第40話

文字数 1,180文字

 武田信玄は織田信長のことを、ただの小大名としか思っていなかった。信玄がまだ晴信と名乗り、家督を強引に受け継いだときの織田家当主は信秀であった。今川家と渡り合い、当時は松平竹千代と名乗っていた家康を人質として迎え入れてもいた。もっとも、今川軍に敗れ竹千代は今川家の人質となる。

 織田家と今川家を交互に人質として差し出され、それで何とか松平家は存続してきた。武田は今川家と縁が深い。

 信玄の実姉が亡き今川義元の正室であったり、放逐した実父を預けたりと関係は深かった。が、それも義元が存命の間だけのこと。乱世では血の繋がりなど紙屑のように軽く扱われる。ましてや覇権を争う男児同士なら尚のことだ。武田晴信と今川氏真は、叔父と甥の関係にある。だが信玄は義元亡き後は今川家との同盟を破棄し、堂々と東海地方から西へ進出する機会を窺っていた。

 今川から独立した松平竹千代は元服して松平元康と名を改め、岡崎城を本城として三河地方を治めていた。

 幾度かの改名を経て徳川家康と改め、織田信長と同盟を結んだときですら、信玄は
「弱小大名共が手を結び合ったとて、何ができよう。仮に立ち塞がったとしても、ひと揉みに揉み潰してくれようぞ」
 と相手にしていない。

 その証拠に織田信長は武田家と上杉家に媚びへつらうように、何かにつけ贈り物を届けたり文を送っていた。更には晴信の嫡男である太郎義信に己の養女を正室として送り、彼女が病没すると今度は、信長の嫡男である信忠の正室に晴信の六女である松姫を貰い受けたいと願い出てきた。

 このように、あくまでも自分を立てる信長に対し慎重に慎重を重ねる信玄ですら、つい織田のうつけ者を見る目が甘くなっていたようだ。

 信長が天下布武の印を用いて書状を送ろうと、十五代将軍の義昭を傀儡にしていようと、心の内の何処かで晴信はまだ、信長は自分にへりくだってくる小者という認識を捨てきれずにいた。どんなに信長が思い上がろうと、自分がいざ動けば尻尾を巻いて逃げ出すという確信があったのだ。

 義昭の書状などなくとも、上洛し天下を手に入れるためには徳川と織田は邪魔な存在である。だが、簡単に蹴散らせる自信と武力を持っていた。第四次川中島合戦の前に出家し法号に改めた後も、その自信はいささかも揺らぐことはなかった。

 信玄は、仏道の帰依が厚い。故に信長が、あろうことか比叡山延暦寺を焼き討ちにしたことに激怒した。命からがら逃げ出した、比叡山延暦寺天台座主の覚恕法親王(正親町天皇の弟宮)を保護した信玄は、信長を、ついに唾棄せんばかりに嫌い抜いた。

「信長の何と罰当たりなことよ。天子さまの弟宮様まで焼き殺そうとは、不届き千万。神仏を恐れぬ不心得者は、この儂が成敗してくれようぞ」

 今まで格下の相手と侮っていたが、遂に信玄は遠江・三河そして尾張・岐阜を平らげて上洛する決意を固めた。
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