1話 ミナミの場合

文字数 4,276文字

 まだ夏の香りが風に残る初秋の夕暮れ、ヒグラシの声が寂しげに響いて虚空へのぼる。
 放課後に立ち寄った公園で、私はブランコに腰を下ろし通学鞄から白の封筒を取り出した。開け口を開いた時、ザァッという葉擦れの音とともに、肩上に切り揃えた髪が風に乗って視界を乱す。
 私――八代ミナミの恋の余命は、きっとあと2日。

 『恋する♥️週末ホームステイ』という番組がある。男女7名の高校生が全国各地から集まり、週末の土日だけ一緒に旅をして恋をするという、恋愛リアリティー番組だ。出演しているのが私と同世代の高校生だからか、私の周りでは大変人気があった。この番組の最大の特徴は、次の週末の旅で想いを寄せた相手がいなくなっているかもしれない、というところだ。参加者は旅のはじめに抽選した封筒に入っている恋チケットの枚数に応じて、参加できる週が2週、3週、5週と異なるのだった。1人抜ければ、1人途中参加で新しいメンバーが追加される。そして、初期メンバーも追加メンバーも何週間一緒に旅ができるのかはお互いに分からないのだ。これがスパイスとなり、参加者達の恋の駆け引きを一層面白くさせていた。
 「恋」は私の憧れだった。画面の中で同世代の人達に恋が芽生え、互いのちょっとした言動に一喜一憂して気持ちを温めていく姿は、とても眩しく映る。そしてリアルでも、中学・高校とクラスを賑わすのは恋の話題だった。恋をしている友人達は皆キラキラと輝いて見える。彼らが真夏の太陽のもとで楽しげに遊んでいるイメージなら、私はいつも木陰に座ってそれをぼんやり眺めているようなそんな感覚。
 それは高校2年生になってからも続いた。そして、このまま光を眺めているだけの生活に私は遂に嫌気が差し、自分を変えてみたくなって、番組に応募した。暫くして、スタートメンバーとして番組へ参加できる旨の連絡が届く。その通知は初めて私を陽向の方へ誘うもので、私は未来の恋へ期待が膨らんだ――。恋がこんなにも切なく胸を締め付けるものだなんて知らずに……。能天気に喜んでいたその時の自分が今は少し恨めしい。

 明日から2週目の旅が始まる。私は封筒から残り2枚になったチケットを少し引き出した。チケットの片方は赤色で、告白する日に使用するものだ。明後日、私はこのチケットを使うだろう。告白する相手はあの人しかいない。
 そう心に決めた時、突風が赤いチケットを吹き飛ばす。そして通り魔のように先週に始まったばかりの旅の記憶を、冷たく突き刺した。ブランコが金属の擦れた音でキィキィと意地悪く笑っている。
**
「マコトです。マコって呼んで、よろしく!」
 彼のはにかむ様子に、私は一目惚れしてしまった。彼の本名は宮下マコト。第一印象はわんこ。高校ではクラスの学級委員長らしく、その人懐っこい笑顔と明るい口調から、彼はおそらくクラスでムードメーカー的存在なのだろうと想像できた。
 会って間もないのに彼の笑顔が、声が、仕草が、全て愛しく感じ、そして初めて感じる胸の高鳴りに戸惑った。これが恋なのか、と口角が自然と持ち上がる。
 他のメンバーは、焦げた肌が健康的なユウタ、ロシア人と日本人を両親に持つ金髪でハーフのケイト、身長が頭ひとつ飛び出たリョウ。そして、ポニーテールで華奢な体躯が可愛らしいサヨと明るく染めたロングの髪が大人っぽいアヤカだ。
 ロケ地は滋賀県。日本一大きな湖である琵琶湖がある県だ。初日は琵琶湖博物館に併設されてる水族館を回り、琵琶湖のほとりでバーベキューやスポーツをして交遊を深めた。二日目は彦根城でひこにゃんに会い、ガラスの街・黒壁スクエアと呼ばれる観光エリアを散策した。

 初日――

「ミナミ楽しそう! 今朝はあんな緊張した顔してたのに~」
 昼食のために皆でバーベキューの準備をしている時のこと、アヤカが言った。
 アヤカは周りに気が利くしっかりものだ。今も男子がバーベキューの機材等を準備している間、率先して材料を切ったりお皿をテーブルにセットしたりとテキパキ動いて女子メンバーの作業をリードしてくれていた。
「そうかな?」
 先ほどのアヤカの言葉にとぼけてみせるが、恋を知ってからというもの、目に映るもの全てがきらめいて見え、ついつい笑みがこぼれてしまっているのは自分でも気がついていた。私は上機嫌で玉ねぎの皮を剥きながら、
「そういえば、第一印象誰だった?」
 と話題を振ってみる。2人に、私はマコ君が好き! と言いたくてたまらなかった。
「私はユウタ君かな。元気なところが良いし、すごく格好いい」
 サヨが食材を切る手を止めて、まるで鈴のような可愛らしい声を鳴らした。
「私はマコ! 面白いし一緒にいて楽しい」
 アヤカがニカッと微笑んで、髪をふわりと揺らす。その様子がとても綺麗で、胸が締め付けられる。
「アヤカは一番背の高いリョウ君なのかなって思ってた」
「高身長も好きだけど、マコのが一緒にいて楽しいかなって! でもまだ第一印象だし、これからだよね」
 サヨとアヤカのやり取りが少し遠くに聞こえた。そして、
「で、ミナミは?」
 2人の両目が私に向いて煌めいた。
「うんと……私もマコ君かな?」
 先程まで言いたくてたまらなかった言葉が、くぐもった声で吐き出される。そこへ――
「なになに、何の話?」
 唐突に後ろからマコ君の声。慌てて振り向くと男子4人が集まっていた。今の言葉は聞こえていただろうか、そう思うと恥ずかしくてたまらなかった。どうしていいか分からずに、私は皮を剥き終わった玉ねぎを切ることに集中する。
「第一印象の話!」
 何でもないようにアヤカが明るい調子で答えた。
「それめっちゃ気になる!」
 おどけた調子でマコ君が食い付く。
「はいはい、ってかそっちは準備万端?」
「おうよ、焼いていいやつちょうだい? 焼いちゃいます!」
「この辺全部、持ってけドロボー!」
「泥棒ってアヤカも食べるっしょ!」
 そしてアヤカとマコ君の掛け合いが流れるように続いた。笑いあう2人を見て、お似合いだと思ってしまった。
 玉ねぎ以外の食材がバーベキューコンロのところまで運ばれていく。皆の背中を見送るが、玉ねぎが目が滲みて視界がぼやけ、
――痛っ
 白く滲んだ世界で私は指を少し切ってしまった。なんだか惨めだ。目を閉じると涙が一滴転がり――
「大丈夫?」
 ふいに上から声が落ちてきた。リョウ君だ。
「怪我してんじゃん」
 リョウ君が私の手を掴み私を水道のところまで引っ張った。力強いその手は暖かい。そしてリョウ君は私の傷を洗うと絆創膏をくれた。
「あ……」
「つーか、お前泣き虫なのな」
 こんなちっちゃな傷でさ、と私の「ありがとう」はリョウ君のからかいで遮られてしまった。
「泣いてない!」
 この涙はあくまで玉ねぎのせいなわけで、泣き虫と笑われたことは不本意だった。けれど、
「女心と秋の空ってやつ?」
 さっきまで可愛かったんだし笑ってなよ、とリョウ君は私の頭をポンと叩いて、残りの玉ねぎを切り終えると皆のところまで持っていってしまった。
 取り残された可愛いという響きが少しの間、胸を奥をくすぐった。

 2日目――

「ひこにゃん可愛かったねー!」
 ロケバスの中でサヨが目を輝かせている。朝から彦根城を回り、今は次の目的地、黒壁スクエアという観光街へ向かっているところだ。
「だねー!」
「てかサヨちゃんさ、ひこにゃん見つけて走り出したと思ったら抱きついちゃって」
 サヨちゃんが可愛かった、と相槌を打つ私に続いたマコ君はサヨを見やって目を細める。その可愛かったという響きが深く重く私の胸に沈みこむ。そこへ、
「次、ツーショットしない?」
 じゃんけんで勝った人から誘えるってルールで、と突然アヤカが切り出した。
 急遽開催されたじゃんけん大会――盛り上がったそれはサヨと私が勝って、サヨはユウタ君を私はマコ君を誘った。これによって私がマコ君を気になっていることが公言されたようなものだが、恥ずかしさよりもマコ君と2人で回れる嬉しさの方が断然大きかった。
 のに、誘いに頷いてくれたマコ君はなんだか表情が曇っているような気がして、嬉しいのに胸が苦しい。

「迷惑じゃなかった?」
 街の散策を始めてから、私は小さな沈黙をかき消すように切り出した。
「ううん大丈夫」
 マコ君はいつもの笑顔で返してくれて、優しいんだなと寂しくなる。
「マコ君はさ、第一印象だれだった?」
「第一印象はサヨちゃん。話しやすいのはアヤカかな」
 マコ君の答えにやはりそうかと思いながらも、第一印象がサヨなことも、アヤカだけ呼び捨てなのも胸に刺さった。
「私はマコ君だったよ」
 私を見て! そう願いを込めて伝えるも、
「うん、知ってる」
 マコ君は微笑みながら優しく返した。

――なんだやっぱりあの時、聞こえてたんだ

「昨日あんまり喋れなかったし、今日沢山喋ったら変わることもあるかな?」
「あるかも。僕もミナミちゃんと話したかったし誘ってくれて嬉しかった。今日はツーショット楽しもうね!」
 私の問いに明るく返してマコ君は、どこ行きたい?と手の平を差し出した。そっと手を重ねるとマコ君は優しく包み込んでくれた。その感触に胸がくすぐられる。
**
 飛ばされた赤いチケットを慌てて右手で捕まえた。先週マコ君と繋いだ右手。思い出すと胸が苦しい。
 アヤカはこれからだと言っていた。マコ君も気になる子が私になる可能性を残してくれた。けれど、私のチケットは残り2枚で、私には残された時間は僅かだ。
 明後日の旅が終了すれば、来週は新しいメンバーが加わる。これからもしサヨがマコ君を好きになったら、もしアヤカと良い雰囲気になったら、もし新しいメンバーがマコ君と両想いになったら……。すごく悔しかった。
 参加者は期間中に1回だけメンバーへビデオ電話をかけることが許されている。かけるなら、今日しかない。でも……マコ君はどうしたら喜ぶの? どうすれば振り向いてくれるの? 全然分からなくて苦しかった。
「もっと時間が欲しいよ……」
 そうひとり呟いて封筒を鞄にしまう。もう帰ろうと思い公園を出ると、また風が吹いた。もう秋の香りがする。風で乱れてしまった髪を左手に整えた時、薬指に巻いた絆創膏が髪を1本引っ張った。
――あ、お礼……
 リョウ君にまだしてなかったことがふいに思い出された。
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