまた生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となって生物界から存在を抹消された。
あのときに受けた苦痛は今思い出しても気分が悪くなるほどだ。だから極力思い出さないようにしていた。
だが、今はそうもいかない。
ヤミ属執行者は〝任務のために殺す〟ことを〝執行〟と呼称する。
シエルがアスカの執行対象ということはつまり、アスカはシエルを殺す任務を負っているということだ。
確かに響がただの人間でなくなったあの夜。アスカはシエルに邂逅するや否や、それまで狙っていた響ではなくシエルへと矛先を向けていた。
当時のふたりの口ぶりから、ふたりが知り合いであったことは察していた。だが実際はそれ以上の仲だった。
あのシエルがアスカにとって兄弟同然の存在で、バディでもあったなんて。
「……」
あいにく響にはシエルというヒカリ属がどんなふうにヤミ属界で過ごしていたかは想像がつかない。あの夜の、酷薄で猟奇的な面しか知らないからだ。
しかしこのアスカと共に長く過ごしたというのだ。
少なくともヤミ属執行者三名を殺し生物界へ逃走するまでは、共生できる程度には酷薄でも猟奇的でもなかったのではないか。
そうでもなければ、シエルの名を口にしたときのアスカが怒りでも憎しみでもない表情をのぞかせるはずがない。響の胸がきゅうと痛くなる。
今の響は兄弟を執行せねばならないアスカの心情、それを考えずにはいられなかった。
何故なら響は知っている。長く共に在った存在を失うことが苦しいこと。あまつさえ自分の手で殺さねばならないなど――
「……あれ」
と、そんなところで急に符合してしまうのだ。
キララが以前言っていた〝執行者としてアスカが果たしたかったこと〟。
もしやそれこそが――
「響」
「は、はい!」
不意に呼びかけられ、響は声を裏返らせながら返事をした。胡乱げな表情で振り返ったアスカはその面に相変わらず強い緊張感を張り巡らせている。
「着いたぞ」
どうやら考えに没頭しすぎていたようだ。無意識に最上階近くまで階段を登り、アスカと響はある病室の前にたどり着いていた。
執行対象の気配は病室のなかにある。響は頭を何度か横に振って顔を引き締めた。
初任務だ。集中しなくては。
「行こう」
「……うん」
アスカの呼びかけに頷くと、アスカは病室のドアへを向き直った。そうしてドアをすり抜け中へ入っていく。
「……」
思いきって沈黙を破った響に対して、アスカは無言を続けた。
その目が伏せられて肩がわずかに揺れたのを認めると、訊くべきでなかったのかも知れないと響は思った。
そもそも任務遂行中にする話ではなかったのは確かだ。訊いて何がどう変わるということもないのだから明らかにムダ話だ。
だが、先ほどの〝神核繋ぎ〟でのことが頭をよぎったために口をついて出てきてしまったのだ。
「……あいつは。シエルは、ヤミ属界でヤミとして、俺とずっと共に在ったヒカリだ」
「え……」
「子どものころに出会い、兄弟同然に育ち、執行者になってからはバディでもあった」
ぼそりと続けられた言葉に響はさらに目をみはる。
「だが、あいつはある日突然ヤミ属三名――執行者ニネ、フィエナ、サッズを殺害して生物界に逃走。今では俺の執行対象だ」
「…………」
「行くぞ。執行期限まで時間がない」
「う、うん」
ふい、とアスカは振り返った姿勢を戻して歩みを再開する。響はそのあとに慌ててついていく。
それから十分ほど歩くと執行対象のいる✕✕病院へ辿り着くことができた。
なかなか大きな病院だ。
もちろん来訪は初めてだが、やはり執行対象がどの階のどの部屋にいるかは体感で分かっているため、妙な心地になる。
深夜なので病院の正面出入口は固くその身を閉じていた。しかし今のアスカと響は霊体だ。出入口をすり抜け容易く侵入は成功、暗く不気味な廊下を歩いていく。
相変わらずアスカは無言で歩き続け、響もまた同じようにその後へ続くだけだ。
響はアスカの背中を見つめながら、つい先刻の〝神核繋ぎ〟でのことを思い返していた。
『――どういうことだ?』
『え?』
『神核片が繋がれぬ。何度試みても結果は同じだ』
『……、』
この少し前。アスカの手の上に己の手を重ね、さらにその上へ手を重ねたエンラが何やら唱えると、呼応するかのように発生したまばゆい光が神殿内に満ち満ちた。
やがて光がエンラのもとへ戻っていくのを認めれば、再び目を開けた響は〝神核繋ぎ〟を問題なく終えられたと信じて疑わなかった。
しかし次の瞬間エンラの唇から滑り出されたのは完了の知らせではなく。
彼女は不審げに形のよい眉を寄せ、何事かと近寄ってきたリンリンへ首を横に振った。
ふたりのただならぬ様子から嘘や冗談の類でないことははっきりと分かった。とあれば頭は自然と原因究明を急ぐ。
『やっぱり僕が純粋なヤミじゃないから、ちゃんとした神核片を持っていないからじゃないですか?』
『いいや違う。どうも契約の重複が原因のようだ』
『契約の重複……?』
『そのままの意味よ。既に別の者と契約が成されておるのだ。
神核片は二重に三重に繋げるものではない。先に結ばれているものがあれば、まずはその繋がりを絶ってからでなければ新たに神核片を繋ぐことはできぬ』
『俺に、シエルとの契約が残っているということですか?』
『……、』
『否。貴様とあやつの契約はあやつ側が破棄して久しい。それは貴様とて実感できていることであろう』
『……はい』
『不可解なことだが、貴様が既に何者かと〝神核繋ぎ〟を終えているのだ――響よ』
『え?』
――よってアスカと響の〝神核繋ぎ〟は実現しなかった。
しかも響が既に誰かと〝神核繋ぎ〟の契約を結んでいるという謎の状況が明るみに出たため、結局はリンリンが早急に調査をするということになって話は終わってしまったのだ。
もちろん響が他の誰かと〝神核繋ぎ〟を行った記憶はない。
そんな契約があることはおろか、バディという概念すら今さっきようやく知ったくらいなのだ。
相手など分かるはずもないし、むしろ自分が教えてほしいくらいだった。もちろん念話だってできるわけもない。
だが正直なところ、今の響にとってそれらは二の次だった。
『俺に、シエルとの契約が残っているということですか?』
『だが、あいつはある日突然ヤミ属執行者三名を殺害して生物界に逃走……今では俺の執行対象だ』
「……」
先ほどのアスカの言葉が思い出されて響は目を伏せる。
シエル――アスカの紋翼を無残に奪った挙げ句に響の心臓、その内にある魂魄へ埋め込み〝混血の禁忌〟を犯したヒカリ属。
アスカは彼の行いで生死の境を彷徨った。執行者の資格をも失った。
響もまた生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となって生物界から存在を抹消された。
あのときに受けた苦痛は今思い出しても気分が悪くなるほどだ。だから極力思い出さないようにしていた。
だが、今はそうもいかない。
ヤミ属執行者は〝任務のために殺す〟ことを〝執行〟と呼称する。
シエルがアスカの執行対象ということはつまり、アスカはシエルを殺す任務を負っているということだ。
確かに響がただの人間でなくなったあの夜。アスカはシエルに邂逅するや否や、それまで狙っていた響ではなくシエルへと矛先を向けていた。
当時のふたりの口ぶりから、ふたりが知り合いであったことは察していた。だが実際はそれ以上の仲だった。
あのシエルがアスカにとって兄弟同然の存在で、バディでもあったなんて。
「……」
あいにく響にはシエルというヒカリ属がどんなふうにヤミ属界で過ごしていたかは想像がつかない。あの夜の、酷薄で猟奇的な面しか知らないからだ。
しかしこのアスカと共に長く過ごしたというのだ。
少なくともヤミ属執行者三名を殺し生物界へ逃走するまでは、共生できる程度には酷薄でも猟奇的でもなかったのではないか。
そうでもなければ、シエルの名を口にしたときのアスカが怒りでも憎しみでもない表情をのぞかせるはずがない。響の胸がきゅうと痛くなる。
今の響は兄弟を執行せねばならないアスカの心情、それを考えずにはいられなかった。
何故なら響は知っている。長く共に在った存在を失うことが苦しいこと。あまつさえ自分の手で殺さねばならないなど――
「……あれ」
と、そんなところで急に符合してしまうのだ。
キララが以前言っていた〝執行者としてアスカが果たしたかったこと〟。
もしやそれこそが――
「響」
「は、はい!」
不意に呼びかけられ、響は声を裏返らせながら返事をした。胡乱げな表情で振り返ったアスカはその面に相変わらず強い緊張感を張り巡らせている。
「着いたぞ」
どうやら考えに没頭しすぎていたようだ。無意識に最上階近くまで階段を登り、アスカと響はある病室の前にたどり着いていた。
執行対象の気配は病室のなかにある。響は頭を何度か横に振って顔を引き締めた。
初任務だ。集中しなくては。
「行こう」
「……うん」
アスカの呼びかけに頷くと、アスカは病室のドアへを向き直った。そうしてドアをすり抜け中へ入っていく。