第25話 平原の場合1

文字数 2,012文字

 それぞれの思惑が交差した飲み会の後、何事もないまま2週間が経過した。GEARは桜井の不安をよそに、飲み会の後も通常運転を続けていた。安井も順調に企業への提案資料を作っていた。そして今日はその安井から紹介をしてもらった、求職者との面談の日だった。安井の大学時代の同級生とのことで、石原を指名してきたが、簡単にその同級生の略歴と希望を安井から聞いた石原は、金城を同席させることにした。

 平原浩一、29才、国立大学工学部卒で、大手重工業メーカーで発電プラント向けのガスタービンの設計業務を行っていた。転職歴はなし。所謂、人材紹介業界で言われる、ピカピカの人財だった。安井曰く、人柄も良く、話せるタイプの理系出身者で、既に結婚もしており、2人の子供も持つ親とのことだ。端から見たら勝ち組人生だが、自分のような負け組にも分け隔てなく接してくれる最高の友達、というのが安井からの前情報だった。

 前情報に違わず、石原から見ても素晴らしい人柄で、転職活動の軸も非常に明確なタイプで、石原は安心感を持って支援ができると感じた。多くの転職希望者と接する石原だが、なかなか安心感を持って転職を進められるタイプは珍しかった。よく石原は転職で成功する人、失敗する人の差を聞かれることがあったが、できるだけわかりやすく伝えるために一言で表現するようにしていた。それは転職理由が他責か、自責かということだった。

 上司や経営者が無能な人だ。
 給料が上がらない。
 人間関係が悪い。

 こうした天職理由の主語は全て自分以外の誰かだ。他者の欠点や課題を理由に転職する人は、新しい会社がどれだけ素晴らしい会社でも、必ずそこで他者の欠点や課題を見つけて、転職を考えるようになる傾向が強い。どんなことにも例外はあり、この理論にも例外はあるのだが、概ねこう考えておけば見誤ることはなかった。

 反対に自責で考える人の理由は、上司や経営者の能力に課題を感じても、自分なりにどう改善できるかを考えることができる。そして考えるだけでなく、実際に行動にまで移した上で、今の環境が合わないのであれば、転職をする選択肢にも妥当性が出てくる。特にこの行動まで移すことがとても重要と感じていた。課題はどの会社にでもあるが、その課題を解決できるかどうかを限界まで取り組んだ上での転職の場合、とても安心感があった。

 石原は自責の理由でなければ、転職をしないことを勧めるようにしていた。転職エージェントなのに、転職しないことを勧める、と信頼されることもあれば、一部の人にはサービスを提供していない、とお叱りを受けることもあったが、この信念を曲げるつもりはなかった。例外として他責の転職でも支援をするケースとしては、違法な就業環境がある場合や、本人が精神的に追い詰められて限界を迎えている場合だ。これらの場合は出来るだけ早く、今の劣悪な環境から脱却することで、守られる命があることを痛感していたからだ。それ以外の場合では転職エージェントのサービスではなく、転職の個別指導塾に申込んでもらえる場合も支援をすることにしていた。転職エージェントでは案内できる求人に制限があるが、個別指導塾の場合は世の中全ての企業が選択肢に入るため、理想の環境探しができるためだ。石原は本質的な支援のためには個別指導塾のスタイルが向いていると感じていたが、日本の文化的な成熟度や、職業観念とは合わないことも痛感していた。

 平原の転職理由がどうだったかと言うと、大学教授の勧めもあり、大手重工業で働いてみたが、やれる仕事の幅が狭いことに限界を感じている、ということだった。大手重工業での技術職の場合、モノづくりの工程において、実際の設計や試験などを経験することは難しくものづくりのプロセスの中でも計画の策定や全体のスケジュール管理だけの仕事になることが一般的で、それも年々その傾向が強くなっていくことに、いちエンジニアとしての成長の限界、自身の市場価値の限界を感じたようだった。平原の良いところは、その点に気付いた後も何年も何年もあの手この手で改善を図り、行動を繰り返し、PDCAサイクルを回し続けていたところだ。更には自分の力でもどのような会社が世の中にはあるのか、実際に他の企業で働くエンジニアがどのような技術を磨き、市場価値を高めているのかの、情報収集をしていたのも素晴らしい点だった。

 結果的に平原はある中堅規模のメーカーの就業環境に未来を感じて、その企業で採用されるための相談を石原に持ってきたのだ。石原は通常の転職エージェントとは違い、自社が保有する既存の求人だけを案内するのではなく、今回のような求職者の希望から求人の新規開拓をすることと、採用に至るまでの戦略を練る手伝いをしていた。このことを安井に聞いた平原が興味を持ったことがきっかけとなり、紹介されるに至ったのだ。
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登場人物紹介

(名前)



石原 逸平 38歳 男性



株式会社GEAR社長(ラテン語で「本物」の意味の「Genuina Articulum」、の最初を取って「GEAR」)



関西有名私大を卒業後、住宅メーカーで営業として勤務。その後転職エージェントに転職。その後、30歳の時にあるきっかけがあり、大手転職エージェントを辞め独立し起業。一人で細々とながら順調にファンを増やしながら、転職支援を行っているときに、後に自分を慕ってくれる桜井と出会う。



 同業他社とは一線を画す支援で数は少ないながらも顧客からは絶大な信頼を得ている。穏やかな性格をしながらも、心の底では「ブラック企業」を駆逐する、という強い決意を持つ。物語が進む中で大手転職エージェントとの闘いを経て「悪徳転職エージェント」の撲滅にも取り組むようになる。



 ただし社長としては致命的なほど、お金(売上)には無頓着。

名前:桜井一希 27歳


GEARのスタッフ(担当者)。新卒で大手人材会社へ。知り合いから紹介された菅沼の人柄に惹かれ転職。

名前:金城結衣 25歳


有名私立大学卒業、住宅メーカーでの営業を3年経験、初めての転職でわからないことだらけ。

GEARと運命的な出会いを果たす。

名前:安井 健治 29歳


転職を繰り返している。文系卒で一般的な転職市場では苦戦をしてしまっている。

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