付録2の1 「誰が」を変えれば「どうした」も変わる その1~5
文字数 646文字
同じお話を語るとき、
「誰が」を変えると、「どうした」も変わって、
結果、違うお話になる。
という実験をしてみようと思います。
それぞれのバージョンに、「どうした」をタイトルとしてつけます。
「誰が」は、はぶきます。(ネタバレ防止です(^^ゞ)
「誰」のお話になっているか、おぎないながら読んでくださいね。
うまくできるかな。
できるといいなー。
では、はじまりはじまり!
「誰が」を変えると、「どうした」も変わって、
結果、違うお話になる。
という実験をしてみようと思います。
それぞれのバージョンに、「どうした」をタイトルとしてつけます。
「誰が」は、はぶきます。(ネタバレ防止です(^^ゞ)
「誰」のお話になっているか、おぎないながら読んでくださいね。
うまくできるかな。
できるといいなー。
では、はじまりはじまり!
その1.「勝った」
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
大坂城を攻め落とした徳川家康は、ついに念願の天下人となった。
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
大坂城を攻め落とした徳川家康は、ついに念願の天下人となった。
その2.「負けた」
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
大坂城は炎上し、豊臣氏の栄華もはかない夢と散った。
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
大坂城は炎上し、豊臣氏の栄華もはかない夢と散った。
その3.「負けた」
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
真田氏は豊臣方で奮戦するも武運尽き、当主真田信繁(幸村)、討死。
まだ少年だった嫡男の幸昌(大助)も自害した。
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
真田氏は豊臣方で奮戦するも武運尽き、当主真田信繁(幸村)、討死。
まだ少年だった嫡男の幸昌(大助)も自害した。
その4.「負けた」
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
真田氏は豊臣方で奮戦するも武運尽き、当主真田信繁(幸村)、討死。
まだ少年だった嫡男の幸昌(大助)も自害した。
ただし、大助の弟妹たち数名は落ちのび、後の世に生きながらえることとなる。
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
真田氏は豊臣方で奮戦するも武運尽き、当主真田信繁(幸村)、討死。
まだ少年だった嫡男の幸昌(大助)も自害した。
ただし、大助の弟妹たち数名は落ちのび、後の世に生きながらえることとなる。
その5.「始まった」
仙台真田家は、真田信繁の次男、守信(大八)を家祖とする家。
江戸時代を通じて仙台藩士を勤める。
大坂夏の陣の戦火をかいくぐって落ちのびた幼い大八は、姉妹たちとともに仙台藩に匿[かくま]われた。
のちに伊達家の家臣となり、三百石を与えられる。
以来、仙台藩士の家系として家督は存続し、今日まで続いている。
仙台真田家は、真田信繁の次男、守信(大八)を家祖とする家。
江戸時代を通じて仙台藩士を勤める。
大坂夏の陣の戦火をかいくぐって落ちのびた幼い大八は、姉妹たちとともに仙台藩に匿[かくま]われた。
のちに伊達家の家臣となり、三百石を与えられる。
以来、仙台藩士の家系として家督は存続し、今日まで続いている。