第8話 神託拝領
文字数 3,401文字
神域は地面に白い石畳が敷き詰められ、裁定領域との境界に数名のガーディアンが等間隔で配置されているだけの領域だ。
以前ヴァイスと共に訪れた際は、何もなかったはずの空間が炎のごとく揺らめいて漆黒の塔を形成した。
しかし今回は響、アスカ、ヴァイスを待ち受けるように神託者・アウラーエとヤーシュナ、ラブが神域の中央に立っているのみだった。
ヴァイスは神託者らの姿を認めるや否や歩速を強めてアスカや響よりも前を行った。
並々ならぬ威圧を感じ取ったか、神託者たちの傍らで足をブラブラ遊ばせていたラブは、大きく肩を揺らすとアウラーエの背後に隠れる。
「……ヴァイス様。あなた様への神託は先刻告げ終えたはずですわ」
「神域はむやみに来訪してよい場所でありませぬ」
「どうかご容赦を。今回は響とアスカ、この二名に下りた指名勅令についてご説明いただきたく参上しました」
アウラーエとヤーシュナがすぐ前までやってきたヴァイスへ静かに告げ、ヴァイスは一礼を返す。やや遅れてやってきたアスカと響はヴァイスの背後で息を呑むしかない。
「神託者殿。何故この二名に指名勅令が下りたのですか。アスカは紋翼を失い満足に戦闘行動を行えなくなった身、ヤミ属執行者として活動するには相当に難があります。
響、彼はそれ以前の問題です。ヤミ属の区分となった今も半分は生物であり、ましてや執行者としての訓練も一切受けていない。
そんな二名に指名勅令が下ることは有り得ません。何かの間違いではないのですか」
ヴァイスの言葉、さらには相当なプレッシャーを前にしても神託者たちは微動だにしない。
神域にはただ静寂が満ち続けるばかり。そんななかでまずはヤーシュナが口を開く。
「ヴァイス殿。我らは神託者――すなわちヤミ神より神託を受け、拝受した神託を執行者へ伝える者。
神託者にそれ以上の役割は与えられておりませぬ。ゆえに今回もアスカ・響の両名に与えられた神託を、神に代わりお伝えするのみにございます」
「加えて礎に徹される我らが神は、勅令すべてに理由を添えられません。となれば、あなた様の欲する答えはどこにもないでしょう」
ヤーシュナの静かな物言いのあとに優しげな口調で続けたのはアウラーエだ。
「ですがご安心くださいませ。我らが神は常に正しき道を示してくださいます。
例え紋翼を持たぬ者だとしても、半分だけのヤミ属だとしても。神が命じられるのなら、それは指名勅令を授かったふたりが歩むべき道なのです」
「……しかし、」
「響殿が〝半陰〟となったあの夜をお忘れか。指名勅令が正しく完遂されていれば、彼は〝混血の禁忌〟に遭わず、生物の循環から外れる未来などありませなんだ。それは神のお導きが正しきことの証左でありましょう」
「そしてこの事実は――あなた様も過去に身をもって知られたことと存じます。ヴァイス様」
「…………」
沈黙。一体神託者たちの言葉にどれほどの効力があったのか、ヴァイスはまるで言葉を失ってしまったかのように口をつぐんだ。
神託者ふたりは背後で事の成り行きを見ていた響とアスカに向けて声を届ける。
「さあ、アスカ様。響様。わたくしたちの前へ」
「神託を授けまする」
響は傍らのアスカを見上げる。すると同じように響を見下ろすアスカが小さく頷いてきたので、響はアスカと共にゆっくりと一歩を踏み出した。ヴァイスの隣を抜けて。
アスカが神託者の前に跪く。それを見て響も同じように膝をつけば、神託者ふたりが声をそろえた。
「アスカならびに響。二名に魂魄執行を命ず。
執行地、アメリカ合衆国、ニューヨーク、✕✕病院。
執行対象、ジョン・スミス。
執行期限、✕✕✕✕年✕✕月✕✕日――」
神託者らの手がそれぞれアスカと響の頭上にかざされる。
途端、場所や一人の白人男性の顔が克明に鮮明に脳裏へと焼きついた。先ほどの三本足のカラスも頭に直接情報が流れてきたが、今回は緻密な映像だ。
「神託は以上でございますわ」
「我らが神に一刻も早い完遂を捧げられますよう」
「が、がんばってねー」
「……御意」
「は、はいっ」
アウラーエ、ヤーシュナ、そしてヤーシュナの背後からおずおずと姿を現したラブの言葉にアスカが応じれば、響も慌てながら返事をする。
それらを後方で見つめるヴァイスは、やはり無言のままだった。
「は~緊ッ張した……」
響は肺腑の奥から安息の吐息をつきつつ夜空を仰いだ。
ロイドによる大胆な跳躍移動からの裁定領域、エンラの提案にヴァイスの鬼のごとき説得。
さらには神域に移動して初めての指名勅令――すべてが何がなんだか分からず、動揺と混乱と緊張に見舞われっぱなしだった。疲労がすごい。解放感もヒトシオだ。
現在、響はアスカと共に職務地帯を歩いている。
神託者らより指名勅令を授かったあとは何となく裁定神殿へ戻ったが、エンラに「あ、もう帰ってよいぞ」と適当な様子であしらわれたために帰路につく運びとなったのだ。
「ほんと次から次へとすごかったよね。執行者になるとか指名勅令? とか」
「……そうだな」
響が夜空を見上げながらそう続けると、傍らのアスカは静かに頷いてきた。
「ていうか僕たちってこれからどうしたらいいのかな。紋翼もこのままでいいの? それともこれから使えなくする? ヴァイスさん、いつの間にか居なくなっちゃってたけど……」
ヤミ属界統主のエンラへ果敢に不遜に物申していたヴァイスは、響とアスカが神域で指名勅令を授かり終え、振り返ったころには既に姿を消していた。
エンラに抗議をしに戻ったのかと裁定神殿へ戻っても、そこには滞っていた魂魄の裁定に勤しむエンラとリンリンがいるばかり。ヴァイスの気配は皆無だった。
「指名勅令が下りた以上、俺たちが任務を行うことはほぼ確定だ。指名勅令とは神が任務に最適な執行者を直々に指名するもの……そしてそれが俺たちに下ったということは、ヤミ神が俺たちを執行者として認めたということでもある。
ヤミ神にまで認められたとあれば、ヴァイス先輩も執行行為に必要不可欠な紋翼を封じるわけにはいかないはずだ」
アスカの言葉に響は眉を持ち上げる。
「へぇ~。エンラ様にもあんな感じだったヴァイスさんが引き下がるくらい、指名勅令っていうのは強いんだ?」
「原則的には絶対だ。ヤミ神は俺たちヤミ属の最高司令官だからな」
「そっか。……ヴァイスさん、やっぱりまだ怒ってるよね。これからずっと口きいてもらえなくなったりするかな……」
「……」
「ま、また黙らないでよ」
「口をきいてくれなくなるとか、そんなことにはならない。多分」
「多分」
「ああ。正直ヴァイス先輩があんなふうになっているのを見たのは初めてで断定はできないが、そもそもお前に対しては一度も怒っていなかったしな」
「……うん、確かにそうだ。怖かったけど、ヴァイスさんは僕が危険な目に遭わないようにって思ってたのは分かるよ。本当に怖かったけど」
「ああ……」
それはそれは実感のこもった相づちに響は思わず吹き出してしまう。
胡乱げに見下ろされたのでどうにか笑いを収めようとするのだが、緊張から解き放たれたこともあってか、笑みはずっと響の顔に満ちたままになっている。
しかしそれが良かったのかも知れない。笑みにつられて心までもが上向きになってきた。まったく単純だ。
響はひとつ頷く。
「ヴァイスさんには良くないことだろうけど、でも、自分がやりたいって思えたことを諦めなくてよくなったのは嬉しいな」
「そうか」
「アスカ君はどう? もしかして困ってたりする?」
「……俺は、これまで以上に鍛えなければならないと思っている。ヴァイス先輩にはっきり弱いと言われて、言い返せなかった俺の代わりにお前がタンカを切って……だから、強くなる。お前の言葉が嘘にならないように」
その言葉に響の唇には自然と笑みが浮かぶ。
「じゃあ僕も一緒に鍛えていい? 僕だって嘘にしたくないし、アスカ君に負担をかけたいわけじゃないからさ」
「負担だとかそういうことをお前が考える必要はないが……そうだな。念のためお前も身を守る術は持っていた方がいいと思う」
「ん。頑張っていこう!」
響の言葉にアスカが頷く。
彼の面にはヴァイスに言い負かされたときに浮かんでいた自噴と自責が今も残っていた。
だが、それでも彼は立ち止まっていない。響と共に前へと進んでいる。ゆっくりと、でも確実に。
以前ヴァイスと共に訪れた際は、何もなかったはずの空間が炎のごとく揺らめいて漆黒の塔を形成した。
しかし今回は響、アスカ、ヴァイスを待ち受けるように神託者・アウラーエとヤーシュナ、ラブが神域の中央に立っているのみだった。
ヴァイスは神託者らの姿を認めるや否や歩速を強めてアスカや響よりも前を行った。
並々ならぬ威圧を感じ取ったか、神託者たちの傍らで足をブラブラ遊ばせていたラブは、大きく肩を揺らすとアウラーエの背後に隠れる。
「……ヴァイス様。あなた様への神託は先刻告げ終えたはずですわ」
「神域はむやみに来訪してよい場所でありませぬ」
「どうかご容赦を。今回は響とアスカ、この二名に下りた指名勅令についてご説明いただきたく参上しました」
アウラーエとヤーシュナがすぐ前までやってきたヴァイスへ静かに告げ、ヴァイスは一礼を返す。やや遅れてやってきたアスカと響はヴァイスの背後で息を呑むしかない。
「神託者殿。何故この二名に指名勅令が下りたのですか。アスカは紋翼を失い満足に戦闘行動を行えなくなった身、ヤミ属執行者として活動するには相当に難があります。
響、彼はそれ以前の問題です。ヤミ属の区分となった今も半分は生物であり、ましてや執行者としての訓練も一切受けていない。
そんな二名に指名勅令が下ることは有り得ません。何かの間違いではないのですか」
ヴァイスの言葉、さらには相当なプレッシャーを前にしても神託者たちは微動だにしない。
神域にはただ静寂が満ち続けるばかり。そんななかでまずはヤーシュナが口を開く。
「ヴァイス殿。我らは神託者――すなわちヤミ神より神託を受け、拝受した神託を執行者へ伝える者。
神託者にそれ以上の役割は与えられておりませぬ。ゆえに今回もアスカ・響の両名に与えられた神託を、神に代わりお伝えするのみにございます」
「加えて礎に徹される我らが神は、勅令すべてに理由を添えられません。となれば、あなた様の欲する答えはどこにもないでしょう」
ヤーシュナの静かな物言いのあとに優しげな口調で続けたのはアウラーエだ。
「ですがご安心くださいませ。我らが神は常に正しき道を示してくださいます。
例え紋翼を持たぬ者だとしても、半分だけのヤミ属だとしても。神が命じられるのなら、それは指名勅令を授かったふたりが歩むべき道なのです」
「……しかし、」
「響殿が〝半陰〟となったあの夜をお忘れか。指名勅令が正しく完遂されていれば、彼は〝混血の禁忌〟に遭わず、生物の循環から外れる未来などありませなんだ。それは神のお導きが正しきことの証左でありましょう」
「そしてこの事実は――あなた様も過去に身をもって知られたことと存じます。ヴァイス様」
「…………」
沈黙。一体神託者たちの言葉にどれほどの効力があったのか、ヴァイスはまるで言葉を失ってしまったかのように口をつぐんだ。
神託者ふたりは背後で事の成り行きを見ていた響とアスカに向けて声を届ける。
「さあ、アスカ様。響様。わたくしたちの前へ」
「神託を授けまする」
響は傍らのアスカを見上げる。すると同じように響を見下ろすアスカが小さく頷いてきたので、響はアスカと共にゆっくりと一歩を踏み出した。ヴァイスの隣を抜けて。
アスカが神託者の前に跪く。それを見て響も同じように膝をつけば、神託者ふたりが声をそろえた。
「アスカならびに響。二名に魂魄執行を命ず。
執行地、アメリカ合衆国、ニューヨーク、✕✕病院。
執行対象、ジョン・スミス。
執行期限、✕✕✕✕年✕✕月✕✕日――」
神託者らの手がそれぞれアスカと響の頭上にかざされる。
途端、場所や一人の白人男性の顔が克明に鮮明に脳裏へと焼きついた。先ほどの三本足のカラスも頭に直接情報が流れてきたが、今回は緻密な映像だ。
「神託は以上でございますわ」
「我らが神に一刻も早い完遂を捧げられますよう」
「が、がんばってねー」
「……御意」
「は、はいっ」
アウラーエ、ヤーシュナ、そしてヤーシュナの背後からおずおずと姿を現したラブの言葉にアスカが応じれば、響も慌てながら返事をする。
それらを後方で見つめるヴァイスは、やはり無言のままだった。
「は~緊ッ張した……」
響は肺腑の奥から安息の吐息をつきつつ夜空を仰いだ。
ロイドによる大胆な跳躍移動からの裁定領域、エンラの提案にヴァイスの鬼のごとき説得。
さらには神域に移動して初めての指名勅令――すべてが何がなんだか分からず、動揺と混乱と緊張に見舞われっぱなしだった。疲労がすごい。解放感もヒトシオだ。
現在、響はアスカと共に職務地帯を歩いている。
神託者らより指名勅令を授かったあとは何となく裁定神殿へ戻ったが、エンラに「あ、もう帰ってよいぞ」と適当な様子であしらわれたために帰路につく運びとなったのだ。
「ほんと次から次へとすごかったよね。執行者になるとか指名勅令? とか」
「……そうだな」
響が夜空を見上げながらそう続けると、傍らのアスカは静かに頷いてきた。
「ていうか僕たちってこれからどうしたらいいのかな。紋翼もこのままでいいの? それともこれから使えなくする? ヴァイスさん、いつの間にか居なくなっちゃってたけど……」
ヤミ属界統主のエンラへ果敢に不遜に物申していたヴァイスは、響とアスカが神域で指名勅令を授かり終え、振り返ったころには既に姿を消していた。
エンラに抗議をしに戻ったのかと裁定神殿へ戻っても、そこには滞っていた魂魄の裁定に勤しむエンラとリンリンがいるばかり。ヴァイスの気配は皆無だった。
「指名勅令が下りた以上、俺たちが任務を行うことはほぼ確定だ。指名勅令とは神が任務に最適な執行者を直々に指名するもの……そしてそれが俺たちに下ったということは、ヤミ神が俺たちを執行者として認めたということでもある。
ヤミ神にまで認められたとあれば、ヴァイス先輩も執行行為に必要不可欠な紋翼を封じるわけにはいかないはずだ」
アスカの言葉に響は眉を持ち上げる。
「へぇ~。エンラ様にもあんな感じだったヴァイスさんが引き下がるくらい、指名勅令っていうのは強いんだ?」
「原則的には絶対だ。ヤミ神は俺たちヤミ属の最高司令官だからな」
「そっか。……ヴァイスさん、やっぱりまだ怒ってるよね。これからずっと口きいてもらえなくなったりするかな……」
「……」
「ま、また黙らないでよ」
「口をきいてくれなくなるとか、そんなことにはならない。多分」
「多分」
「ああ。正直ヴァイス先輩があんなふうになっているのを見たのは初めてで断定はできないが、そもそもお前に対しては一度も怒っていなかったしな」
「……うん、確かにそうだ。怖かったけど、ヴァイスさんは僕が危険な目に遭わないようにって思ってたのは分かるよ。本当に怖かったけど」
「ああ……」
それはそれは実感のこもった相づちに響は思わず吹き出してしまう。
胡乱げに見下ろされたのでどうにか笑いを収めようとするのだが、緊張から解き放たれたこともあってか、笑みはずっと響の顔に満ちたままになっている。
しかしそれが良かったのかも知れない。笑みにつられて心までもが上向きになってきた。まったく単純だ。
響はひとつ頷く。
「ヴァイスさんには良くないことだろうけど、でも、自分がやりたいって思えたことを諦めなくてよくなったのは嬉しいな」
「そうか」
「アスカ君はどう? もしかして困ってたりする?」
「……俺は、これまで以上に鍛えなければならないと思っている。ヴァイス先輩にはっきり弱いと言われて、言い返せなかった俺の代わりにお前がタンカを切って……だから、強くなる。お前の言葉が嘘にならないように」
その言葉に響の唇には自然と笑みが浮かぶ。
「じゃあ僕も一緒に鍛えていい? 僕だって嘘にしたくないし、アスカ君に負担をかけたいわけじゃないからさ」
「負担だとかそういうことをお前が考える必要はないが……そうだな。念のためお前も身を守る術は持っていた方がいいと思う」
「ん。頑張っていこう!」
響の言葉にアスカが頷く。
彼の面にはヴァイスに言い負かされたときに浮かんでいた自噴と自責が今も残っていた。
だが、それでも彼は立ち止まっていない。響と共に前へと進んでいる。ゆっくりと、でも確実に。