第72話 幸せのパンケーキ

文字数 2,645文字

 翌日、私が会社に行くと、騒ついていた。中崎さんと一緒に出社しただけではなかった。むしろそのことはスルーされていて、私の机が荒らされていた。みんなが私の方を向く。
「あ…おはようございます」ととりあえず挨拶をしてみた。
「小森さん、昨日定時で帰ってるみたいだけど…。片付けて帰ってるわよね?」と主任に聞かれた。
「はい」
「誰がやったのか…今は防犯カメラもついてるのに」と課長がため息をつく。
 私は片付けようとしたけれど「今日は帰ってもいいよ」と言われる。
「え…でも、来週お休みいただいてるので…大丈夫です」
「え? ほんと?」と課長は驚いた。
 こんなことをされてショックで仕事ができないのでは、と配慮してくれたみたいだけれど、来週休む分、しっかり働きたかったし、これをした人はすぐにバレて居心地が悪くなるだろう、と思う。
「はい。片付けますね」と私は机の前に行く。
 ばら撒かれるだけでなく、なんかベタベタするジュースをかけられている。パソコン使えるかな、と思って、私はため息をついた。会社にある除菌ティシュで汚れを拭いていく。
 電話が鳴って「えー」と言う声が上がる。

 村岡さんが駅で階段を踏み外して、救急車に乗っていると言うことだった。私は昨日の生き霊は村岡さんだったのかな、と考えた。中崎さんも片付けようかと声をかけてくれたが、それぞれ仕事があるので、断った。大体片付いたところ、私はまた部長に呼ばれた。
「ごめんな…」
「え? 部長の仕業ですか?」と私は冗談を言う。
「まぁ、犯人は分かったんだけど…。重役の娘で…。でも流石に何のお咎めもなしでって言うわけにはいかないし、君の代わりに出向させようと話も出て…」
「そんな…。私は出向するつもりで…」
「出向先もそんなやついらんと言うし…、困ったな。犯人…聞きたい?」
「いえ…。別に…」と言って、私はこの権利を使って、聞きたいことを聞いてみた。
「岡本桃さんって部長はご存知ですか?」と言うと、眉が少し動いた。
「うん? どうして彼女のこと知ってる?」
 確かに私が知ってるのはおかしい。小芝居をすることにした。
「彼女も女子社員からいじめられて会社に来れなくなったって話を聞いたんです」
 部長は黙って聞いている。
「彼女が亡くなったと聞いて…」
「…それは病気だと聞いてるが」
「私も病気になったら、どうしますか?」
「え?」
「ってちょっと考えたんです。いじめた人はどうしてるのかなぁって」と私は部長に聞いた。
「…それは」
「出向なんて、緩くないですか? どんな理由があれ、会社の機材にダメージを与えてるんですよ? パソコン、使えるようだから大丈夫ですけど。でもそんなことして、出向で許されるんですか? だからこんなこと続くんじゃないですか? 岡本桃さんだって、鬱じゃなければ、もしかしたら早目に病院に行けたかもしれませんよね?」
 どうせ出向になるのだから、と思い切り言いたいことを言う。
「それは…」
「私が去っても、違う人がターゲットになるかもしれないじゃないですか?」
 黙っている部長にもう一言浴びせようと思ったが、やめた。部長ではどうにもならない話なのかもしれない。
「君が…出向になったのも理不尽な理由だと分かってる。それに…今回のことも」
「私が抜けた後、派遣で来られている私の隣に座ってる方、仕事できますから…」と私は美人人妻を推しておいた。
 あんなことをしたけれど、仕事はできる人だった。
「私は出向に行きます。処罰は私が決めることではないです」と言って、頭を下げて部屋をでる。
 部長だって、思うことがあるだろうが、上の人になればなるほど、立場がある。私は今更、怒りが込み上げてくる。こんなことをした人に対してもそうだが、それを甘やかしている存在にも腹が立つ。
 こんな会社だったら、出向も辞めて、アルバイトした方がいいかもしれない、と思った。
「転職…もあり」と呟いて、机に座る。

 十時に美人人妻が来る。一時間経っているので、もう誰も表立って騒ついていない。ただ影で犯人探しをしているかもしれないな、と思いながら仕事を始めた。そんな訳で今日は午前中、給湯室に行けなかったので昼にお菓子を持って行こうと思った。
 私は色々疲れて、一人で外に出た。
「はぁ…」とため息をついた。

 もうすぐ寒くなるなぁ、と思いながら、私は部長に言ったことを後悔した。正しいことは言ったけれど、改善されるのかは分からないし、ただ困らせただけかもしれない。もやもやするので、今日はお昼にパンケーキを食べることにした。甘いものを食べて、気分を変えようと思う。パンケーキを注文して座っていると、中崎さんからメッセージが来た。
「どこでご飯してるの? よかったら一緒に食べない?」
「あ、もうパンケーキ屋さんに入ってしまいました」とごめんなさいの絵文字もつけて送る。
 作るのに時間がかかるから、今来ても、ランチの時間は終わってしまう。私はフルーツとクリームたっぷりのパンケーキを眺めながら、食べた。すると中崎さんが店に入ってくる。
「あれ? メッセージ…」と思って携帯を見ると、しっかり既読になっている。
「大丈夫?」と席に着くなり、コーヒーだけ注文した。
「中崎さん…お昼は?」
「コンビニでいいから…。十子ちゃんのこと心配で」
「大丈夫です。ちょっと、部長に文句言っちゃったので、反省してたところです」
「文句?」
「はい。まぁ、どうしようもないことですけどね」と私はため息をついた。
「晩御飯、焼き鳥行く?」
「えー。嬉しいです」と私はパンケーキを食べながら、塩気が欲しくなっていたので、喜んだ。
 コーヒーが運ばれてきたけれど、何だか一人だけ食べるのが居心地悪くて、「食べますか?」と一切れ切って渡そうとしたら、中崎さんが目を閉じて、口を開けた。そのまま口の中に入れる。もぐもぐ食べてくれる。
「十子ちゃん、あーんって言ってくれないの?」
「え? 言った方がいいですか?」
「うん。食べやすくなる」
「分かりました。じゃあ、あーん」と言って、私は口に入れた。
 私も自分で食べたけど、半分こになった。だからか、中崎さんが払ってくれる。
「コンビニ寄っていいですか?」
「半分になっちゃったしね」と中崎さんが笑うので、私も笑った。
 ちょっと凹んでいた機嫌が元に戻る。
「中崎さん、ありがとうございます」と私が言うと「どうして?」と笑いながら聞いてくる。
「一緒にいたら、幸せな気持ちになるから」
「そっか。僕も」
 そうだといいな、と私は思った。
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