あるアイドル志望の憂鬱(ナツキ視点)

文字数 10,000文字

 私は佐伯ナツキ――アイドル志望の高校1年生だ。去年の今頃に某芸能事務所に所属をし、アイドルの研究生として励む一方で、最近は雑誌モデルの仕事が軌道に乗ってきていた。しかし私はまだ有象無象に紛れて消える1人にすぎない。光を放つアイドルはとても遠くにあって、だから自分もいつかそうなれるように日々努力を重ね、恋だって決してしないと決めていた。何故ならせめて心はいつでもアイドルでいたかったから――

テーテレテテッ♪――
 とある朝、午前6時前に着信音が煩く鳴った。まるで重い粘土の中から頑張って脱出するかのように私の意識は、まとわりつく眠気を掻き分け浮上する。なんとか薄目を開けてベッドの脇のスマホを掴み、
――♪テレッ……。
 電話をとった。
「おはよう、佐伯ナツキ。君、『恋する♥️週末ホームステイ』に出演決まったから」
 スマホの向こうから威勢の良い女性の声が聞こえてくる。私のマネージャーだ。
「ふぁい」
 寝ぼけて腑抜けた私の返事がぼんやりと自分の頭に響く。その余韻が消え去らぬうちに、
「じゃ、よろしく!」
 バッサリ、サッパリ通話が切れた。ツー......ツー......と規則正しく鳴る音がその話はもう終わったのだと告げているが、思考の奥では先程のマネージャーの言葉が壊れたラジオのように何度も反芻されていた。視界はぼんやり白んだ世界。お気に入りのピンクのパジャマに散りばめられているのは小さな猫模様だと、徐々に線が整いはじめ……
――ん? 『恋する♥️週末ホームステイ』?
 マネージャーの言葉の意味がやっと咀嚼できた。通称『恋ステ』と呼ばれる番組が頭に浮かぶ。確か見たことがある。週末に7人の高校生(男女)が旅に出掛けて恋をするやつ。高校生のリアルな青春と恋模様を見せる番組。まさか、あのマネージャーは私に恋をしろと言っているのか? 血の気が引いていくのがハッキリと分かった。
「ちょ、マネージャー!」
 既に黒くなった画面に私は呼び掛ける。まさに寝耳に水である。

「私はアイドル志望なんです! 恋愛をする暇はありません」
 あの後マネージャーにそう抗議するも、
「あぁ、ダンスのレッスンは気にするな。こっちで何とかしとくから」
 返ってきたのはとんちんかんな答え。ニヤリと笑うマネージャーを見るに、私がそう抗議してくるのを彼女はお見通しだったようだ。そして、
「とにかく顔を売ってこい!」
 得意のバッサリとした物言いで、グズる私を一刀両断にした。その笑顔の奥では目が笑っておらず、まるで能面のように底知れぬ雰囲気を纏っている。有無を言わさぬ気迫に押されて私は何も言えなくなった。

――はぁ……。
 ため息がこぼれる。ひとりぼっちで水族館の前に長らく立っているのがこんなに惨めとは思わなかった。番組の収録をしていると言っても貸しきりではない。目の前を家族連れやカップルが通りすぎてすぐそこの水族館に吸い込まれていく。所在無さという黒い影が私の隣でニヤニヤ笑ってこちらを見ている気がした。海風も強く、折角セットした髪の毛は片手で抑えていても風に舞う。憂鬱だなと思いつつも、
――大丈夫、もう少しすれば私は1人じゃなくなる
 内心で拳を握ってそう自分を励ました。いや今だって本当は1人じゃないんだけどね。私の後方には遠巻きにカメラを構えるスタッフさんがいる。撮られているのだ。私は気を張りなおして背筋をピンと整える。
 今回の『恋ステ』で私は旅の追加メンバーというポジションらしい。既に旅は2週目まで終わっているそうで、今日は3週目つまり旅の5日目なんだと事前に説明を受けた。ようは私は先週抜けた女の子の代わりで、今日は私の他にも男子が1人追加メンバーでいるらしいが、今は一緒にいなかった。
 メンバー達と合流するまでのこの待ち時間がとても長く感じるのは、気が重いせいだろうか。だってこれから合流するメンバーは既に2週間も一緒に旅をしてきたわけで、もう大体の組み合わせが出来上がってることは想像に難くない。私は元より恋愛するつもりは全く無いが、そこに入りこむのはとても勇気がいると思った。再びため息が出そうになったところへ、後方から若い男女のざわめきが聞こえ始める。
「あれ?」
「まさか!」
 その声は徐々に鮮明になり、ようやく合流するメンバー達が来たようだと分かった。私は1,2,3とカウントして華麗に後ろを振り向く。そこにいたのは6名の若い男女達、と遠巻きにスタッフの皆さん。
「はじめまして、ナツキです。よろしくお願いします!」
 はにかんでから会釈をひとつ。綺麗な会釈は曲げる角度が15°だと教わったが、上手くいっただろうか。上品に清楚に放送されてバズってアイドルへ一歩近づけますように、と心の中で3回唱えた。流れ星は世界のどこかでは流れてるハズだから、願いはいつ唱えたって構わないというのが私の持論だ。
「アヤカです! よろしく~」
 そして快活そうなアヤカから自己紹介が始まった。私は直感的にアヤカはラクダだと思った。ウェーブする明るい栗色のロングヘアとその長身が醸し出す大人の雰囲気。少し垂れた瞳には長い睫毛を纏い、まさにラクダのようである。
「サヨです。よろしくね!」
 鈴が鳴るような控えめな声色が可愛らしく言ったのはサヨ。華奢で小柄な体型と色白の小さな顔に飾られた丸く大きな瞳は、昔飼ってた白のハムスターを思い出させる。見つめていると、彼女は首を傾げ、ポニーテールがふわりと揺れた。胸を射抜かれたような衝撃が走る。まさにアイドルのようなサヨに、私は目を奪われてしまったのだった。そこへ、
「マコトって言います。マコって呼んで!」
 明るい声が飛び込んできた。彼の人懐っこい笑顔と柔らかそうなくせ毛の髪質はまるでわんこだった。細まった瞳が彼の柔和な雰囲気を一層際立たせている。続いて、
「ユウタです。サッカーが好きです」
 控えめな笑顔でユウタが言った。彼の笑顔は日に焼けた肌と相まって、いつか見たクアッカワラビーを想起させる。ユウタの純朴な感じは、なんとなくサヨとお似合いかなと思った。
「……ケイト。この金髪は地毛だけど、ハーフなだけで、正真正銘日本人だから」
 無表情にそして不機嫌そうに言うケイト。白人の血が混じっているのだろう、肌の色は白く、金色の髪に深い海の色を湛えた瞳は見目麗しい。しかし、彼は白馬の荒馬だと思った。彼を乗りこなすのは誰もが苦労しそうだ。そして、
「タクって呼んで! 俺も今日からなんだ~、よろしくね!」
 最後にタクが軽快に自己紹介をする。どうやら彼がもう1人の追加メンバーらしく、私より先にこのメンバーと合流を果たしていたようだった。タクはバンドマンのように前髪が長く、緩くうねった髪の毛は鳥の巣のように見えた。軽快な彼の口調とは裏腹、隠された瞳には外に心を閉ざしているような印象を受けた。
 私たちは自己紹介が終わるとそのまま水族館に入り皆で回った。そこで団体行動をしてみて分かったことが2つある。
 1つはマコとアヤカの組み合わせが既に出来上がりつつあるということ。主にアヤカからマコに話しかけているようだが、マコとアヤカはほとんど片時も離れずに展示を回っている。
 そしてもう1つは、私がお似合いだと直感したサヨとユウタは気まずそうに互いに避け合っているということだ。
 何かあったのだろうか? そんなことを考えているところにタクが話しかけてきた。
「ナツキちゃん、なに難しい顔してんの?」
 内に向いていた意識が外に引き戻される。気づくといつの間にかクラゲの展示ゾーンを歩いていた。漆黒の空間にはクラゲの水槽がポツリポツリと灯りを灯し、頭上には星のような煌めきが満ちている。ほぅ、と周囲を見渡してみると他のメンバーから遅れて距離が開いてしまっていることに気が付いた。
「ちょっとね、考え事してた」
 そう返事をして足を速めたところにタクは私の肩に腕を絡めて、
「てか、このクラゲ見てよ」
 近くの水槽を指さす。ふわりふうわり漂うクラゲは刺繍ラインの入ったアイドルのスカートのようで、そのラインは虹色に輝き、とても、とても綺麗だった。
「わぁ、綺麗だね」
 一瞬緩みそうになる頬をキュッと締めて、私は華麗に微笑む。それはいつアイドルになっても良いようにと鍛えた笑顔。どの場面を番組で放送されても良いように、笑顔の1つも気は抜けないのだ。なのにタクが言い放ったのは、
「ナツキちゃんってさ、可愛くないね」
 衝撃の一言。
「っ!?」
 可愛くないという余りにも失礼な一言に、耳を疑い言葉を失う。どう返事をしたらいいのか逡巡していると、
「そういう顔もできんじゃん、そっちの方が僕は好きだけど」
 タクはからかうようにそう言ってサヨの方へ行ってしまった。タクに言われて私は自分の眉間に深い皺が刻まれてしまっていることに気が付いた。これは絶対に放送されませんように、と心の中で3回唱える。ついでにタクが足の小指をどこかの角にぶつけますようにとも星に願った。
 クラゲのゾーンを抜ければ久々に感じる太陽の光が少し眩しい。どうやら水族館内を一周まわり終えたようだ。これからどうしようか、と話題が出たところにタイミングよく私のお腹がぐぅと鳴った。恥ずかしさに俯く私。タクが堪え切れない笑いをクックと漏らして、少し早いけど飯でも食おうかと提案した。提案はありがたかったけれど彼のその笑い方と「少し早いけど」を強調した口調が癇に障ったので、どこかの角に足の小指をぶつけてしまえと再び強く念じた。
 水族館内のカフェでは水族館特有のメニューに皆のテンションが上がった。魚をイメージしたらしい何種類かのホットドッグを各自思い思いに注文する。みんなで食べながら施設のマップに頭を突き合せた。どうやらこの施設には観覧車やクルーズ等、楽しめる要素は沢山あるらしい。私達はクルーズの時間を確かめると、食べ終わったら観覧車へ赴き時間をつぶしてからクルーズに行こうと話がまとまった。このとても合理的でスムーズなプランニングには文句のつけようは無いのだけれど、全部タクの仕切った結果なので少し不満が残った。

 少し早めの昼食を終え、私たちは観覧車の前まで到着した。
「スゲー!」
 観覧車を見上げてマコが叫ぶ。私も声こそ出さなかったがどデカい観覧車に圧倒されていた。そこへ、
「すごいねー」
 とサヨもか細い声で言うから、なんだか可愛い。サヨには庇護欲を掻き立てられるなと思った。そして思い出す。彼女がユウタと気まずそうにしているのは何だったのだろうか。
――できれば力になりたい
 そう思った。サヨに何があったのかだけでも聞こうと考え、一緒に乗ることを提案しようと口を開いたとき、
「ツーショットしない?」
 私よりも先に口を開いたのはアヤカだった。マコに提案しているようだ。しかし、
「アヤカごめん! 実は僕、サヨちゃんとも話してみたいと思ってて」
 マコはアヤカの誘いを断り、サヨをツーショットに誘った。サヨはちらりとユウタに目線を向け、そしてどこか安堵したような表情を浮かべてマコに頷いた。その様子にユウタが唇を噛みしめたのを私は見逃さなかった。
――本当に何があったんだろ?
 つい穿った見方をしてしまう。私が名探偵ばりに思考を巡らせているところへ、
「なっちゃん、僕らもツーショットしよう?」
 そう馴れ馴れしく言ったのはタクだった。どこからツッコめば良いのだろう。さも当たり前のように呼んだ”なっちゃん”は初めて呼ばれるあだ名だし、私の肩を腕置きにしてるから距離も近いし。そう、クラゲの時も距離が近かったんだっけ。それを思い出したら、彼に言われた「可愛くないよね」という言葉も思い出される。タクは「可愛くない」私なんかを誘って一体どういうつもりなのか……。タクと2人きりなんて願い下げに決まってる。当然お断りお断りをいれようと思ったのに、
「え、ちょっ!?」
 タクは私の背中を押して列に並んでしまった。
「私達は3人かー、人数多い方が楽しいしこれもアリだね!」
 後ろでアヤカが明るくはしゃいでいる。

 観覧車の眺めは良かった。徐々に景色が高くなっていく様子は見ていて心地良い。まぁ、目の前に鳥の巣があることを除けばの話だけれど……。タクと一緒にゴンドラに乗ったものの、私達の間にはずっと沈黙が流れていた。もう円周の4分の1の高さまで来ている。
「すごいね、どんどん高くなっていくよ!」
 本当はタクと話したいことは何もなかったけれど、黙したままの絵は使われない。放送されないとマネージャーの指令である「顔を売ること」が達成できないので、私は仕方なく、はしゃいだ調子でタクに声をかけた。けれどタクは私の声かけをスルーし、共感の代わりに真新しい質問を投げかける。
「なっちゃんはさ、誰が第一印象だった?」
「私は……えっと、ひみつ! タクはどうなの?」
「……」
 恋愛するつもりで来ていない私が1番心惹かれたのは、強いて言うならサヨだった。けれどそんなことは言えないので、言葉を濁してタクにパスをする。と、それまで飄々とした様子だった彼は口をつぐむ。相変わらず彼の瞳は前髪の奥にあって、何を考えているのか捉えどころが無かった。沈黙が流れ、ゴンドラがギシッと軋んだ音を立てる――
「その……黒い髪」
 タクは人差し指と中指の揃えた2本の指をそっと差し出し、私の頭の方へ突きつけて唸るように言った。
「前下がりに切り揃えられたところから白く覗く顎のライン。ふっくらとしたアーモンドの形をしたその瞳」
 彼の2本の指が一筆書きするようにスルスル動く。なんだか居心地が悪い。
「綺麗ごとしか言わないその口。ぎこちなく笑うその唇……」
 そこに生じた一寸の間に、私は息を飲みこんだ。ゴンドラがギィと風に揺れるのを感じる。
「そして、空腹に正直なそのお腹」
 タクは私のお腹を指さして、そうしてクックと笑い始めた。私も緊張の糸が切れて、息をつく。
「なんなの一体?」
 思わずこぼれた本音に、
「俺の第一印象はなっちゃんってこと」
 そう言うタクは軽快な口調に戻っていた。意味が分からない。もしかしたら私は厄介な人に目をつけられたのかもしれないと思った。

 大きな円を1回転して地上に戻っても、クルーズの予定までは大分時間が余っていた。なので私達は乗船の時刻まで近くのショッピングモールを見てまわった。そして私はその間に気づいたことがまた1つ。それは――

 ブオォ……
 重量感のある汽笛音を鳴らして、船が出航した。船は1階の船内と2階の甲板を自由に出入りできる造りになっていおり、私は甲板のベンチに座って、顔に当たる潮風、流れる景色、空を反射したブルーの海に、生じては消える白波、それら全てを楽しむ。そしてサヨも、デッキの手すりにもたれ掛かってそれらを楽しんでいるようだった。ケイトと並んで外を眺めている。
 先程に私が気づいたこと――それは、サヨとケイトが良い雰囲気であるということ。ケイトは相変わらず無表情にいるのだが、サヨといると少し柔らかい空気を纏うようだった。サヨも心なしか頬を赤らめているように私には見えた。今だって、寒そうに腕を擦ったサヨに対してケイトは、乱暴ではあるが自分の上着を脱いで彼女に被せていた。頭からそれを被せられたサヨはもがきながならケイトをバシバシと叩いている。まるで動物のじゃれあいを見ているような穏やかな気持ちに私を誘う。荒馬を乗りこなすのは、ガラス細工のような彼女だったのかと少し驚いた。そんな彼らを眩しく見つめていると、
――バサっ
 私の上にも布のような何かが被さってくる。慌ててそれをどけて後ろを振り返ると、上着を失い肩を縮めて身震いしているタクがそこにいた。タクがあまりに寒そうにしているから、私は思わず吹き出して上着を返す。
「決まんねーな」
 タクが上着を受け取りながら呟いた。彼の前髪は潮風になびき、楽しそうに細まる瞳がよく見えた。
「そっちの方が良いよ」
 私はタクの真似をして、彼の額のあたりを2本の指で指さした。

 この日の旅が終わり、ようやく撮影の無いプライベートの時間がやってきた。高校生が宿泊するには少しばかり豪勢なホテル。私とサヨとアヤカの3人で1つの部屋を使っているのに、それでも広いと感じるほどだ。
「サヨはケイトが好きなの~? てか、ユウタと何かあった? もしかして……変に好かれちゃって困ってる、とか。私もタクにさ――」
 アヤカがお風呂に入ったので、ようやく私はサヨと2人きりになれた。それまで気になっていたことが私の口を通じて雪崩のようにサヨに押し寄せる。けれど、言葉を半ばにして私は口をつぐんだ。サヨが静かに、そして辛そうに首を振ったからだ。
「違う……」
 小さな小さな呟きだった。それはどの部分を否定したものなのだろうか。続くだろうサヨの言葉を待つ時間は、なんだか落ち着かなくて、私は意味もなく部屋の窓を少しだけ開けた。
「ユウタに困ってるわけじゃない。寧ろ、私はユウタに謝らなくちゃいけなくて、本当は仲直りしたくて」
 堰を切ったように彼女のか細い声が流れ出る。どうやら彼女は2週前の旅でユウタとツーショットをした折にユウタと手を繋いだものの、違和感で彼の手を振り払ってしまったのだとか。それから気まずい状態が続いているようだった。
 違和感ねぇと私は内心呟き、昼間のケイトとの様子を思い出す。
「ユウタのことは好きなの?」
 私が尋ねると、サヨは頷いた。
「それは恋愛として?」
 私は質問を変える。
「分かんない。けどその時まではユウタといて楽しかったし、このまま離れ離れは嫌で……。友達になりたい」
 サヨは声を揺らしてそう答えた。友達という言葉、きっとそれはユウタにとって残酷な響きに違いないと私は思った。
「ケイトのことはどうなの?」
 私が尋ねると、サヨはしばらく押し黙った。私から見ると2人は既に惹かれ合っているように見えるのだが、
「分からない」
 曖昧な答えは私を苛立たせる。しかし、
――嗚呼、サヨは蛹なんだ
 土の中からやっと這いだして、ようやく光を知った蝉のよう。きっと初めて出会った太陽の光は予想以上に眩しくて進路を失っているのだろうと思った。そして今はまさに殻を脱ぎ捨てようとしている時なのかもしれない、そう思うと少し愛おしくも感じた。そしてふと、ついこの間まで一生懸命に鳴いていた蝉はいつの間にか姿を消していることに気が付いた。今はもう秋の虫の番だ。しきりに鳴らす求愛の音色が窓の外から涼しげに響いてくる。
「ユウタと気まずいままが嫌なら明日、告白チケットでも使って謝って、そして友達になりたいって言ってみたら? ユウタだって明日にはいなくなっちゃうかもしれないんだし、早くケリをつけないと」
 私はサヨが本当にそうすることは無いだろうと高を括り、少しだけ意地悪を言ってみた。

そして次の日――
 西陽が沈みかけオレンジと紫に色づいた雲が棚引く時分に、サヨは今、号泣していた。告白チケットを今日本当に使ってしまって、そして――彼女の旅は終わった。自分の軽率な言葉が、サヨの旅をこのような顛末にしてしまったことに私の胸はズクと痛んだ。サヨのこの涙には、恐らくユウタを傷つけた後悔だとか皆とのお別れの寂しさだとか色々な気持ちがごちゃごちゃと混じりあい、きっと本人も何に泣いているのか分からなくなっていることだろう。声を噛みしめるようにして泣くサヨに私は手を伸ばす、せめて優しく包んで慰めてやりたいと思った。けれども、私より一寸はやくにケイトがサヨをぎゅっと抱きしめた。サヨも安心したように身をゆだね、そして子どものようにわんわん泣きだした。2人はやはり想い合っているはずなのに、もどかしさが私の胸を支配する。

 翌週、 新メンバーが2人投入された。ハルナとシュンだ。2人が現れて旅は大きくゆらゆら揺れた。ハルナはケイトが気になるらしく猛アピールし、アヤカはシュンを気にし始めたようだった。マコとシュンはハルナが気になる様子。そしてタクは、アヤカとハルナを渡り歩き、たまーに私にもちょっかいをかける感じ。何故だか私はそれにモヤついたが、無難におとなしく愛想を振りまいて収録をやり過ごした。それにしても、なんとなくだけれどケイトの様子が気になる。相変わらずの無表情は、少し曇り、心ここにあらずのようにも見えて少し胸が痛んだ。

 そして日は流れ、旅の最後の週になった。朝の集合で、一週間ぶりの面子に違和感が走る。タクの髪型だ。バンドマンのように前髪の長かったタクは、さっぱりと散髪し全体的に短く整えられていた。それまで隠れていた彼の瞳も当然露わになっている。
「どうしたの?」
 皆でタクを騒ぎ立てると、タクがほっそりとした切れ長の目を私に向けた。
「なっちゃんがこっちの方が良いって。っね!」
 タクと目が合って、何故だか心臓が跳ねる。やっぱり目が見えた方が、私は好きだ。けど、
「ぜ、全然良くない!」
 口をついたのは全否定。収録撮影中などと気にする暇もなかった。

「なっちゃんは、裏アカ持ってる?」
 タクとツーショットになったときに、そう彼が尋ねてきた。
「裏アカ?」
 私が聞き返すとタクは、これこれ、とスマホを取り出し私に見せる。相変わらず距離が近い。スマホの画面には今流行りのInstagramが映っている。収録中はメンバー同士のSNS交換が禁じられているため、タクのアカウントを見るのは初めてだった。
「番組が放送されたら、探されて見つけれちゃうかもしれないじゃん」
 でも自由に楽しみたいじゃんと彼は言う。
「こっちは収録が終わったらメンバーと交換するつもりの表アカウント、そして、こっちが趣味の鍵付き裏アカウント」
 彼はスイスイと画面を切り替えて私に見せた。表アカと称した方は写真があまり投稿されていないようだが、裏アカウントと言った方には動植物や風景など綺麗な写真が並んでいる。綺麗だね、と彼のスマホを手に持って写真を眺めていると、
「カメラマンになるのが俺の夢!」
 彼はそう言ってパシャリと音を立てた。なんの音かと彼の方に顔を向けると、彼がデジカメを構えてこちらを見ている。
「え、ちょ。やめてよ!」
 撮影用に作っていない姿を不意に撮られたことが恥ずかしく、私は慌ててカメラを取り上げようとするが、彼は上手に私の手を躱してなかなか取り上げることができない。その内タクはぷはっと息を吐きだし笑いだした。
「また怖い顔してる」
 言われて、いつの間にかタクのペースに飲み込まれていたことに気づく。まただと私からはため息が漏れ出るが、タクといると少し楽しいと思ってしまった。
 タクは一頻り笑うと真面目な表情になり、
「今度裏アカ交換してよ。僕の写真はナツキに見て欲しいんだ」
 私を見据える。そして、
「明日、誰に告白するの?」
 彼のほっそりとした瞳には柔らかな力が込められていた。

 翌日、つまり旅の最終日に私はケイトを探していた。昨日思いついたあることを伝えたかったからだ。でも、ケイトにはハルナがべったりでなかなか近づけず、そのまま夕方になってしまった。結局告白のチケットを使ってケイトを呼び出すことにしたが、
――これで良いの?
 内心に微かな声が響いた。細い瞳がこちらを見ている気がした。

「サヨには嫉妬しちゃうんだ~」
 ふふと笑うとケイトが眉を顰めた。呼び出してサヨの話を始めた私の真意を図りかねてるようだ。けれど構わず、
「でも私、ファンになっちゃったみたい。悔しいけど……」
 私は続け、
「じゃん。サヨのSNSアカウント」
 スマホを突き付けた。昨日見つけたサヨのアカウント。放送が終わるまでは、例えフォローしても、人目につく接触は禁止されている。けれど、鍵かけて裏アカにしちゃえば、
「SNSで2人には繋がってて欲しくて」
 私の身勝手な贖罪だった。

 呼び出されて向かった先にはタクが佇んでいた。真剣な眼差しでこちらを見据え、
「俺だけの、モデルになってくれませんか!」
 叫ぶように言葉を射った。その真っ直ぐとした響きはまるで有象無象に埋もれる私を見つけてくれたようで、暖かな光が優しく胸を満たし、そして溢れた。私の気張った笑顔が崩れ、涙がこぼれる。そして私は――
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