第6話

文字数 1,989文字





 島川とジャムセッションを終えた僕は、集中力を使い果たして、スタジオブース内の床に膝を立てて座った。
「マジかよ」
「お気に召したでしょ、わたしのプレイ」
「凄かった」
「そりゃ凄いわよ。わたしにはギターしか取り柄がないから」
「ははっ。なに卑下してんの」
「残念だけどわたし、デスクトップミュージックなんて出来ないもの」
「特殊な世界だからなぁ」
「禄に音楽教育を受けていないで、よく出来るわね。感心するわ」
「一体どうした、島川」
「悔しいし、それに」
「それに?」
「こんな辺境の地でひとり、DTMをやっていることがまず信じられないわ」
「崖札に蹴落とされたからね、奈落の底に。這いつくばって生きているよ。どうにかこうにか、這う這うの体だけどさ」
「県北にいるの、ばからしいと思わないの、ヤスは?」
「県南に行けば、東京のベッドタウンだからね。出来ることなら県南みたいな都会に近いところに住みたいよ」
「そうなんだ。地元志向のマイルドヤンキーの亜種かと思ってたわ、ヤスのこと」
「マイルドヤンキー? あはは。笑える」
「笑えないわよ」
「笑えないかー。僕も笑えたもんじゃないよ。当事者問題としてね」
 日立市十王町に住む僕は、高萩市にある高校で崖札と出会った。高校卒業後、上京した僕は北茨城市出身である崖札を東京で居候させていた。あいつは、崖札は、最初から僕にとどめを刺すことだけを考えて上京生活を送っていて、僕を斬り捨てた。僕はこころで血を流して、倒れた。酷いのひとことに尽きる。僕は被害者で、負け犬だ。ヤンキーになんてなれやしない。ヤンキーのように意気がることすらやめた負け犬は月に吠えることしか出来ない。僕は崖札と出くわしたら自分の憎しみを制御出来ないだろう。いつもそればかり考える。
「じゃ、わたしは自分のブースに戻って練習するわ」
「おう。ありがとな」
「大サービスだっただろー?」
「脱いでくれれば最高だったんだけど」
「誰がヤスの前で裸を晒すものか。根を詰めて演奏しないように、ね」
「また無理な注文を」
「注文の多いのが我が料理店ですので」
「はいはい」
 軽口を叩き合って。それから島川はブースの二重扉を開けて、戻っていく。
 島川が去ったあと、携帯電話を見ると、コータから着信履歴があった。かけ直さなきゃ、と僕は思う。タッチパネルをタップして、僕は通話をコータとする。休憩時間が欲しかったところだし、通話くらいしてもいいだろう。
「やぁ、コータ」
「ヤスさん、こんにちは」
「転職活動はどう?」
「北茨城にある工場で働き口がありそうなんですよ」
「良かったじゃん」
「ヤスさんが口利きしてくれたおかげですよ」
「それは光栄至極だ」
「まだ、決定したわけではないのですが」
「転職先が決まったららーめんを食べに行こうぜ」
「そうしましょう」
「コータのおごりで、な」
「いいすよ」
「頑張ってくれ。僕のらーめんのために。じゃ。また」
「はい。面接、頑張ります」
 終了をタップして、通話を終了する。
 さて、と。もう一曲弾くか。時間はまだあるしな。

 茨城県の県北地方にも、もちろん特色がある。日立市は、赤沢銅山が日立鉱山になり、その銅山の会社の機械修理部門から日立製作所が生まれた。そして、現在の日立市の一部である十王町から北は、炭鉱町として栄えた。十王町、高萩市、北茨城市は、基幹産業は炭鉱だった。北茨城市出身の童謡作家・野口雨情も、一時期、炭鉱の事務所で働いていたときがある。
 崖札は、北茨城市出身で、そのコネクションで、東京のコミュニティに迎えいられた。一方、僕は崖札の奸計によって、東京を追放された。崖札の一味は、東京でウハウハの人生を歩んでいる。僕は歯ぎしりして、田舎で汗水流して働くしかなかった。町のみんなの笑い物が、僕だ。
 僕はなんとしても一矢報いる必要性があった、崖札の脳天に鉛の弾丸を撃ち込むようなことの、必要性が。笑い物になった僕に、出来ること。僕はそれを探していた。だが、その方法が僕には見つけられないまま、何年間も時は過ぎていくに任せるしかなかった。
 うんざりするくらいの時間を無駄に潰すように、僕はギターを弾いて歌った。でも、なにも変わりやしなかった。うんざりはうんざりのまま病んだ精神にこびりつく。だから、僕はRAT2のディストーションとゲイン、トーンを上げて、叫ぶように歌う。恥ずかしいったらありゃしない。三十路のすることかよ。そんなのわかってる。でも、僕にはそれしか出来ないんだ。島川が「わたしにはギターしかない」と言うのと、僕だって変わらないさ。絶望と失望で出来た果実を齧る僕が吐き出した種が、僕の楽曲なんだ。島川よりたちが悪い。
 僕は鉄の弦を弾いて、アンプで増幅されて出力される、その音の波におぼれる魚だ。
「絶対にぶっ殺してやる、崖札ッ!」
 チョーキングがピッチを揺らす。ピッチの揺れ幅に、僕の憎悪を込めて。


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