私はアヤカ

文字数 10,704文字

 私は佐野 アヤカ。私はギャル。伸ばした髪は明るく染めてコテで巻いて、化粧品は可愛いリップとマスカラがお気に入りで、定期的に脱毛サロンに通って、つけ睫毛をつける。ただ綺麗って言われたくて、可愛いって言われたくて――それが私だった。

 自分が一番輝く時期を映像として残したかった。そういう不純な動機を抱えて私はインターネットで配信されている、とあるエンターテイメント番組に参加者として応募をした。ざっくり言えば男女の高校生7人が一泊二日の旅を繰り返す番組。旅を通じて高校生達は恋をする、というもの。

「アヤカって背が高くてスレンダーで……モデルみたいだね~」

 旅の初日の宿の部屋で、色白で小柄な女の子のサヨに羨ましいと言われた。

「アヤカは大人っぽくて明るくて……素敵な女性って感じで、羨ましい~」

 それを言ったのは、外ハネのミディアムヘアが可愛らしい、私と同じくらいの背丈の女の子――ミナミだった。サヨもミナミも同じ番組に参加した女子高生だ。2人とも私なんかよりずっと可愛い女の子だ。身の内に劣等感がくすぶるのを鍵付きの箱にしまい込んで、私は笑う。

「女の子は小柄な方が羨ましいの!」

 可愛いの自覚しなさーい、とサヨの頭をわしゃわしゃ撫でて、

「ミナミの笑顔、私とっても大好きだよー。でもこの番組は弱肉強食だから、マコは譲らないからあんたも頑張りなさい!」と、ミナミの肩を引き寄せ、みんなで笑った。
 マコというのは男子メンバーの一人で、本名は宮下マコト――私とミナミが気になっている男の子の名前だ。ミナミは笑顔がとっても素敵な女の子なのに、マコの話題になると逆に表情が曇るようになっていた。なんだか叶わぬ恋って決めつけてるような気がして、こんな可愛い女の子でも自信は身につかないものなのだなと、口の中が苦くなる。小柄で可愛らしいサヨも長身が羨ましいみたいだし、所詮隣の芝は青いものなのだろう。三人で笑い合いながら、気になる人は重なったけれどミナミには頑張ってほしいな、とぼんやり思えた。

 一泊二日の旅は週を跨いで1回2回と続き、そしてミナミは旅を終えて去っていった。マコに告白して、結局叶わなかったようだった。
 私の内心では赤く三日月型に口を開いた私の影が私にすり寄り、指を絡め、そして「ほっとしたの?」耳打ちした。この間まではミナミに頑張ってほしいなんて思ったにも関わらず、上手くいかなかったことにほっとしたなど、結局自分は薄情者で、そして同時にマコを好きなのだと思い知った。

**

「アヤカって、なんだかラクダみたいだね」

 3回目の旅で、ミナミの次にやってきた女子メンバーはナツキといった。ナツキは前下がりのボブヘアで表情や所作がなんだか硬く、カメラに映ることに力んでいる印象のあった女の子。けれどナツキと同時に追加された男子メンバーのタクが彼女を度々弄ったお陰か、宿につく頃には彼女は奔放な性格を見せはじめ、喋る言葉はあけすけになっていた。サヨの入浴の間、私はナツキのタクに対する愚痴をひたすら聞いていると、ふいにナツキが私のことをラクダと称した。彼女の無邪気な表情に悪気がないことは分かるが、褒められているのか貶されているのか、微妙な気持ちになる。

「アヤカって少し垂れた大きな目が綺麗でさ、睫毛はバサバサーってしてて。普段明るいけど、なんかどっしり構えてるし……風格があるっていうの?」

 ラクダみたい。ナツキは綺麗な形の両の瞳を上目に遣ってこちらを覗き、もう一度私をラクダと言った。そして目が細める。どうやら褒め言葉だったらしい。

「ありがと」
「ねぇ、そうそう。アヤカってマコと超仲良しだよね!」

 お礼を言う私に、しかしナツキは食い気味に新しい話題を持ち込んだ。コロコロと変わる話題に、ナツキは猫のようだと思った。気まぐれで、憎めない可愛さのある猫。可愛い女の子だな、と眩しく思った。

「今日も水族館でマコとばっかり話してたじゃん」

 マコとどうなの、とナツキは瞳を輝やかせる。

「でも、観覧車デートは振られちゃったもんなぁ」

 あはは、と笑いながら私は今日のことを思い出した。今日訪れたのは大阪にあるベイエリアのレジャースポット。水族館を皆で回った後、観覧車とクルーズを楽しんだ。観覧車で、マコと二人で乗らないかと誘ったのだが、マコはサヨと乗りたいということで私の誘いは断られたのだった。

「マコは話しやすくて、一緒にいると楽しくて……」

――初恋の相手に似ている。

 続けたかったその言葉は照れ臭さに覆われて私の柔らかいところに落ちていった。一瞬の静けさが部屋を包みこむ。部屋の窓は開いていて、涼やかな外気とともに鈴虫の音色が流れ込んできた。間もなくガチャリと扉が開き、サヨが風呂から戻ってきたので、その話題は自然と消えた。

 夜の音色は雄が雌へ送る求愛の美しい恋の歌だ。消灯し、暗くなった部屋の中で私は、先ほど言葉に出さなかった初恋のことを思い出していた。中学1年生の頃の親友のマコトだ。くしくもマコと同じ名前だけれど、フルネームは山之内 誠。彼の顔つきと明るくて人懐っこかった性格はマコと共通点は多くて、きっと私はマコとマコトを重ねてるんだろうなと思った。

 翌日、私達は遊園地を回った。

「アヤカ、回ろうぜ」

 マコがニッと白い歯を覗かせて、二人で回ろうと私を誘った。昨日、観覧車で私の誘いを断ったことへの埋め合わせのつもりなのだろう。集合場所と時間を決めて私達は他の5人のメンバーに手を振って、グループから離脱する。

「ねぇ、ねぇ、ねぇ」

 私の呼びかけに、

「なに、なに、なに」と、マコが調子を合わせて返事をした。

 乗るなら絶対――
「「最強の絶叫系だよね/な」」

 二人の声が重なった。私とマコは顔を見合わせてニシシと笑う。やっぱりマコといると楽しい。マコも同じ気持ちでありますように、そう願った。
 そして私達は園内一の絶叫系と名高いジェットコースターの列に並んだ。並ぶ間にも会話は弾んで、お互いの生い立ちの話になった。すると意外な共通点が見つかる。私もマコも中学のときに引越しを経験していて、それまではなんと近所に住んでいたのだった。それに、両親の離婚で中学の時に名字が変わっていたことも一緒だった。

「えっじゃあ、中学校同じかもね。前の名字なんて言うの?」

 アヤカのこと知ってるかも、とマコがはしゃぎ、しかし私は嫌な予感がギクリと頭をよぎる。

「どう、かな。中学は私立だったんだよね……」

 咄嗟に私は嘘をついていた。中学は私立じゃなくて本当は公立だ。けど、私の鼓動はドクドクと体内の血液を駆け巡らせて、マコのことを知っている、という予感と共に、正体を知られるな、という警告を煩いくらいに鳴らしていた。自分の笑顔が下手くそに歪んだのが分かる。
 でもマコは、嘘を見抜いた様子もなくて、私立なら分かんないかもなぁ、と困ったように眉を下げて微笑んだ。マコのそれ以上追及してこない様子に、私は内心ほっとして、

「あの、さ。マコは前の名字を何て言うの?」

 恐る恐る尋ねた。嫌な予感は杞憂で終わりますようにと願いを込める。

「山之内!」

 山之内、マコト……。
 マコのその歯切れの良い答えは、絶望に満ちた響きで私の脳内に反響した。私はマコの雰囲気が初恋の親友に似ていると思っていた。でも彼は、名字も変わって、身長も伸びて、声も低くなって、面立ちも大人びてしまったけれど、間違いなくかつての親友だったのだ。

「なぁ、アヤカって実は双子だったりしない? 中学1年の時に引っ越した親友がさ、浅野フミヨシって言うんだけど、アヤカにすっげー雰囲気が似てるんだよね」

 マコが言った。

 白状しよう。私の本名は佐野 文佳。中学までは浅野 文佳。私はアヤカで、フミヨシなのだ。

 その後のことは、あまりよく覚えていない。霞がかった記憶を辿れば、絶叫コースターはすごく怖くて、私とマコで沢山叫んだ。マシンから降りたら二人して振らついてて、大きな口を開けて互いに笑い合った。そして、もう一個くらいジェットコースターに乗りこんでから他のメンバーと合流した。
 気が付けば夕方で、サヨが泣いている。サヨはユウタという男子メンバーに告白して、旅を終えることになったのだった。ユウタも今日、サヨに告白したはずなのに、どういうわけかカップルは成立しないまま、二人が旅から去ることになったという。
 状況がよく掴めなかったが、取り敢えず今、私達はメンバー全員で二人の別れを惜しんでいた。サヨは漏れ出る声を殺そうと小さい肩を懸命に震わせている。見ていて痛々しかった。そこへ、男子メンバーで唯一ハーフのケイトがサヨを抱擁をする。サヨも安心したように身を委ねて、遂に大口を開けてわんわん泣いた。ケイトは旅の間ずっと不愛想にしている男子メンバーだったが、今思えばずっとサヨのことを気にかけているような節があった。サヨはユウタに告白したようだったけれど、こうして見ると、サヨもケイトの方に気を許しているような印象を受ける。
 これはいったいどういうことか。状況が掴めず混乱していた私に、しかし後でナツキが説明してくれた。
 サヨにとって「好き」という感情は理解しがたい感情だったらしい。友人への好きと異性に対する好きの境界を知らない、純粋で初心な女の子。ナツキとしては、サヨとケイトは異性として惹かれ合っているように感じていたらしいが、サヨはユウタとの絶縁を惜しんだという。どうやらサヨとユウタは、仲が良くて一度何かのきっかけで手を繋いだことがあるらしい。しかしその時サヨは違和感のあまり彼の手を咄嗟に振りほどいてしまい、それから二人は気まずくなったのだとか。そしてそれをサヨは後悔した。ユウタと気まずいまま旅が終わることを恐れ、友達としてありたいと願った。だから今日、告白の場を使い二人で話せる機会を設け、ユウタに友達としてこれからも仲良くしてほしいとお願いをしたのだ。しかしユウタの方は、サヨのことが異性として好きだった故に、友達としてサヨと付き合うことを拒んだ、という結末。

 翌日の月曜日、朝起きると頭が重かった。昨日のナツキの得意げな解説に、好きとか恋とかいう感情は案外複雑なんだと思い知らされ、それに、今自分の抱えている問題も相まって、一晩寝ても思考がこんがらがったままだった。

「おはよう」
「アヤカ~、これ見て~」

 普段通り学校に登校して3-Cの教室に入ると、友人二人がスマホを片手に手をこまねいた。机の上に足を組んで座る彼女達は、スカートを穿いているという意識がいつも足りていない。

「ほら、スカート!」

 私が注意すると、

「出た!アヤカのオカンバージョン!」

 二人は楽し気に目を細めた。

 私は高校でもアヤカで通している。生物学的には男性だけれど、医師の診断や教師との面談を通して学校側は私を女性として扱うことを承認してくれた。この学校で私が男性だと知っているのは、私と先生達だけ。仲良くしている友人にも伝えてはいない。
 私が自分の性別に違和感が芽生えたのはいつからだろう。中学に上がってようやく男女で体の構造が根本的に違うのだと理解したときか、引っ越す前に通った中学校で親友のマコトに胸が高鳴ったときか。そうだ、その時も歯にものが挟まったような違和感があった。けれど自分の性別にはっきりと拒絶を感じたのは、間違いなくあの時だ。転校した中学校での二回目の秋。仲の良かった友人の女の子に告白された。あの時の戸惑いと、自分の知らないところから突如沸き起こった嫌悪感と絶望感は、ちょうど3年たった今でもまだ覚えている。

 私は女になれるだろうか。ホルモン治療を受けて女性らしい体つきにはなってきたものの、私の意志に反して体は成長を続け、じわじわ伸びた身長は173センチに達してしまった。もっとまだ伸びるかもしれない。女子の友達はモデルみたいで羨ましいと言ってはくれるが、私は毎夜、寝るのが恐ろしい。日を追うごとに男と女の狭間でちぐはぐになっていくような気がして、それがとてつもなく恐ろしいのだ。しかし、二十歳になれば性適合手術も戸籍上の性別変更も行うことができる。私はあと数年が待ち遠しい。
 なのに一方で――私の思考は一転二転と不安定にも暗闇をくるくる回る――私は女性になってしまうことにも迷いもあった。何故なら生まれたまま本来のこの身体は、完全に嫌いというわけじゃないからだ。いや正直に言えば、男女の体つきを比較して涙しその都度憎らしくもなることもある。けれど母の産み落としたこの身体を、私は嫌いにはなれなかった。
 男とか女とかそんな区別無くなってしまえばいいのに、最後はいつもそう願う。

「ただいまー」

 学校から帰宅をすると制服のスカートを脱いでつけ睫毛も外し、そして男物の服装に着替える。長く伸ばした髪はぐいっと結んで短髪のかつらを上から被せた。

「行ってきまーす」

 そして私は自転車を漕いで、家や学校から少し離れた街へと向かう。
「〇×運輸△町営業所」と書かれた看板の前で自転車と停めた。私はここで宅配便の荷物仕分けのアルバイトをしている――フミヨシとして。戸籍上はまだ男だから、その方が何かと都合良いのだ。

「おはようございます!」
「おう、フミヨシ君。おはよう!」

 夕方でも挨拶は「おはよう」と決まっていた。挨拶して中に入ると、営業部長の池田さんが威勢よく挨拶してくれる。

「フミヨシ君、学校はどうだ?」

 池田さんは丸い目の両端を優しくすぼめて、いつも私にそう問いかける。彼は私が高校生でアルバイトをしていることを、感心だと褒めて、でも最後には「学業を疎かにするなよ」と言って締めくくる父親みたいな人だ。私のアルバイトは毎週月・水・木の19時から22時まで――週3日の1日3時間という短い時間だが、それで雇ってくれたのは池田さんの心遣いでもあった。
 荷物仕分けは力仕事でその分給料が良い。脱毛サロンや化粧品を購入するお金、そして、2週に1度のホルモン治療のお金を稼ぐためには丁度良かった。

 木曜日、いつものように男の格好をして私はアルバイト先へ出掛けた。

「おはようございます!」
「あ、フミヨシ君。紹介するよ、新しく入ったアルバイトの――」
「シュンです。よろしく」

 いつも通り営業所の中に入ると、池田さんが嬉しそうに私に声を掛ける。シュンと名乗った男の子は歳の頃が私と同じくらいで、その厚い胸板といかり肩が厚手の作業着越しでも分かるくらいガタイが良かった。

「シュンは俺の息子でさ、フミヨシ君と同い年だから、色々教えてあげて」

 池田さんはよろしく、と私の肩をポンと叩いて、じゃっ俺は帰るから頑張れよ、とシュンの頭を一掴みして営業所を後にした。私は作業着に着替えてシュンと仕事場に向かう。

「俺の親父、いっつもフミヨシ君のことスゲースゲーって言ってるんだよなぁ。だからお前も社会経験してみろって言われちゃったよ」

 池田さんと同じ丸い目をくるりと回してシュンは言った。シュンはラグビー部の主将を先日引退し、スポーツ推薦で大学進学も早々に決まっているらしく、それなら働いてみろと池田さんに突かれたようだった。
 私はシュンに仕事を教えた。教えるといってもベルトコンベアーで流れてくる荷物を決められた場所に分類する仕事は、少ない決まり事さえ覚えてしまえば、後は単純作業の繰り返しにすぎない。

「これはこっち」

 説明しながら、デカい荷物を持ち上げる。とその時、

「重そうだし俺持つよ」と言って、シュンがひょいとその荷物を私から取り上げてしまった。

「え?」

 とぼけた声が口から出る。鳩が豆鉄砲を食ったような心持とはこのようなものなのだろうか。私がシュンを見上げると、

「だってお前なんか細っこいし」なんてシュンは豪快に笑って私を小突いた。フミヨシとしてなら私は、馬鹿にするなと怒っていいのかもしれないが、でも少しだけ、嬉しかった。

 そして日付は進み、4回目の一泊二日の旅が始まる。動物園の前で私達メンバーは待ち合わせをしていた。今日はサヨとユウタの代わりに新しいメンバーが追加される。現メンバーで「どんな人が来るかな~」などと話していると、

「こんにちはー」

 少し離れたところから声が届いた。男女の高校生が両手でメガホンを作ってこちらに近づいてきている。距離があるため顔をはっきり確認できないが、私は男子高校生の方には見覚えがあった。遠くからでも分かるそのガタイの良い体型は――シュンだ。

「ハルナです……よろしく」
「俺はシュン。よろしくな!」

 追加メンバーの二人が自己紹介をしている。ハルナは黒髪ストレートロングで上品な立ち居振る舞いがまるでかぐや姫のような女の子。そしてシュンはやっぱり、アルバイトで一緒のあのシュンだった。緊張したような細い声のハルナに対し、豪快に挨拶をしたシュン。喋り方が池田さんに似ていた。私はこの前のシュンのあの豪快な笑いを思い出して、アヤカがフミヨシだとバレても良いかな、と思った。シュンならどちらも同じだと言ってくれそうだと思った。

「ハルナちゃん、一緒に回らない?」

 暫く全員で園内を見て回り、園内のレストランで軽食を食べていた時、マコがハルナに声を掛けた。マコは早速ハルナのことが気になるようだ。そりゃそうだ、彼女はこれぞ大和の女と言わんばかりのおしとやかさがある。私は敵わない。いや、どのメンバーにも敵いっこない。だって私は――男なんだ。
 誘われたハルナはちらりとケイトに視線を移すが、いいよと言って立ち上がった。それをシュンは少し残念そうな表情をして眺めている。そっかシュンも……。

「じゃあ私も……シュン、一緒に回ろ?」

 私はシュンに声を掛ける。バレてしまえと思った。誰かに私を見てほしい、口の中に苦味が広がる。
 私の誘いにシュンは頷き、しょっしゃ、と私はガッツポーズをし――マコと目が合った。マコはにっこり笑ってヒラヒラと手を振ってまたね、と言った。私も笑って手を振り返す。私とマコは……アヤカになってもやっぱり友達なのか、と少し悲しい。
 じゃあまた後で、と再集合の時間と場所を決めて、私達は3組に分かれて園内に散らばった。

 結果を言うと、シュンに私はフミヨシだとバレずに4回目の旅は終わった。

 週が明けて月曜日、アルバイト先でシュンとまた会う。

「おはよう」
「おっす」

 シュンと挨拶を交わすと、シュンが難しい目をして私の顔を繁々と見はじめた。なんだろう。顔が近い。

「なんかフミヨシ、今日暗くね?」

 近づく顔にとうとうバレたかと息を飲むも、大丈夫かとシュンは単に体調を心配してくれただけのようだった。

「そうかな」

 ホッとしたのに少しだけ寂しく思うのは何故だろう。

「大丈夫ならいいけどさ。つーか、フミヨシってよく見ると綺麗な顔してんのな」

 女みたい。そう言ってシュンはまだ私を見つめている。ホルモン治療で女性ホルモンを投与すると、身体には女性らしい変化が様々現れる。そのうちのひとつとして肌質も変化するから、きっとそのお陰なのだろう。女みたいだなんて、フミヨシとしては怒るべきなのかもしれないが、やっぱり私は嬉しかった。

「離れろよ」

 頬が緩むのを見られたくなくて私は、両手でシュンの身体をぐいと引き離す。

「わりーわりー」

 そう言ってシュンはまた豪快に笑い、そして、今度は私の名札に目が行ったらしく、名札を摘まんでじっと見つめる。

「フミヨシってアヤカとも読めんのな」

 名札を離すとシュンがボソッと言った。そして絶句する私に、

「そのラクダみたいな顔……そっかそうか。なぁ、どっちなんだ?」

 シュンが私に問うた。丸い目が僅かに歪んでいる。私は、あぁやっとバレたかと、ラクダみたいな顔って誰かにも言われたなと、どこか他人事のようにぼんやり思った。

「どっちでも、いいじゃん」

 私が言うと、

「いや全然違うだろ」

 シュンが言った。
 その言葉を聞くと、気づけば私は仕事場を飛び出していた。涙がボロボロ溢れてくる。豪快なシュンなら性別の差なんて気にしないのではないかという、勝手な期待。当てが外れたせいなのか、涙は止まらず、心の中にはどうしようもない絶望感が満ちていた。
 家について部屋にこもった。母が心配しているが、今はそっとしておいて欲しかった。暗い部屋の中で暫く泣いて、明日は通院日だったなと、ふと思った。2週前に打った女性ホルモンはもう無くなりかけている。ここ数日身体がしんどいのはホルモンバランスが崩れているせいかと合点がいった。今私がこんなに悲しいのも、きっとそのせいなんだと決めつけることにした。

 私はアルバイトを水・木休んだ。池田さんには体調が優れなくてと言ったけれど、本当はシュンに会いたくなかったから。

 金曜日の夕方、珍しく家のインターホンが鳴った。まだ母が仕事から帰ってこない時間帯だったので私が出ると――来訪者はシュンだった。

「帰って」

 私はすぐさまインターホンのマイクを切る。しかしシュンはしつこくインターホンを鳴らした。
 結局根負けして玄関を少し開けると、これ、と菓子折りがドアの隙間からねじ込まれる。

「ツマラナイモノデスガ」

 何からコピペしてきたのか、シュンがたどたどしくそう言ったので、私は思わず笑ってしまった。

「なぁ、この前はごめんな!」

 シュンを中に通して扉を閉めると、シュンがすかさず頭を下げた。

「この前のどっちだっていうのは、どっちの名前で呼んだ方が良いのかって意味で、傷つけるつもりは無くて。俺はお前の性別はどっちでも良いっていうか、フミヨシでも綺麗っていうか……」

 ほんっとごめん。そう言うと、シュンは下げている頭をさらに下に押し下げた。その謝罪に私はあれは自分の勘違いだったのかと、なんだか気が抜けた。そして、フミヨシでも綺麗という言葉が妙に胸に響いた。

「私もごめん」

 謝ると、お前はスゲーんだから自信持てよとシュンは笑った。

**

 翌日の土曜日に5回目の一泊二日の旅が始まった。そしてこの二日間で番組の旅は終わりになる。

 今回の旅の舞台は島根県の出雲だった。

「日本中の神様が十月にここに集まるんだってさ」
「じゃあ、もういるじゃん」

 マコが私に言った。マコの説明によれば十月に入ったばかりの今、まさに日本中の神様がここ出雲大社に集まっていることになる。

「そんで日本中の神様が日本中の縁結びを今話し合って決めてるみたいだよ」

 今日お願いしたことは叶うかもしれないね、マコが明るくそう言った。

「え、最強だね」

 私がお願いしたいことはひとつしかない。

**

 日曜日の夕方、出雲の砂浜に私はマコを呼び出した。

「私はマコが好きです。でも、ちゃんと言わなきゃいけないことがあります」

 海の風は冷たくてさざ波の音が煩く聞こえる。それに負けないように私は声を張った。対峙するマコは真剣な面持ちで、癖のある短い髪の毛は風に揺れていた。

「えっと、アヤカとフミヨシは同一人物です」

 あぁ、とうとう言ってしまった。怖くてマコの顔が見れないや。私は両目をぎゅっと視界を閉ざした。マコは余りのことに言葉が出てこないのだろうか。しばしの沈黙は波と風の音に飲まれていく。

「そうだろうと思ってた」

 沈黙を破ったマコの声は思ったよりも近くにあった。目を開けると目の前にマコがいて、マコが私の頭に手を置いた。

「『最強』って言葉、お前の口癖じゃん」

 遊園地の時にバッチリ分かったよ、と目を細めたマコは口角をニッと持ち上げて私の頭をぐしゃぐしゃ撫でる。

「え、じゃあ。何で何も?」

 マコの意外な反応に私は戸惑う。

「だってお前、中学の話で嘘ついたじゃんか!」

 知られたくないのかと思ったんだ、とマコは言った。そして続ける。

「昨日出雲大社で僕はフミヨシに会いたいって願ったんだよ」

 フミヨシに会いたい。しかし、その言葉に私の舞い上がりかけた気持ちが途端に地面にベシャと汚く落ちてしまった。マコの無邪気な笑顔が眩しく、そして鋭く突き刺さる。

 マコトは「アヤカ」よりも「フミヨシ」に会いたいのだろうか?

「アヤカじゃ嫌かな?」

 そうマコに問う私の笑顔は震えてしまう。化粧で固めた気丈な気持ちは今にもへたってしまいそうで、あぁもう駄目だ。涙が出そうになる。

 私はこの場に居ても立ってもいられなくなり、マコに背を向け駆け出し――。駆け出す私の手首をすかさずマコは掴み――、

「馬鹿!」と叫んだ。

「アヤカとかフミヨシとか、どっちかじゃなくてどっちも含めてお前とまた――」

 マコの手はとても暖かかった。その力強い、私をここに留めてくれるマコの手は、私の胸の奥底にある栓を外し、暖かい感情を溢れ出させる。
 しかし一方で、私は思った。それは一体どういうつもりの言葉なのか、と。
 旅の間の私とマコは結局は気の合う友達というポジションで落ち着いてしまったように思えた。それにマコは彼元来の人懐っこさのせいなのか、幅広くメンバーと交流を広めていたようにも感じられる。(友達としてなんじゃないの?)いつの間にか私の内に住まう黒い影が私の背後から忍び寄り耳元で囁いた。それは聞きたくない、私にとってとても残酷な言葉で――。でも、どうでも良かった。
 そう、マコが私を友達としか思っていなくても、それはどうでも良いと思えた。ありのままの私で、またマコの隣にいれるのなら……。そう思うと、私の胸は、嬉しさと悲しさがごっちゃになった、ぬるい温度が満たされていった。瞳からはぬるい涙が溢れだし、口の中に海の味が広がっていく。

「また会えて良かった」

 マコの手が私の頭を優しく撫でてそう言った。


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