第12話

文字数 1,000文字

 緊張の糸がぷつりと切れた気がして、大きく息を吐きそうになる。すると、聞く者の耳を惹きつける美しい声が届いた。

「まったく殿は。あのようにきつく睨んでは、おなごは怯えるばかりだというに」

 くすくすと口元を袖で隠しながら笑うのは、正室の帰蝶だ。美濃の斎藤氏より嫁いで十年の月日が経つが、信長との間に子がいないせいか若々しく、咲き誇る牡丹のような美貌を誇っている。まだ十三歳のお市は、例えるならば可憐な白百合の蕾か。義姉妹の趣の異なる美しさに心を奪われかけるも、於小夜は己の役目を何とか思い出す。

(しかし、何と見目麗しいお二人か)

 うっとりと美女たちを視界に入れ、心中で密かに嘆息した。彼女も幾度か他国で侍女として潜入し、敵の正室や姫君に仕えたことはあるが、ここまで美しい女性(にょしょう)たちを見たことがない。自分が男であったならば、間違いなく見初めてしまうだろう。

「では於小夜とやら。今後は誠心誠意、お市どのに仕えよ。よいな」

 帰蝶は席を立ち、侍女たちを従えて出て行った。残ったお市の侍女たちはみな、同僚となる。

「皆、於小夜と少し話がしたい。席を外しておくれ」

 潮が引くように侍女たちは下がり、部屋の中に二人きりとなった。途端に――相手は三つも年下だというのに――お市の持つ高貴な気に呑まれかけてしまい、気を引き締め直す。そんな彼女の心中を知ってか知らずか、お市は穏やかな声で問いかけてきた。

「於小夜、そなたも武家に嫁いだならば、一通り武芸には通じているのであろう? 明朝より、薙刀と剣術の稽古相手になってくれませぬか」

 三ツ者として武芸は一通り心得ている。しかし大名の姫君ともあろうお市が、何故に新参者である於小夜に武芸指南を頼むのか。それまでにも、指南役を務めていた者はいたはずではないか。そんな於小夜の疑問を感じ取ったのか、お市は笑った。

「三日前に、武芸指南役を務めていた侍女が暇乞(いとまご)いをし、親元に帰ったのです。他の侍女たちではわたくしの相手になりませぬ。推薦状には、そなたは武芸の腕が確かとあった。それで頼みたいのですが、如何か?」

 女主人の頼みを無下に断る奉公人がどこにいようか。畏れ多い表情をしつつも、忍び特有の体捌きが出ぬようにせねばならぬため面倒だと思ってしまう。

「私如きの腕前で、姫さまの指南役が務まりますかどうか判りませぬが、精一杯務めさせて頂きます」

 丁重に頭を下げると、満足そうにお市は頷いた。
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