第34話

文字数 1,018文字

 忍びを捕らえることを目的に作られたそれは、極細の鎖を網状にしたものなので刃物で切ることができない。そのまま吊り上げられ、身動きが取れなくなってしまった。甲賀忍びが数人どこからともなく現れ、固い樫の棒で幾度となく殴りつける。やがて急所を打たれ為す術もなく気を失った朝倉の忍びは、甲賀忍びたちによって密書などを所持していないか検められた後に殺された。

「他に居らぬか、探せ」

 両の端をしっかりと結ばれた小豆袋。それが何を意味するのか、瞬時に察した伴忍び頭領の伴太郎左衛門は、小豆袋を手に信長の許へと走る。

(あぁ、何ということだ)

 心の何処かにあった懸念が現実のものとなり、太郎左衛門は焦っていた。戦火に包まれた金ヶ崎城を守備していた朝倉景恒は、猛攻に耐えきれず降伏。続いて疋壇城も開城した。この怒濤の敦賀・金ヶ崎攻めは僅か二日で勝敗がついてしまった。

 京と北陸道の要である金ヶ崎を落とした信長はこのまま北上し、朝倉の本城である一乗谷まで攻め入ると鼻息を荒くし、進軍の号令を掛けようとした。まさに、その時である。影のように伴太郎左衛門が信長の本陣に駆け込み、信長が最も聞きたくなかった一報を知らせたのは。

「信長さま、これを御覧くださいませ」

 太郎左衛門は例の小豆袋を信長に渡す。一目でこれが何を意味するかを悟り、怒りの紅を刷き信長は絶叫した。

「おのれ長政め。市を嫁に迎えておきながら旧き盟約に従い、朝倉に義理立てするとは、何という愚の骨頂!」

 激昂したが窮地に陥ったことで、すぐさま冷静になる。朝倉と浅井に対する怒りは大きく膨れ上がったが、ここで自身が討ち取られてしまっては元も子もない。口惜しさに歯噛みしながらも、まずはこの窮地を脱せねばならない。何としても京へ戻らねば。それには今までのように近江国を通るわけにはいかず本格的に挟撃に遭う前に、何としてもこの囲みを突破しなければならない。

 信長には珍しく、焦っていた。諸将に素早く浅井の裏切りと退却を伝達させる。

「申し上げます、木下さまが殿(しんがり)を務めるとのことです」
「ふん、猿めがしゃしゃり出おってからに。……必ず生きて儂の許に戻るよう伝えよ、これは命令だと」
「ははっ」

 後に天下人となる豊臣秀吉こと木下藤吉郎は、このときはまだ織田軍の中でもようやく頭角を顕してきたに過ぎない。成り上がり者が功を焦りおるわいと苦々しい目で見る諸将だが、そんな些末なことにいつまでも拘泥している場合ではなかった。
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