手掛かり

文字数 2,478文字

ソファーから目覚め、居間に続く台所から目玉焼きのいい香りが伝わってきた。そこで料理しているユキの姿を見て、納得した。
何故かその後ろ姿に懐かしさを感じた。
「おはよう」
「おはよう」
ユキはこっちに軽く会釈して挨拶してくれた。
ここは昼夜という物がないが、寝起きだから、一応朝と認識しよう。人間というのは培ってきた感覚から中々抜けない生き物であり、時間の区切りなどなくても勝手に作ってしまう。
朝食は焼き立てのトーストに目玉焼き、至ってシンプルな献立だった。ここへ来てから空腹感はまったく感じないから、思い付く時だけ食事を取るようにしてきた。こうして普通に寝起きして朝食を迎えるのがどこか懐かしささえも感じる。
「ね、君のこともっと知りたいけど、よかったら教えてくれない?」
彼女の真向かいに座り、朝食を取りながら話かけた。彼女のことはまだ名前と趣味しか知らない。
「私のこと?面白いことは何もないよ」
「それは聞いてから判断する。それとも言いたくない?無理強いはしないけど」
「いええ、そんなことないよ。ただ本当につまらないと思うわ」
ユキは俺の顔を伺い、表情からその質問が真剣であることに気付いたんだろう。それから淡々と自分のことを語り始めた。
「最初に目が覚めた時、回りは何もなく、真っ白な霧に包まれていた。ここへ来る前の記憶はないし、何かどうなっているのかが分からなくて、戸惑いながら歩き回った。少し歩いたところで、突然霧が引いたように(ひら)けた場所に出た。荒れ果てた大地が目の前に広がっていた。その大地は霧に囲まれて、外側はよく見えなかった。私はだだっ広い土地の中で立ち尽くしていた」
「ちょっと待って、君はあの欠落した橋から目を覚めしたわけじゃないのか?」
さりげなく重大なこと言った気がして、思わず横槍入れた。
「橋?」
彼女は何か不可解なことを聞いたように首を傾げた。
「あっ、すまん。続けてくれ」
表情から答えが出たようなもので、続きを促した。
「その土地をくるっと一周回ったけど、ぱさぱさした土以外何も発見できなかった。それで別のところも見てみようと考えて、また霧の中に入ったけど、今度はどこへ行っても同じ景色で、ずっと真っ白が続いた。霧の中で迷子になったわけだ。それからどれくらい彷徨っていたか分からなかった。あの荒れ果てた土地から離れるべきじゃなかったと後悔している時、妙な仮面を付け、全身真っ黒な格好の人に出会った。その人のなりはどことなく死神を連想させた」
その黒いやつは多分サヤが去り際に居合わせた仮面コンビであるだろう。
「その人に近付いて、挨拶したが、返事が帰ってこなくて、ただ軽く頷いただけだった。ここはどこだとか、あなたは誰だとか、色々聞いたんだけど、それについて返事がなく、ただ低めな声で付いてきてくださいって言ったきり、勝手に歩き始めた。私は彼を見失うことを恐れて、その後ろに付いていった。
それから霧の中をしばらく歩くと、実体のない黒い幕はぽつんと目の前に浮いていた。彼は率先して黒幕の向こうへ行き、まるで異空間へ行ったように忽然と姿が消えた。私は不安を抱えながら彼の後に続き、黒幕に飛び込んだ。その先は暗くて狭長な廊下だった。その廊下は湿気を帯び、寒々とした空気が流れていて、壁にかけていた蝋燭の微かな光を頼りに進んでいった。壁は煉瓦造りで、古ぼけているように見えた。どこかの地下通路だろうと思った。
突き当たりに上へ行く螺旋階段があり、上から蝋燭とは違う光が差し込んできた。その階段を上り、地上へ出たら大広間のような場所に出た。大広間の中にもう一人仮面の人がいて、隅に置いてあったソファーにかけるように言われた。それから二人は私に変な質問をして、分からないって答えたら、大広間に続く別室を案内してくれた。そこに心から求める物があるかもしれないって言われた。
案内された先は沢山本を置いてあった図書室だった。状況をうまく飲み込めなかったけど、一応流れに身を任せて、そこに置いてあった本を漁って見た。しかし、背表紙や表紙どころか、本の中身もすかすか、文字など載っていなかった。どれを開いても同じことを繰り返して、とても不毛なことをやらされていたような気がしてならなかった。そのううに飽きちゃったからその部屋を出た。
その部屋を出ると、住む場所が用意できたと告げられ、元の場所に連れ戻された。
さっきまで何もない広い土地の中で、ぽつんと丸太小屋が現れた。その土地を含めて好き勝手にしていいと告げられ、仮面の人は消えた。その頃からずっとここに居た。
最初はほとんど何もない部屋で、つまらなかった。ただごろごろして過ごした。それが段々退屈で気が狂いそうになって、過去の自分が残してくれた僅かな欠片を頼りに絵を描き始めた。そしてこのだだっ広い土地も折角もらったから、生気のないままにしては不憫過ぎると思って、花を育てるようにした。
その後は見ての通り、花畑ができて、色んな花を育ててきた。気が向いたら花畑の絵を書く。それは今まで私が経験してきたこと。
どう?つまらなかったんでしょ?」
その長話を黙々と聞いた後、ゆっくりと頭を振った。
「正直君の経験したことは興味深い。今まで案内係から聞いた話と俺が経験してきたことに比べて、あまりにも違い過ぎて、びっくりするぐらいだった」
「そうなの?何かに役立っていればいいけど」
彼女は少しはにかむように言った。
「一つ頼み事がある。例の仮面男の居る場所へ案内できるか?」
「仮面の人?私は一度しか合ったことないけど。入り口までは案内できるけど、その後は…」
「入り口まででいい。どうせその後は一本道だろ?勝手に上がって行くよ」
「大丈夫?」
彼女が一抹の不安を顔に表した。
「問題ないさ。嫌か?嫌ならこの話はなしだ」
「その言い方が嫌。私が悪いように聞こえる」
彼女は少し顔を膨れて、拗ねる表情を見せた。
「ごめん。改めて言う。お願いできるか?」
「いいよ」
俺のお詫びを素直に受け入れて、明るい笑顔を浮かべて承諾してくれた。
ころころ表情が変わる彼女は何だ愛しいと思った。
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