第14話

文字数 1,087文字

 織田と今川から独立したばかりの元康――どちらも強大な武田家から見たら歯牙にも掛けない大名たち。小者同士が手を結んだところで脅威にもならぬと、この時の信玄は思っていた。

 織田と元康の同盟が成立したことで、信長は本格的に背後の敵である美濃の斎藤氏攻略に向けて動き出した。

 斎藤氏は信長の正室、帰蝶の実家である。しかし舅の道三が息子の義龍に討たれたために、舅の仇を討つという大義名分を掲げ、美濃攻略を始めた。また義龍は、道三の血を分けた子ではないという噂がまことしやかに流れており、帰蝶もそれを信じ込んでいる。ゆえに夫が岳父の仇と称して美濃を攻めることを、むしろ推奨し感謝しているくらいだ。

 そんな複雑な事情が絡む美濃攻略だが、義龍は清洲同盟成立の前年、永禄四年に病没してしまった。その息子の龍興は信長に頑強に抵抗し、一進一退の攻防を繰り広げていた。信長は出陣の合間に帰蝶への細やかな心遣いを見せたり、お市の部屋に来て立派な輿入れ先を見つけてやると豪語したりと、中々に忙しい。

(まったく、信長という男は疾風のような男じゃな。実にせわしい)

 今日も他の侍女たちと共に、お市の身支度や何やらと、追い立てられるように立ち振る舞っていると、信長が大音声で於小夜の名前を呼んだ。慌てて平伏する彼女を満足そうに見つめる。

「どうじゃ於小夜、城の暮らしに慣れたか?」
「は、はい。おかげさまで」
「うむ、重畳の至りである。そなたは市の武術指南も務めておるそうじゃな。しかと市を鍛え上げよ。この戦乱の世じゃ、いつ何時おなごといえど、武器を手に戦わねばならぬ時が来るや、知れたものではないからな」

 そこまで言うとくるりと背を向け去っていく。かと思えばもう出陣するらしく、見送りをするべく帰蝶をはじめとする城の女たちが長廊下に並んでいく。相変わらず供回りを数騎従えたのみで、城を出て行く信長の後ろ姿を眺めていたお市が、ふうと小さく溜息を吐いた。

「如何なされました、お市さま」

 他の誰にも聞こえないよう声を潜め、於小夜は素早く問うた。

「……後で人払いをするゆえ、部屋に」

 頷くことで返事をし、二人は他の者たちと共に部屋に引き上げる。約束通りお市は他の侍女たちを全て退け、於小夜と二人きりになった。何か話があるのだろうが、お市は一向に切り出してこない。於小夜から促すことはできぬ為に、じっと待つことしかできない。

「於小夜」

 ようやく口を開いてくれたかと思ったら、名前を呼ばれただけで押し黙られてしまった。何か聞きたそうに逡巡している様子が窺えるだけに、於小夜は苛立つ心を何とか抑え、下座に座したまま動かない。
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