第2話 マタイの福音書

文字数 1,660文字

概要

 マタイはユダヤ教イエス派の人であり、マタイ伝にはイエスに関する記録が書かれている。彼は、イエスを神が遣わした子と信じ、彼がキリスト(神でありながら人になって遣わされた神の子)であると伝えたくて、福音書を書いた。そこには、イエスの30から33,4歳までの活動のあらましが書かれている。具体的には、イエスの奇跡、イエスの説教、イエスの十字架上の死と復活である。

 系図は、イエスが先祖がはっきりした「人間」になって、この世にあらわれたことを示すために書かれたものである。
 イエスの父ヨセフは大工でユダヤ教徒、母マリアも敬虔なユダヤ教徒であった。ヨセフとマリアは、マリアがみごもった子が、精霊によってみごもった子と理解した。この考えはキリスト教の考えであり、ユダヤ教は、神は信じるがイエスは信じないという立場をとる。

 イエス誕生当時は大ローマ帝国ができたばかりで、皇帝、貴族、議員といった支配者層、庶民階級、奴隷という権力構造があった。また、ローマ支配化のユダヤ宗教組織には、祭儀を行う祭司、タナフ(旧約聖書)を教える律法学者といった、精神的な指導者がいた。イエスは、このようなローマ帝国の支配下にあるユダヤ人宗教社会に生まれたのである。

マタイの福音書の内容

 マタイの福音書は全部で28章あり、イエスの系図からはじまる(1;1-17)。系図には、イエスがアブラハム、ダビデ王につながる子孫であることが示されている。
 そして、さまざまなことが書かれているのだが、イエスが救世主であるという救世主思想もその一つである。たとえば、イエスの誕生(1:18-25)には、主の天使がヨセフに「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(1:21)とあり、1章15節には「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」と書かれている。特に重要なのは、イザヤ書が引用されている、次の箇所かもしれない。

「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
『見よ、わたしの選んだ僕。
わたしの心に適った愛する者。
この僕にわたしの霊を授ける。
彼は異邦人に正義を知らせる。
彼は争わず、叫ばず、
その声を聞く者は大通りにはいない。
正義を勝利に導くまで、
彼は傷ついた葦を祈らず、
くすぶる灯心を消さない。
異邦人は彼の名に望みをかける。』」(12:17-21)

 ほかにも、イエスによる戒めの言葉があり、奇跡をおこなったという記述もあるのだが、注意をひかれたのは、次の言葉であった。

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。」(10:34-35)

コメント

 どの程度歴史的事実なのか知らないが、マタイ伝の冒頭には詳細な系図が記述されている。こうした系図を記すのは、著者の意図があるからであるが、その意図はイエスが救世主であることを示すためであろう。
 佐藤(2010)は、「イエスという男が、神の子であり、救世主であるという信仰告白」であり、「イスラエルの歴史でイエスがどういう位置を占めるかについて説明するために系図が必要」だと述べている。
 また、新井(1976)は、ダビデの時代は後に理想化され、ダビデが救世主(メシア)と結びつけられ、外国の支配をうける中で、ダビデのような救世主が民を救うという思想が生じるのは当然だった、と述べている。
 要するに、信じるか信じないかはさておき、マタイの福音書の系図は、イエスを救世主思想と結びつけられたダビデの子孫とすることで、イエスを救世主と位置づけようとしたということであろう。

参考文献
新井智(1976)『聖書その歴史的事実』日本放送出版協会pp.106-127
佐藤優(2010)『新約聖書I』文藝春秋
鈴木崇巨(2016)『1年で聖書を読破する』いのちのことば社




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