その6 二つの「誰が」が大事だと思う(『慎重勇者』の分析あり!)
文字数 1,843文字
前半(Part 1)はおもに「どうする」「どうした」の話をしてきましたけど、
もちろん「誰が」も大事です。これから後半(Part 2)では、「誰が」の話をしていきます。
ずばり、
「誰が」に2種類ある、
という話を、いまからしようと思います。
こんな例、どうでしょう。
例えば「とある変人教授&フレンズのまったりスローライフ」を書くとして、
——先生の家へつぎつぎと面白い人が訪ねてきて、しょもないことをだらだら話して、
――みんなでビールを飲んだ。
——そのビールの飲み残しを猫が飲んで酔っぱらっちゃった。笑
という展開を考えたとして、
例えば「とある変人教授&フレンズのまったりスローライフ」を書くとして、
——先生の家へつぎつぎと面白い人が訪ねてきて、しょもないことをだらだら話して、
――みんなでビールを飲んだ。
——そのビールの飲み残しを猫が飲んで酔っぱらっちゃった。笑
という展開を考えたとして、
もちろん、できごとが面白いから、それだけでもじゅうぶん面白くなりますけど、
それを、ふつうに三人称の地の文が、
「先生の家へ誰それが訪ねてきた。そしてみんなでビールを飲んだ。猫も飲んだ」
って説明するんじゃなく、
猫が
「吾輩は猫である」
とかってめちゃくちゃ偉そうに難しい漢字を駆使して語るから、
あの小説は面白さ千倍増なわけです。
ですよね!
「先生の家へ誰それが訪ねてきた。そしてみんなでビールを飲んだ。猫も飲んだ」
って説明するんじゃなく、
猫が
「吾輩は猫である」
とかってめちゃくちゃ偉そうに難しい漢字を駆使して語るから、
あの小説は面白さ千倍増なわけです。
ですよね!
別の例を出すと、
カクヨム発で大ヒットしアニメ化もされた
『この勇者が俺tueeeくせに慎重すぎる』
略して『慎重勇者』――
――すみませんアニメしか見てなくて原作は冒頭の2ページしか読んでないんですけど、
――だって冒頭の2ページ読んだらアニメの台詞のまんまだったんだもん、
――ってアニメは全部見たんかい?! ええAmazonプライムで!笑
カクヨム発で大ヒットしアニメ化もされた
『この勇者が俺tueeeくせに慎重すぎる』
略して『慎重勇者』――
――すみませんアニメしか見てなくて原作は冒頭の2ページしか読んでないんですけど、
――だって冒頭の2ページ読んだらアニメの台詞のまんまだったんだもん、
――ってアニメは全部見たんかい?! ええAmazonプライムで!笑
あれ、原作もアニメも、視点人物はヒロインの駄女神リスタルテちゃんで、
(駄女神ってwww)
原作小説は彼女の一人称で書かれているし、
アニメもずっと彼女の視点に限定されているから、
すっきりわかりやすくて、感情移入もしやすいですよね。
(駄女神ってwww)
原作小説は彼女の一人称で書かれているし、
アニメもずっと彼女の視点に限定されているから、
すっきりわかりやすくて、感情移入もしやすいですよね。
かりに、あれが例えば、ニュートラルな神視点の語りだったとしましょう。
そしたら、あの物語の「誰がどうした」は、
「慎重勇者が世界を救う話」
だったかもしれません。
でも、違いますよね。
そういう物語じゃないですよね。
あの作品でいちばん大事なのは、
龍宮院聖哉がなぜにああまで慎重なのか、
スライム1匹相手にアトミックファイアーを連射し、鎧のスペアとかスペアのスペアとかたいまつ五百本とかを購入しようとするのか、笑
という点ですよね。
そしたら、あの物語の「誰がどうした」は、
「慎重勇者が世界を救う話」
だったかもしれません。
でも、違いますよね。
そういう物語じゃないですよね。
あの作品でいちばん大事なのは、
龍宮院聖哉がなぜにああまで慎重なのか、
スライム1匹相手にアトミックファイアーを連射し、鎧のスペアとかスペアのスペアとかたいまつ五百本とかを購入しようとするのか、笑
という点ですよね。
その謎を読者/視聴者は、リスタちゃんの目線で追っていきます。
だからあの物語の「誰がどうした」は、
「(駄)女神が慎重勇者に出会う話」
なのです。
もっと言えば、
「(駄)女神が(しつこい笑)慎重勇者が誰なのか発見する話」
なのです。
だからあの物語の「誰がどうした」は、
「(駄)女神が慎重勇者に出会う話」
なのです。
もっと言えば、
「(駄)女神が(しつこい笑)慎重勇者が誰なのか発見する話」
なのです。
まとめると、
1.主人公が「誰」か
1.主人公が「誰」か
2.その物語を「誰の視点から」私たち読者は体験するか
この両方をはっきり決めるのが、すごく大事。
なんならストーリーの展開そのものと同じか、それ以上に大事。
ということです。
同じ物語でも、
その物語全体を「誰の視点から」体験するかによって違ってくる。
ということです。
その物語全体を「誰の視点から」体験するかによって違ってくる。
ということです。
もちろん主人公の視点からの場合が多いけれど、
上に挙げた『吾輩は猫である』や『慎重勇者』のように
(この二つが並ぶってすごいな笑)
視点人物に「誰」を選ぶかで、体験の中身ががらりと変わってくる。
ということです。
同じストーリーでも、
誰を主人公にするか、
そして誰を視点人物にするかで、
プロットががらりと違ってくる。
ということです。
じつは、「語り手」と「視点人物」は、微妙に違います。
地の文が「私は……」で書かれる一人称小説では、「私」=視点人物=語り手でいいんだけど、
地の文が「彼は/彼女は……」で書かれる三人称小説では、「彼/彼女」は視点人物だけど、語り手ではないですよね。
そのあたりのややこしい関係は、別の場所で書いてみましたので、よかったらチラ見してみてください。
「『ル=グウィンの小説教室』をつまみ食いしちゃうのだ」第7&8章
いまは「主人公」と「視点人物」を決めるのが大事、というポイントだけ押さえていきたいと思います。
地の文が「私は……」で書かれる一人称小説では、「私」=視点人物=語り手でいいんだけど、
地の文が「彼は/彼女は……」で書かれる三人称小説では、「彼/彼女」は視点人物だけど、語り手ではないですよね。
そのあたりのややこしい関係は、別の場所で書いてみましたので、よかったらチラ見してみてください。
「『ル=グウィンの小説教室』をつまみ食いしちゃうのだ」第7&8章
いまは「主人公」と「視点人物」を決めるのが大事、というポイントだけ押さえていきたいと思います。