第12話 春薫る~特訓1日目~
文字数 3,213文字
「いえ。俺の判断不足です。響は悪くありません」
「なんで!?」
しかし他でもないアスカが否定してくるので響は大声でツッコミを入れてしまった。
「使い方を間違えれば危険なものだと伝えておくべきだった。あいつらが紋翼を見たがっていたことも知っていたのに、想定できていなかったのも俺の責任だ」
「いやいやいや、だからアスカ君は色々重く受け止めすぎ! 何でも背負いこむの止めた方がいいよ、そこまでいくとネガティブの域だよ!」
「今後は常に精神を研ぎ澄まして気をつけます」
「そうやって今後に活かそうとするのはポジティブだけどね!? 重すぎるよ、別にあのときもアスカ君が助けてくれたんだからそれでいいじゃん!」
至極マジメな顔でヴァイスに言うアスカに、響はまくしたてるようにツッコミを入れ続けるしかない。
最近判明したことだがアスカは真面目が過ぎる。モノやコトに対して真摯に向き合いすぎて、見ている響が心配になってくるほどだ。
そのうえ性格が不器用なようで誤解を招きやすく、響が彼の言を訊き返してようやく彼の言葉の真意に気づけた、なんてことも既に何回かあった。今回だって自分の落ち度まで抱え込まれたようで居心地が悪い。
「ふふふ。いつの間にかそんなに打ち解けていたんだなぁ」
そんなところでヴァイスが微笑ましそうに笑い声を上げてくる。
「どうにかなるだろうと思って同居させてみたが、心配がないわけじゃなかったからね。ふたりが仲良くなってくれて嬉しいよ」
しみじみと続けられて、響は妙にこそばゆい気持ちになる。ツッコミは中断だ。
『ていうかそんな適当なサジ加減で同居を決められたんだ……』と思っていると、ヴァイスは気を取り直したようにアスカへ新しい筋トレメニューを課し、アスカの顔を再び引き締めさせた。
響に向き直れば特訓は再開、次はいよいよ紋翼の実際的な使い方を教えてくれるようだ。
――苦境はまだまだ続く。
* * *
「よし、今日はこれくらいにしておこうか」
心の準備もないままに始まった特訓一日目は、ヴァイスの一声でようやく終わりを迎えた。
あれから紋翼のスムーズな展開方法、飛び方、階層移動を徹底的に叩き込まれた。自力で立ち上がれないほど心身ともに疲弊したのは初めてだ。
アスカも筋トレに次ぐ筋トレで地面に座り込み肩で息をしながら俯いている。
彼が本日こなしたメニューの最後はもうイリュージョンと表現しても差し支えないレベルだった。
それを完遂してしまうアスカもアスカだが、彼も響と同じように立ち上がる気力すら残っていないようだ。座り込んだまま動かない。
ヴァイスだけが「はっはっはっ」と笑い声を上げてそんなふたりを見下ろしている。なかなか異様な光景だ。
それから十分ほど休み、どうにか立ち上がれるようになると行きつけのアビー食堂へ向かった。
食堂に充満する美味しそうな匂いで急激に空腹を自覚したので特大カレーライスをオーダーし、いつも響と同じものを頼むアスカも右にならった。
やたら重い腕を操作してスプーンにこんもり乗せたカレーライスを一口頬張ると、虚ろな目に光が戻ってくるのが響自身にも分かった。
というか最高に美味い。あくまで家庭的なカレーだがそれがいい。
ごろごろ入った肉と野菜、スパイスの香りと辛み。隠し味はニンニクとリンゴだろうか、コクと甘酸っぱさが味に深みを与えている。
そんなカレーを大量の炊きたて白米とともにむさぼり尽くす。疲弊しきった心身にはもはや麻薬の域だ。
アスカも失った存在養分を身体が欲しているのか、珍しくいつもより食べる速度が速かった。
ちなみに響とアスカが向かい合って食事に没頭するその傍らで、ヴァイスは注文したスープを悠々と前にしていた。
カレーを夢中で食しつつ「今日こそは素顔を見てやるぞ」と意気込んでいたのだが、前回と同様に食事の席でもフルフェイスマスクが外されることはなかった。
そして何がどうなってそうなったのかは分からないが、目を離した一瞬で皿にたっぷりとあったスープは完食されていた。謎は深まるばかりだ。
食事を終えればようやく帰路につける。
まさかこの後も実は特訓が続くのではないかと内心怯えていたので「明日もきついからゆっくり休むんだよ」という言葉が出た瞬間に安堵した。そのあとで震えたが。明日が怖い。
「これからは共同生活にも意義を見出すといい。互いをよく知ることは任務でも大いに役立つからね。
相手のテンポ、クセ、そういうものを注意深く観察して取り込んでいく。自分のもののように感じられたら完璧だ。ではね」
「今日はありがとうございました」
「は、はい。ありがとうございました!」
自宅の玄関ドア前。
世間話の調子でさらに鍛錬を課しつつ去っていくヴァイスにアスカと響は頭を下げて見送る。
ヴァイスはこれから自分に下りている指名勅令任務をいくつかこなすらしい。本当に多忙だ。そんななかでわざわざ自分たちの特訓を申し出てくれたのは非常にありがたい。
――だが。
「ごめん。もう、休むね……」
「ああ……先にシャワー使ってくれ」
「ううん……僕は明日でいいや……」
とにかく今は休みたい。食事でいくらか回復したが、それでも緊張の糸がふつりと途切れれば疲労感は荒波のごとく襲ってきた。
アスカも本当に疲れたようで、帰宅すれば重い足取りでバスルームへ入っていく。バタン。
「はー…………」
自室へ入り、ボフッとベッドにダイブする響。スプリングの軋む音やブランケットの肌触りが心地よくて深い吐息をついた。
数時間前、まだヴァイスによる特訓が始まるなど夢にも思わなかったころが、今の響にははるか前のことのように思えた。そのくらい濃厚な時間だった。
切実に今すぐ眠りたいところだが、それでも毎日の習慣は響に〝窓〟を展開させ、今にも閉じそうな目は家族だった人々が幸せに生きる様子を確認しようとする。
日本は現在朝のようだ。祖父はリビングルームで新聞を読み、祖母はおたまを持ちながら階上に向かって何やら声を上げている。変わりのない、平凡な日常。
「……あ、」
しかしそれから間を置かず二階から下りてきた乃絵莉は見慣れない格好をしていた。寝巻でも部屋着でも中学校の制服でもない。
そう。彼女が嬉しそうに祖父母へ見せびらかす装いは――
「そっか、高校生になったんだね。乃絵莉」
響は自然と浮かんでくる笑みを止められない。ヤミ属界には季節感がないので分からなかったが、日本はどうやら四月を迎えたらしい。
途端、脳裏に広がるのは自分がまだ普通の人間だったころに迎えた春の情景。
まだ少し肌寒い風にそよぐ桜、どこからともなく香る草の香り、街に溢れるパステルカラー、軽やかに空を行く鳥に地を這い始める虫。ついで乃絵莉が進学先を迷っていたころの記憶。
響は決して余裕があるわけではない家のために最寄りの高校を選んだのだが、乃絵莉もそうすべきか悩んでいたのだ。
しかし本当はとても行きたい高校があったこと。
それを察した響が「お金の心配はしなくていいから勉強頑張りな」と背中を押してやると、少しだけ迷ったあとで大きく頷いたこと。
それから一生懸命勉強を頑張って無事に念願の高校に受かったこと――
妹だった乃絵莉の喜びをすぐ近くで分かち合えない事実は残念ではあったものの、それでも響の心は水を得た花のように生気を取り戻す。少しだけ挫けそうになっていたが、自分も頑張ろうと思い直せた。
何故なら響はヤミ属執行者になりたい。生物の死を守る手伝いをして、少しでも生物と――家族だった人たちと繋がっていたいのだから。
しかしそう決意を新たにしたところで響の身体は突如限界を迎える。まぶたは急激にシャットダウンだ。
「…………あしたも、がんばる、ぞ…………」
その言葉を最後に響は眠気に抗えなくなる。意識はまるで細い糸のよう。プツリとあっけなく途切れたのだった。
「なんで!?」
しかし他でもないアスカが否定してくるので響は大声でツッコミを入れてしまった。
「使い方を間違えれば危険なものだと伝えておくべきだった。あいつらが紋翼を見たがっていたことも知っていたのに、想定できていなかったのも俺の責任だ」
「いやいやいや、だからアスカ君は色々重く受け止めすぎ! 何でも背負いこむの止めた方がいいよ、そこまでいくとネガティブの域だよ!」
「今後は常に精神を研ぎ澄まして気をつけます」
「そうやって今後に活かそうとするのはポジティブだけどね!? 重すぎるよ、別にあのときもアスカ君が助けてくれたんだからそれでいいじゃん!」
至極マジメな顔でヴァイスに言うアスカに、響はまくしたてるようにツッコミを入れ続けるしかない。
最近判明したことだがアスカは真面目が過ぎる。モノやコトに対して真摯に向き合いすぎて、見ている響が心配になってくるほどだ。
そのうえ性格が不器用なようで誤解を招きやすく、響が彼の言を訊き返してようやく彼の言葉の真意に気づけた、なんてことも既に何回かあった。今回だって自分の落ち度まで抱え込まれたようで居心地が悪い。
「ふふふ。いつの間にかそんなに打ち解けていたんだなぁ」
そんなところでヴァイスが微笑ましそうに笑い声を上げてくる。
「どうにかなるだろうと思って同居させてみたが、心配がないわけじゃなかったからね。ふたりが仲良くなってくれて嬉しいよ」
しみじみと続けられて、響は妙にこそばゆい気持ちになる。ツッコミは中断だ。
『ていうかそんな適当なサジ加減で同居を決められたんだ……』と思っていると、ヴァイスは気を取り直したようにアスカへ新しい筋トレメニューを課し、アスカの顔を再び引き締めさせた。
響に向き直れば特訓は再開、次はいよいよ紋翼の実際的な使い方を教えてくれるようだ。
――苦境はまだまだ続く。
* * *
「よし、今日はこれくらいにしておこうか」
心の準備もないままに始まった特訓一日目は、ヴァイスの一声でようやく終わりを迎えた。
あれから紋翼のスムーズな展開方法、飛び方、階層移動を徹底的に叩き込まれた。自力で立ち上がれないほど心身ともに疲弊したのは初めてだ。
アスカも筋トレに次ぐ筋トレで地面に座り込み肩で息をしながら俯いている。
彼が本日こなしたメニューの最後はもうイリュージョンと表現しても差し支えないレベルだった。
それを完遂してしまうアスカもアスカだが、彼も響と同じように立ち上がる気力すら残っていないようだ。座り込んだまま動かない。
ヴァイスだけが「はっはっはっ」と笑い声を上げてそんなふたりを見下ろしている。なかなか異様な光景だ。
それから十分ほど休み、どうにか立ち上がれるようになると行きつけのアビー食堂へ向かった。
食堂に充満する美味しそうな匂いで急激に空腹を自覚したので特大カレーライスをオーダーし、いつも響と同じものを頼むアスカも右にならった。
やたら重い腕を操作してスプーンにこんもり乗せたカレーライスを一口頬張ると、虚ろな目に光が戻ってくるのが響自身にも分かった。
というか最高に美味い。あくまで家庭的なカレーだがそれがいい。
ごろごろ入った肉と野菜、スパイスの香りと辛み。隠し味はニンニクとリンゴだろうか、コクと甘酸っぱさが味に深みを与えている。
そんなカレーを大量の炊きたて白米とともにむさぼり尽くす。疲弊しきった心身にはもはや麻薬の域だ。
アスカも失った存在養分を身体が欲しているのか、珍しくいつもより食べる速度が速かった。
ちなみに響とアスカが向かい合って食事に没頭するその傍らで、ヴァイスは注文したスープを悠々と前にしていた。
カレーを夢中で食しつつ「今日こそは素顔を見てやるぞ」と意気込んでいたのだが、前回と同様に食事の席でもフルフェイスマスクが外されることはなかった。
そして何がどうなってそうなったのかは分からないが、目を離した一瞬で皿にたっぷりとあったスープは完食されていた。謎は深まるばかりだ。
食事を終えればようやく帰路につける。
まさかこの後も実は特訓が続くのではないかと内心怯えていたので「明日もきついからゆっくり休むんだよ」という言葉が出た瞬間に安堵した。そのあとで震えたが。明日が怖い。
「これからは共同生活にも意義を見出すといい。互いをよく知ることは任務でも大いに役立つからね。
相手のテンポ、クセ、そういうものを注意深く観察して取り込んでいく。自分のもののように感じられたら完璧だ。ではね」
「今日はありがとうございました」
「は、はい。ありがとうございました!」
自宅の玄関ドア前。
世間話の調子でさらに鍛錬を課しつつ去っていくヴァイスにアスカと響は頭を下げて見送る。
ヴァイスはこれから自分に下りている指名勅令任務をいくつかこなすらしい。本当に多忙だ。そんななかでわざわざ自分たちの特訓を申し出てくれたのは非常にありがたい。
――だが。
「ごめん。もう、休むね……」
「ああ……先にシャワー使ってくれ」
「ううん……僕は明日でいいや……」
とにかく今は休みたい。食事でいくらか回復したが、それでも緊張の糸がふつりと途切れれば疲労感は荒波のごとく襲ってきた。
アスカも本当に疲れたようで、帰宅すれば重い足取りでバスルームへ入っていく。バタン。
「はー…………」
自室へ入り、ボフッとベッドにダイブする響。スプリングの軋む音やブランケットの肌触りが心地よくて深い吐息をついた。
数時間前、まだヴァイスによる特訓が始まるなど夢にも思わなかったころが、今の響にははるか前のことのように思えた。そのくらい濃厚な時間だった。
切実に今すぐ眠りたいところだが、それでも毎日の習慣は響に〝窓〟を展開させ、今にも閉じそうな目は家族だった人々が幸せに生きる様子を確認しようとする。
日本は現在朝のようだ。祖父はリビングルームで新聞を読み、祖母はおたまを持ちながら階上に向かって何やら声を上げている。変わりのない、平凡な日常。
「……あ、」
しかしそれから間を置かず二階から下りてきた乃絵莉は見慣れない格好をしていた。寝巻でも部屋着でも中学校の制服でもない。
そう。彼女が嬉しそうに祖父母へ見せびらかす装いは――
「そっか、高校生になったんだね。乃絵莉」
響は自然と浮かんでくる笑みを止められない。ヤミ属界には季節感がないので分からなかったが、日本はどうやら四月を迎えたらしい。
途端、脳裏に広がるのは自分がまだ普通の人間だったころに迎えた春の情景。
まだ少し肌寒い風にそよぐ桜、どこからともなく香る草の香り、街に溢れるパステルカラー、軽やかに空を行く鳥に地を這い始める虫。ついで乃絵莉が進学先を迷っていたころの記憶。
響は決して余裕があるわけではない家のために最寄りの高校を選んだのだが、乃絵莉もそうすべきか悩んでいたのだ。
しかし本当はとても行きたい高校があったこと。
それを察した響が「お金の心配はしなくていいから勉強頑張りな」と背中を押してやると、少しだけ迷ったあとで大きく頷いたこと。
それから一生懸命勉強を頑張って無事に念願の高校に受かったこと――
妹だった乃絵莉の喜びをすぐ近くで分かち合えない事実は残念ではあったものの、それでも響の心は水を得た花のように生気を取り戻す。少しだけ挫けそうになっていたが、自分も頑張ろうと思い直せた。
何故なら響はヤミ属執行者になりたい。生物の死を守る手伝いをして、少しでも生物と――家族だった人たちと繋がっていたいのだから。
しかしそう決意を新たにしたところで響の身体は突如限界を迎える。まぶたは急激にシャットダウンだ。
「…………あしたも、がんばる、ぞ…………」
その言葉を最後に響は眠気に抗えなくなる。意識はまるで細い糸のよう。プツリとあっけなく途切れたのだった。